出発点を正しく整えることができたのは、境地が昇華した表れである
2003年11月5日 文/大陸大法弟子
【明慧ネット2003年11月5日】最近私は大法の同修が書いた一つの文章の中にこのような一段の話があることを見た。「堂々とした一人の大法の弟子として既に四年が過ぎた今もなお、どうして自分に最も親しい身内にさえ真相をはっきりと説明できないのだろうか?それとも恐らく自分自身がゆがんでいるのではないか?師父に対して、法に対してあまりかたく信じていないのか、自分の身内に対して勇敢に直面する勇気がないのか、あるいはその他に何らかの観念の障害が自分にまだあるのか、どうして勇敢に向き合って突破しないのだろうか?このようにして新しい宇宙の防衛者になれることができるのであろうか?」同修のこの話は深く私の心の奥底を打った。自分にはずっと法は学んでいる、正念も発している、真相を伝える事もしている、正法の道でますます堅く歩んでいると思い、自分では修煉がまあまあよくできているとずっと思っていた。でも見たところこのような事ではない。
もう一つの例がある。二人の同修が相談していた。「大法が迫害に遭い、師父は誹謗されいる。私達は公平な話を言わなければならない。」しかしその中の一人は自分が円満するために陳情に行った。天安門広場で、その法を実証するために陳情に行った大法弟子は警官に一足蹴られて、「家に帰って煉功しろ、ここに来て何の煉功だ?」と言われた。しかし、他の一人はつかまれる時、「私達は一緒に来た......」と言ったが、警官は返って、「誰でもない,あなたをつかまえる」と言ったという。表面の上で見れば法のために公平な話を言っている人に、警官は家に帰って煉功しろといい、自分の円満を目的に行った人には、警官は返ってあなたをつかむ言っただけだが、個人のために私のための思想はすでに邪悪の隙に乗っ取られ、個人私のための思想を抱いて出てきた者は、実際には人の中から本当に出てきていないのだ。
私は1997年、心臓病の治療のために大法に入った。法の勉強を通して、だんだん師父は人を済度していらっしゃる方だと分かった。97年私が法を得た時、私は全家族から煉功するように言われた。98年夫も煉功していた。しかし99年7.20後、夫は煉功を止めた。全家族も私に煉功を止めるよう求めた。私はその時二ヶ月の間半信半疑になり、99年9月末になって、自分の心臓病が再発してから、私は初めてやっと師父のおっしゃった話はすべてちゃんとした意義があることに目覚めることができ、その時から、私は師父をかたく信じ、大法をかたく信じるようになった。その時夫は私が法を学び、煉功することさえ見れば、手を挙げて打って、口を開いてののしった。2002年になってからは、私が煉功しても打たないようになったが、ずっと邪魔をした。今年春節になってやっと邪魔も起こさないようになった。夫は私が固く決心したのだと言って、家族の誰の話も聞かないで、ただ法輪功を信じている、いずれ刑務所に入るだろうと言った。数年来、私がどのように家族に真相を言うのにも関わらず、彼らは受け入れないで、テレビから深く洗脳を受け、全家族は大法を知ることができなく、真相を知ることができなくて、情が動き、私はこのために泣いたことがある。
同修の文章を通して私は突然心の中が明らかになった。私は修煉の中で出発点をきちんと置くことができなかった。それで私の最も親しい人に大法を知らせることができなく、しかも私の修煉対しての邪魔も大きかった。私の以前の出発点はしっかりと修煉さえ積んでいればこの世の中の苦しい境遇を離れることができたのであったが、同修達の文章を通って、心の中に自分には修煉の中で無私無我ができていないことが分かった。今私は出発点をきちんと置き、それはつまりすべて衆生を救うため、師父の正法を助けるためである。私が出発点をきちんと置いたその日から、全家族も私に対する態度を変えて、大法の真相に対する認識は当日に変化があった。師父はおっしゃった:「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きたすべては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。」(《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》)
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