日本明慧


修煉体験及び中国人に真相を伝える中での悟り

尊敬なる師父、こんにちは、同修の皆さん、こんにちは

私は韓国大邱(テグ)市の学習者、李正浩です。今年52歳です。
法輪功を修煉する前は、私はいつも友達と一緒に文芸娯楽、スポーツ活動に参加していました。それはある自由団体が開催したものです。例えば、コンピューター、東洋の刺繍、絵描き、気功、水泳、ダンス、登山などです。家庭主婦に相応しい活動なら、ほとんど漏れなく、私は全部参加したことがあります。お昼に友達と一緒にいるときは、とても面白く感じますが、夜家に帰って、外の夕日を見ると、心に憂いが満ちていました。そのとき、心の中に沢山の疑問がありました。例えば、私はなぜこうして生きているのだろうか? 私はこうして生きていなければならないのか? こんな生活は本当につまらない・・・。

2000年4月、私は同じマンションに住んでいる7、8人の友人と一緒に野菜を取りに山へ行きました。掘っていると、“山の上で無料で気功を教えているよ”と近くで話していた人の声が耳に入ってきました。“無料”この二文字が私の心を動かしました。なぜなら、現代は何でもお金を取るからです。無料なら、必ず無料の道理があるべきではないかと思い、自分の電話番号をその女性に渡しました。二ヵ月後の夜、ある男性から電話がかかってきました。「あなたは法輪功を知っていますか?」と私に聞きました。この男性はほかでもなく前に山で遭った女性のご主人です。「法輪功が中国で弾圧されていることは知っているけど・・・」と私は答えました。「明日から9日間の講習班がありますが、行きませんか?」と彼は更に聞きました。何も躊躇せず「行く」と私は言いました。機縁が熟しているかもしれない、このようにして私は2000年6月、法を得ました。

《転法輪》で師父は次のようにおっしゃいました。「“大法無辺”という言葉があり、どこまで修煉できるかは、あくまでもあなたの心の修煉次第で、忍耐力と苦しみに耐える力にかかっています。」《転法輪》このように、試練と魔難の中で、私はこの3年を歩んで来ました。この3年間、自分が本当に修煉することができるかどうか躊躇ったことがあり、修煉に入ったからには、歩んでいこうというような考えを抱えながら、修煉を始めました。三ヶ月の単盤(片足での座禅)の後、私は30分の双盤が出来ました。その後9ヶ月の45分の双盤を経て、私はついに一時間の双盤ができるようになりました。そのとき、「やったー!」と叫ぶほど喜んでいました。そして、大法にこれほどの威力があると驚きました。

世間には天にのぼる梯子があると思いませんでした。私は1999年の始めに乳ガンと診断され、その後9時間に渡る切除と整形復元手術を行いました。私は決して病気を治療するために修煉を歩んできたわけではありません。なぜなら当初、気功が病気を治療することができることさえも知らなかったからです。修煉する前は、私は全く生活に困っていませんでした。ただ好奇心を抱えて修煉の道を歩み始めました。

当時、私はカトリック教を信じており、しかも、昔洗礼を受けたことがありました。だから、最初は師父の法像と法輪図には大変警戒心を持っていました。にもかかわらず、私は順調に9日間の講習班を聞き終わりました。もし当初、これは厳粛かつ自分に厳しい要求しなければならない法門だと知っていれば、私はとっくにここから離れていたかもしれません。なぜ今まで修煉を堅持してきたかというと、私は大法に感動したからです。私は先史に師父に誓約したと思います。修煉後、だんだんと大法の内包を認識するにつれ、病院にも行きたくなくなり、甚だしきに至っては「癌」という文字さえも口にしたくなくなりました。このように、法輪功を修煉して以来、病院に行ったことがなく、薬もやめました。この三年、私は病院を訪ねたことがありませんでした。私の担当医師は私がすでに死んだと思っているでしょう。

修煉する前に、お金で手に入らない物はないと思っていました。美味しい物が食べられ、綺麗な服が着られ、病気もないし、これは最高な人生だと思っていました。今当時の考えを振り返ると、非常に馬鹿馬鹿しく感じます。同修が“常に「転法輪」を読むべきだ”と言っていましたが、私はいつも睡魔に妨害され、「食べたら寝る、寝たら食べる」のような生活を繰り返していました。私はこれを乗り越えなければならないと決意しました。このような気持ちで、「転法輪」を読みつづけてきました。一回読んだら、私の揺れ動いていた心が落ち着きました。話も少なくなりました。一人で家にいても、その孤独感やいやな感じもなくなりました。このように、15回「転法輪」を読んだ後、私は突然この本の価値に気づきました。私は自分が癌になったことを喜んでいました。さもなければ、修煉を始めることはなかったでしょう。そこから24時間自分を修煉者として厳しく要求しようと決意しました。しかし、振り返ってみると、私の決心はただ口だけに留まっており、行動に全然表れていませんでした。

法を正す時期の大法弟子として、師父は我々に三つのことをしっかりと成し遂げるようおっしゃいました:法をしっかりと学び、正念を発し、真相を伝えることです。師父はまた「修は己にありて、功は師にあり」ともおっしゃいました。私はまた一つの決心を下しました:毎日一講の転法輪を読み、2,3時間、真相を伝えることをし、二時間の煉功と四回の正念を発します。時には、自分の安逸心が出てきて私の修煉を妨害しました。より精進するために、私は現在毎日2講の転法輪を読んで、一日3回座禅をします。このようにして、安逸心はすぐに消えてしまいました。

大法を証明するため、私は自分に厳しく要求し、日常生活においてできるだけ節約し、家事をきちんと成し遂げ、他人に対していつも笑顔で接し、自分の貪欲を制約し、いつでも、どこでも他人が先、自分は後にするよう努めています。衆生を救うため、私は政府機関、銀行、学校、病院、駅前、バス停、スーパー、商店街、オフィスビルや公園など、人々が資料をゆっくり読めるところであれば、私は正念を持って気持ちをこめて資料を手渡します。このとき、受け取った人々はいつも「ありがとうございます、ご苦労様」と感謝してくれます。最初にチラシを配ったときは決まり悪く感じ、あるいは受け取らない人や、甚だしきに至っては変な眼で私を見る人に遭えば、人間の自尊を放下できないために、チラシを相手に投げたくなっていました。絶えず法を学ぶに連れ、私の心が常人に動じられなくなりました。真相を伝えるときに、私はいつも知らないうちに涙が流れます。外で資料を配ると、強烈な陽射しで皮膚が痛いほど照り付けられ、足も燃えるように痛くなりますが、家に帰れば何も無かったように、疲れも感じません。毎日睡眠時間が少ないにもかかわらず、よく眠れます。起床後、とても元気で疲れを全く感じません。

真相を伝えるときに、ある執着心を意識しました。
我々は心性修煉であるため、執着を意識したら、躊躇わずに取り除くべきです。取り除けば取り除くほど大法に同化する部分が多くなります。同修の間の矛盾が酷くなると、私はまだ修煉を続けるかどうか、ということまで考えていました。心の中で、あんな人がどうやって修煉できるのか? 彼の言動は全く修煉しているように見えない・・・。などといつも思っていました。自分の身にあった岩石が見えず、かえって他人の身にあった一粒の砂の方がはっきりと見える私は、長い間同修との間の矛盾に悩まされていました。この魔難を如何に乗り越えるか? 実は周りの環境は既に按配してくれていました。ただ自分が常人の執着を放下することができなかったため、疲れを感じたに過ぎません。

師父はこのようにおっしゃいました。「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修煉し、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません。」しかし、私はある時期に、内に向かって探しておらず、法の上に法を認識していませんでした。また絶えず法を学ぶことを通じて私はついに分かりました。同修の間にも因縁関係があり、しかも同修の間に修煉の要素が存在しています。今回のことで私は自分の内に向けて探すということが分かり、多くのことを悟りました。この法を得るのは簡単なことではありません! 矛盾の中で、私はなんとすべての責任を同修に押し付けていたのだろう。師父は「相手の良いところを多く見て、良くないところをあまり見ないほうが良いのです」《2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説》とおっしゃいました。我々の修煉できた部分はすでに同化され、隔離され、まだできていない部分だけが表にあらわされています。これはほかでもなく修煉そのものであるとついに分かりました。私が言ったことは自分を照らしている。他の人が言ったこともその人を照らしている。話したあらゆることは結局皆自分に返ることになる。このように考え、私はこれからできるだけ少なく話すことにしました。

中国の吉林省、黒龍江省、青島などに私の沢山の親戚が住んでおり、叔父さんに電話をかけると、「法輪功をやらない方がいいよ」と言われました。韓国の従兄弟は、私が法輪功を修煉していることを知っていたので、「お姉さん、中国の親戚に法輪功をさせないで、さもなければ、彼等が迫害されるよ」と大きい声で叫びだした。にもかかわらず、私は真相を伝えることを止めませんでした。

去年の夏、中国の青島に住んでいる従兄弟夫婦が親戚訪問で韓国を訪れました。私が法輪功をやっていることを彼らに話すと、邪悪な宣伝に迫害された彼らは「それは大変だ!」と叫び続けました。このとき、私は正念を発し始めました。まもなく、彼らは安静になりました。そして私は真相を伝え始めました。私が言い終わると、「実は私は法輪功が弾圧される前に私も一冊の転法輪を友達からもらったよ。でも弾圧後、圧力が大きかったので、転法輪を読みそびれました。今度帰ったら是非読んでみたい。」と奥さんは言いました。ご主人は党の幹部であるため、私達の話を聞いただけで、何も言いませんでした。

より多くの韓国に在住している中国人に真相を知ってもらうため、私はテグ市で中国人を探し始めました。アルバイトをする人、学生、教授、講師、皆私が探す対象です。大学、中国語学校、工事現場、中国人食堂、中国人が現れる可能性のあるところを私は一歩一歩足を踏みしめました。言葉の問題で中国人と直接話すのは困難なので、私はただ資料を手渡しするだけです。資料を受け取ったら、感謝をした人がいれば、驚愕した人もいます。とにかく、韓国に法輪功を修煉する人がいること自身も彼らにとって驚く事実だと思います。ある日、一人の中国人が韓国語で「私の中国にいる親戚は法輪功をやっているよ」と私に教えてくれました。「実は韓国で沢山の人々が法輪功をやっています。」と私は言いました。興奮して知らないうちに彼の手を掴んでしまいました。当時の場面を思い出すと本当に笑いが出ます。

ある日、一人の朝鮮族の人が修煉したいと言いました。私はすぐに転法輪とビデオテープを渡しました。当時の感動的な気持ちは言葉では言い表せません。

私は中国商店でアルバイトをする人と友達になれるよう努め始めました。友達になったら、いろいろな話をすることができるようになる。いろいろな話をしているうちに真相を伝えると、相手も真相を受け入れやすくなります。また、中国人市場に買物をしに来る人に真相VCDを配るのもやりやすくなります。

最近、私は入国管理局の入り口で入管に出入りしている各国の人々に真相資料を配り始めました。毎日30〜40部の資料を配ります。入管に来た中国人の中には大法を反対する者もいました。口で反対すると言っていましたが、真相資料を漏れなく全部持ち帰りました。

同修の間で大忍を成し遂げるのは最も難しいのです。自分の観念に合えば、この人の修煉はよくできており、自分の観念に合わなければ、この人の修煉はまだよくできていないと、いつも自分の偏見で同修の修煉状態を判断します。その執着心が無ければ、あなたは聞こえるわけがなく、見えるわけもないと悟り、実は今までの修煉は本当の修煉とは言えず、私はひたすらに形式を重んじていました。これから、師父の「佛法修煉においては勇猛邁進しなければなりません。」この言葉を心に銘じて着実に修煉していきたいと思います。

自分の修煉の道に自分自身の向上と関係のないことを師父は按配しません。同修の間に矛盾が生じたときでも、師父の法の「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」、「われわれ一人一人がみんな内に向かって修煉し、一人一人がみんな自分の心性から反省するようにし、うまく行かなかった場合は、自分に原因を探し、次回はうまく行くよう努力し、何をしても人のことをまず考えるようにします。」《転法輪》を自分の行為に照らさなければなりません。

2003年7月、ワシントンDCで師父が演壇に上られたときから演壇を後にするまで、私はずっと涙が出ていました。今後自分の修煉に責任を負い、法を正す最後の道をしっかりと歩んでいきます。

私達は法の粒子として共に精進し、功成って圓満成就できるよう希望します。この機会を利用して、私の修煉の諸方面において暖かく支持してくれた夫と息子、および無私無我で助けてくれた同修に感謝の意を表します。

最後に、最も純粋な心で宇宙衆生のためにすべての心血を注ぎ尽くしてくださった師父に最も崇高な敬意を捧げます。

師父、ありがとうございました。
皆さん、ありがとうございました。