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迫害され障害者になったハルビン工業大学のポストドクター林燕清がずっと拘束されており、妻と娘も流浪している

【明慧ネット2003年12月4日】 ハルビン工業大学のポストドクター林燕清は信仰を堅持したため、迫害されて障害者になった(両手に三本の指しか残っていない)。しかし、邪悪者は林燕清に対する迫害を止めず、何回も彼を捕まえ、拘束したり、洗脳班に送ったり、ポストドクターの資格を取り消したり、労働教養させたり……、林燕清の妻と娘(1999年4月生れ)、叔父叔母も皆大法弟子であるが、皆酷い迫害を受け、2001年5月にやむを得ず故郷を離れて北京に行き流浪し、落ちつき先がなくなった。

林燕清の写真 林燕清と妻との写真 林燕清の娘の写真

以下は彼らが迫害された情況である:

林燕清、男、1971年生れ、ハルビン建築大学(この大学は2000年5月にハルビン工業大学と合併した)の建築工程学院(合併後は土木工程学院となった)の工程力学ポストドクター交流センターのポストドクターであった。林燕清は1996年(博士在学)の時「転法輪」を読んで、人生の真諦が分かり、法輪大法の修煉を始めた。真善忍の法理は彼の心を浄化し、思想境地の向上は博士過程の勉強と学術研究を大きく促進させた。1998年、自分の法輪大法の修煉体験を書いて、自分が勉強している学院と大学の指導者達に報告し、法輪大法が修煉者及び人類にもたらした利益を紹介し、法輪大法の素晴らしさを正しく理解させた。

法輪功が迫害されてから、林燕清は法輪大法の修煉者として、法輪功の真実を良く知っており、江XXの天地を覆うような無実の嘘の宣伝に直面して、彼は良知と善良を持って国家最高機関に法輪功の真実情況を反映したが、様々な妨害を受けた。例えば、1999年10月に陳情に行こうとしたが、ハルビン駅で大学から派遣された人に阻まれた。

2000年1月、林燕清はついに北京へ陳情に行ったが、法輪大法弟子を逮捕するために北京に駐在している黒龍江省の警察に強制的に北京に駐在しているハルビン市公安局の事務室に連行された。大学側は警察の要求により保衛課の副課長李東彪などを派遣して彼を引き取りにいった。林燕清はハルビンに護送される途中に、審陽に着いたらちょうど深夜になったので、機会を見て脱出した。切符がなく、2000元のお金や身分証明書なども李東彪らに没収された。(お金は最後まで返されかった。このお金は出張の費用とされたそうである。身分証明書も現在まで返さなかった。)彼は再び捕まえられないために、鉄道に沿って、北京方向に向かって歩き始め、どうしても北京に行って陳情し、自分の本音を言いたかった。当時は北方では一番寒い季節であり、また夜だったので、朝まで歩いたら、手、顔、耳などが凍傷になった。やっと北京にいるお父母の家に着いた。家人は彼を北京鉄路建築総会社病院の外科に送ったが、公安人員は病院まで追跡して来た。林燕清の負傷の程度がひどいのを見て、一時捕まえなかった。治療過程において、林燕清の顔や耳などは非常にうまく回復したが、両手はなかなかなおらないので、病院側は切断する治療方法を提出した。林燕清と家族はそれに同意しなかったが、最後は凍傷があまりにもひどいため、7個の指が壊死した。

自分の国家に意見を述べ、事実の真相を反映することは、憲法で定められている公民の権利であるが、林燕清は陳情のために巨大な代価を払った。当時大学の一部の幹部(前ハルビン建築大学の党委書記であったが、現在はハルビン工業大学の副書記である孫和義等)は、林燕清が凍傷して障害者になった責任を法輪功のせいだと言ったので、真相を知らない一部の人は法輪功を憎み始めた。事実は明らかであるが、江XXが法輪功を無実に弾圧しなければ、林燕清は平和に陳情することはなかっただろう。正常な陳情が禁止されず、陳情者に対する迫害がなければ、林燕清はハルビンに護送される途中に逃れて凍傷して障害者になることもなかっただろう。このすべての原因は悪人の首領である江XX及びその共犯者である。江XXと彼に支配されている610の犯罪者の命令で、中国大陸及び全世界の大法弟子はさまざまな程度に迫害され、影響を受けた。同時に江XX集団は、中国人民と全世界の人民を騙しており、この勘定を江XXとその共犯者は精算しなければならない。

法輪功の真相を上部に反映させるために、2000年5月林燕清はまた国家陳情事務所に行ったが、願いがかなえられなかった。陳情事務所の周囲にはたくさんの警察がいたので(各地から派遣されて来た公安人員)、陳情する人が事務所に入るのは非常に難しく、陳情事務所はすでに法輪大法弟子を逮捕する場所になって、林燕清が着いたら、すぐに北京に駐在しているハルビン公安局の人員に発見されて、手錠をかけられてハルビンに護送された。大学側は彼に保証書を書くように圧力を加えた。

2000年10月、林燕清が上海での学術会議から大学に戻ると、大法のネットを読んだ理由でハルビン公安局に捕まえ、研究室のコンピュータも没収され、ハルビン南崗区留置所に一ヶ月以上拘束された。この期間に、林燕清は肉体的、精神的に苦しめられ、顔が殴られたり、数日間連続して鉄椅子に座らせられたりした。彼の母は福建の実家からハルビンに来て、障害者になった息子を救出するために、あちこち人に頼んだり、贈り物をしたりしたが、息子に会う度にお金を使って融通しなければならなかった……。最後に公安局は3千元の金を払って、尋問待ちの形で林燕清を釈放した。しかし、大学は林燕清の学術研究を中止させ、公安局は彼が北京の自宅に帰ることを禁止し、彼を福建省の故郷に送って監視の下で住ませた。李東彪ら2名の警察(もう一人はハルビン公安局の人)は、林燕清を故郷に送還したが、彼らの飛行機代など費用を林燕清の家族に負担させた(林燕清の母親に直接請求した)。林燕清が迫害される度に、警察は公然とまたは密かにお金を要請したので、林燕清の母親は息子を救出するために数万元のお金を使い、林燕清の家庭に巨大な経済負担を負わせた。

林燕清は福建省泉洲市の故郷に住んでおり、生活上では両親と弟が面倒を見てくれたが、彼の情況は非常に苦しかった。地元の警察が何時も騒がしに来て、彼の行為を監視しているため、自由がなくなった。一方、自分が好きな研究の仕事が継続できず、妻や子供とも長く会えなくなり、家庭がバラバラになる苦痛に耐えなければならず、最後には連絡まで取れなくなった。林燕清の妻も大法弟子で、1999年7月20日後も法輪大法の修煉を続けているため、2000年末には勤務先から強迫されて辞職書を書かされ、彼女の書類を北京人材センターに送り、彼女の仕事を辞めさせ、住宅も勤務先に回収された。林燕清の叔父叔母は定年退勤した大法弟子であるが、法輪大法を修煉し、平和的な方式で大法を実証したため迫害された。2001年5月林燕清の妻、娘、叔父叔母は北京を離れて流浪しなければならなくなり、定年退職金まで中断された。

2002年中国の正月の直後、北京の国家安全局、派出所及び勤務先から構成された特別案件処理組織は流浪している林燕清の妻、娘、叔父叔母を捕まえるために福建省にいる林燕清を訪れた。地元の派出所の邪悪な者は積極的にそれに力を合わせて、林燕清を家から強制に連行して行った。また、林燕清の家人を家から追い出して、手がかりを探すという口実で家を不法にひっくり返し捜査して、携帯電話や林燕清の娘の写真まで持って行った。それからまた、林燕清の親戚にも尋問し、人がいない家は、ここに隠していると言いながらドアを破って入った。林燕清が拘束されている時、林燕清の叔父叔母の勤務先の党委事務室主任である謝紅風(発音)は林燕清を騙しながら、「奥さんはすでに捕まえているのに、お前はまだ彼女らの住むところを教えないのか?」と言った。林燕清は、「それでは彼女に、もし私が死んだらあなた達が迫害したのだと伝えてください。」と言った。林燕清は絶食で悪人の迫害に抗議したが、11日後釈放された。娘の写真がなくなったので、娘が恋しく、2才未満の子供なのに両親を離れて、たぶん両親の顔まで覚えていないだろう。

林燕清の指導教官と知り合いの人達は、だれもが林燕清は研究型の人物であると言った。迫害されて指は3本しか残ってない(右手の母指、左手の母指と指し指)ため、生活や仕事に非常におおきな不便と困難があるが、かれは粘り強く超常的な意思と智慧を持って学術研究を続けた。迫害されて何度も中断されなかったら、ホストドクターの研究はとっくに終えていただろう。迫害される情況においても、林燕清は2000年末、故郷に送られる前には彼の研究の進度と国内国外の雑誌で発表した論文と学術レベルはすでに基準要求に達し、最後の発表しか残っていなかった。林燕清は指導教官と大学からの許可を待ち、大学に戻ってポストドクター論文の最後の仕事をするつもりだった……。しかし、2002年10月林燕清が受けたのは、大学から福建省泉州市に送る戸籍証明と泉州市人事局に行って就職手続きをする知らせだったが、知らせを出した日付は7月だった。その意味は彼のポストドクターの研究は完全に中止され、ポストドクターの資格も取り消されたのである。国の発展に人才が必要の時期、現在中国大陸では数少ないポストドクターをこのように対処するのは、彼は他でもない法輪功の学習者だからである。また、同じ理由で泉州市人事局は彼を受け入れず、泉州市公安局に行っても戸籍の手続きをしてくれなかった。

2002年10月末、林燕清は公安局の派出所に真相を説明して、正常に手続きをしてくれるよう要求したが、悪警察は仕事を妨害すると理由をつけて彼を監禁し、彼に洗脳を始めた。24時間連続的に監視し、大法を汚すビデオや資料を無理やりに見せ、彼の信仰を放棄させようとした。林燕清が抵抗したため、洗脳されなっかた。彼は林燕清を2ヶ月半拘束してから、不法に3年の労働教養をした。林燕清はこれに対して上訴し、家人も再議することを申請したが、誰も受け入れなかった。2003年1月、林燕清は福建省福州快安路47号にある魯江麻薬禁止労働矯正所に送られ、労働矯正所で林燕清は強制に洗脳されたが、彼は抵抗を続けた。2003年7月彼は第9中隊に送られた。

林燕清はすでに両手が不自由になっているので、労働矯正所の環境での立場の苦しみは想像できる。ある日、林燕清の母が見舞いに行って、どのように着物を洗うのかと聞いたら、足で洗うと答えた。お母さんは泣きながら労働矯正所の人に、「私も監禁してください、息子と一緒に牢屋に入って、息子の面倒を見て上げたい、私達親子を一緒に入れてください」と叫んだ。息子の遭遇は母の心を揺らした。林燕清の両親はすでに白髪になり、母は通夜し眠れなくなり、両親は息子と一緒に生活する事が出来なく、孫に会うことも出来なくなった。中国大陸ではこのような悲劇がまだまだ続いており、たくさんの大法弟子が信仰のために迫害され、数え切れない大法弟子が迫害されて死亡し、たくさんの親戚が連座され、母が子供に会う事が出来なく、子供は両親に愛してもらえなくなり、家庭が迫害されてバラバラになっている。

このような全く人心がない迫害を続けることは許されない。善良がある人々に呼びかけます、正義の手をさし出して援助してください、このすべてを引き起こした邪悪な江XX及びその共犯者達を歴史の法廷に送り、一日も早くこの人類の災難をやめさせましょう!

注:現在林燕清を迫害した悪人や職場の電話番号、ファクスなどを確認する事が出来ないので、地元の大法弟子にそれを調べて明慧ネットで公表してくださるよう願います。

林燕清を拘束している労働矯正所の住所:福建省福州快安路47号魯江強行労教管理所第9中隊(〒350000)
第9中隊隊長:胡波 1360886642
福建省泉州市鯉城区公安局 政保科 呉科長
林燕清は福建省泉州市鯉城区法廷で不法に3年の労働教養の判決を受けた。

林燕清の岳父岳母の前職場の電話番号:
中国鉄路建築総会社総病院の電話番号の問い合わせ:010-51888114
中国鉄路建築総会社総病院の中継:010-68666288
中国鉄路建築総会社総病院の党委事務室:謝紅風 010-51880203(自宅)
中国鉄路建築総会社総病院の院長:殷瑞 010−51888980(自宅)