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唐山開平労動教養所は崔玉蘭を迫害して死なせた後密かに遺体を火葬して真相を隠した

【明慧ネット2003年12月5日】河北省廊坊市の大法弟子崔玉蘭は、大法を堅く信奉したため、不法に労働教養1年を言い渡された。その後2000年10月に唐山市開平労動教養所へ送られた。2001年の春、開平労動教養所から親族に彼女を迎えに来いとの電話があった。しかし彼女を迎えようと駆け付けた親族が目にしたものは崔玉蘭の骨箱だった。凶悪な警官は死亡時間や死因について、労動教養所は家族に何も知らせなかった。更に迫害の真相を覆い隠すため、密かに遺体を火葬した。

2000年9月、河北省廊坊市公安局の1処処長の楊華は、凶悪な男性警察Yan鎮と馮に指示して、河北省廊坊市の統一建設ビルの家から彼女を拉致して、家宅捜査した。ところが彼等は望む証拠が得られなかった為、強制的に彼女を河北省香河県留置場に1ヶ月間拘禁した。それ以前の8月にも凶悪な警察は勝手に家宅捜査をし、崔玉蘭を拉致して拘禁しようとしたことが有った。廊坊市公安局の1処処長の楊華(女性、30歳余り)は、過去何回も大法弟子への迫害を指図したことが有る。

大法弟子の崔玉蘭は堅く大法を信奉したため、悪警官に不法にも労働教養1年の判決を言い渡された。その後2000年10月12日に香河留置場から唐山市開平労動教養所へ送られた。労動教養所の中でも彼女の意志は非常に堅かった。4班の60歳余りの大法弟子と共に断食を行い迫害に抗議した。その後9班に送り込まれ、最初は少量の食事を取るようになった。しかし、唐山開平労動教養所3隊の凶悪な警官が食事に何かの薬を入れた。すると食後から、彼女はお腹を壊して下痢をし始めた。しかしその後の情況については詳しく知らない。

2001年の春、親族は開平労動教養所から彼女を迎えに来いとの電話を受けた。親族が急いで駆けつけたが、労動教養所から渡されたのは崔玉蘭の骨箱と返却された服と組布団だった。それ以外、いつ死んだのか、どういう風に迫害されて死に至ったのかに関しては一切教えてくれなかった。そればかりか悪警官達は真相が発覚することを恐れて、密かに遺体を火葬した。その後ある人が「崔玉蘭はどうなっているの?」と聞いたら、唐山開平労動教養所の3隊の悪警察周というリーダーは「彼女は家に帰った」と嘘をついた。技師を務めている崔玉蘭の夫である馬騰山は迫害に巻き込まれることを恐れて、彼女の死因に対して何も言い出せなかった。大法弟子崔玉蘭が悪警官に迫害され死に至ったニュースは、数ヶ月後にやっと内情を知っている者によって暴露された。