日本明慧


正念で邪悪を拒む

文/大陸大法修煉者

【明慧ネット2003年10月25日】2002年6月、洗脳クラスで私は法を師とし、決して邪悪に協力せず、師尊の加護の下で、正念を持ち洗脳クラスから出て、法を正す大きな流れに身を投じた。現在衆生を救い済度するために私の遣るべきことをしている。

2003年3月、邪悪のリーダーの後をついていき、江氏集団の命令に積極的に賛同する警察派出所所長は私を洗脳クラスに連行するために、一群の者を連れて私の家に駆け込んだ。当時私はずっと正念を発していた。彼らが私を連れて行くことができないように、彼らがすぐ離れるように正念を発した。また師父に私を加持していただけるようお願いした。私の家族も邪悪に協力しなかった。彼らが私を連れていけないようにした。特に私の80歳の姑はきっぱりと悪人たちに話した。「貴方たちが彼女を連れて行くと、私は貴方たちの前で死ぬ」と。師父の加持と私の正念、そして家族の正気に対し、悪人はしょうがなく、すごすごと立ち去った。

2003年9月中旬、悪人は住民委員会に指令を出して、一人一人を厳しくチェックし、悪人は更に卑劣な手段を使って、住民委員会主任が書いた“懺悔書”に私の名前を書き、一人の同修の家に入り込んで(この同修は私と同じ住民委員会に住み、すでに流浪していた)、“懺悔書”を持って、彼女の母親に厚顔無恥に言った。「XXも既に書いた、貴方も貴方の娘の代わりにサインしなさい」と。同修の母親はそれを信じて、“懺悔書”に同修の名前を書いた。

2日後、住民委員会主任は“懺悔書”を持ち、わが家に行き私の旦那に(そのとき、私は地方で仕事をしていた)私の代わりにサインするよう求めた。私の旦那はサインしようとしなかった。私は家に帰ったとき“懺悔書”を破った。その後、また連続して数回にわたり、我が家に来たが私に逢えなかった。最後の一回は夜9時過ぎても彼らはあきらめず、また我が家に来た。ちょうど私と逢ったが、私はこれがまさに彼らに真相を伝える良いチャンスだと思った。私は自分が法輪功を修煉してからの心身の変化、師父の私たちへの教え、及び私たちがどうして真相を伝えているかなどについて彼らに細かく説明した。そのとき、私は師父がずっと私を加持していると感じた。私はあまり知識がないが、話すとき考えの筋道が立て板に水を流すよう、絶え間なく沸いてくると感じた。彼らもずっとまじめに聞いた。私の人を救い済度する慈悲の心と善の心が彼らを感化した。私の話が終わった後、彼らはこういった。「私たちもわれわれがこうするのは誤りであると分かっている。私たちは只任務を完成するためだ。他に方法がない」と。私は彼らに偽であることはしないよう、私たちが良い人とわかった限り、どうしてまた邪魔にくるのか、あなた方は精力を人民のために、社会風紀を転換するために、精神文明の建設のために、同時に貴方と貴方の家族の幸せのために使い、いいことをすべきじゃないか、私からサインを求めることはあきらめるしかないと言った。私がどうしてサインしないか、どうしてこんなに堅いかについて私は彼らに私の修煉の中での出来ことを教えた。

97、年私が法輪功を修煉してからまもなく、ある夜電気がなく、私の息子は机の上にろうそくを置き、火をつけたまま寝た。その後、蝋燭がテーブルの表面を燃やし、テーブルの表面に大きな穴が出来たが、引き出しの中の紙は燃えていなかった。そうでなければ大きな火災が起きたはずだった。もう一回は99年冬のことだが、家庭での矛盾で私は旦那と論争が絶えなく、師父が悟りを開かせても悟らなく、その結果雪積もる大地で走って転んで、左手の手首が脱臼した。私は病院に行かなかった、当時腕全体がとても腫れたが、しかし私は悟った。まもなく手首は治療しなかったが治った。2002年春、私が洗脳クラスに監禁されているとき、悪人たちは壁に大法を誹謗する宣伝画を掛けた。当時私の一念は宣伝画を破ったあと脱出することだった。私は悪人が注意しない間、素早く宣伝画を破った。しかし自分の心性の問題で、慌てて塀を越えるとき左足が骨折した。洗脳クラスの医者は病院に行って治療しないと足を切るしかないといった。私は病院にいかなく、師父の加護の下で、まもなく私の足は完全に回復した。私のこれらの事例を聞き、彼らは言える言葉がなく、“懺悔書”を持ってかえるしかなかった。

悪人が私にサインを求めるのは私に漏れがあるからであった。今回の真相説明を通して、私は深々と体験した。「私の回りで何が起きたとき、私たちが正念で正い行いをすると、師父の教えに従い厳しく自分を要求すると、救い済度できる生命を救い済度できるだけでなく、邪悪も猖獗できない、これが正念の威力だ」と。