日本明慧


全ての財産を奪い取られ、一家3人が冤罪に陥る

【明慧ネット2003年12月13日】私は今年33歳で、条件の悪い高山の上に住んでいる。30歳が過ぎてやっと家庭を持ちました。1997年、私の母が法輪功を習い始めました。そして98年に母は私に大法の本《転法輪》を見せました。私は本《転法輪》を一回読んで、法輪功を学び始めました。そして宇宙の特性である“真、善、忍”に基づいて、良い人間になろうと思いました。大法は以前の私の悪いところを全て変えてくれました。

99年、法輪功が迫害を受けると、2000年2月母は北京に行って政府に:“法輪功は素晴らしいです。”と説明しました。すると家に人が誰もいないにも拘らず、郷政府(村役場)から人が来て家に有った全ての物を奪い取って行きました。すべての財産と生活用品を含んで全部奪い去られました。

家のテレビ、テープレコーダー、扇風機、ディーゼルエンジン、電気炊飯器、100メートル余りの長いのり管、ソファー椅子などを郷政府はその場で他人に売り付けました。そして邪悪な郷政府の者たちは奪い取ったけど売却出来ない物、貯蔵していたベーコン、ソーセージ、ラード、菜種油、石鹸、食塩、飼っていたニワトリなどを山分けしました;種用の様々な穀物の種さえ彼らに奪われ捨てられてしまいました。彼らは一台の大きいトラックに私の家のものを全て詰め込んで、奪い去って行きました。

郷政府の悪人に家のものを奪い取られていた頃、私は山で畑仕事をしていました。家に帰って目に入った物はぼろぼろになった扉とがらんとした部屋でした。全てのものがなくなっていました。

私は郷政府に行って彼らと話しました:私はご飯を炊いて食べなければなりませんあなた達は鍋とラードを私に返して下さい。すると彼らは私に鍋を返さないばかりか、スタッフ一人が私にビンタを張りながら怒鳴りました:あなた偉いね、偉いんだから北京を行ったら、私が交通費を出してあげるから!

顔は打たれて腫れ上がりました。家に帰って来て一晩中座り込みました。翌日、私は200元のお金を借りて、北京に陳情に行きました。2000年3月、郷政府、派出所は私を拘束して帰り、郷政府の臨時刑務所に閉じ込めました。私は18日間拘禁されました。私の母も派出所に20日間拘禁されていて、私達二人はやっと家に戻されました。しかし家には何もありませんでした。家庭の条件が悪いために、畑に頼って生活を維持していたのに種もなければ、仕事に必要な道具さえありませんでした。今4年近くになっていますが、私達の家の生活はきわめて苦しいのです。法輪大法は私達に幸せな家庭をくれましたが法輪功を迫害した悪人は私達の家を壊したのです。

2000年の10月、私は同郷の人達に真相を説明して、迫害を暴き出したことで郷政府の邪悪のやからに労教所に入れられ1年半苦しめられました。私の母は何枚かの真相資料をもらいましたが字が読めないため、他人に上げました。郷政府の悪人はこれを知って、私の母を2年間も楠木寺に入れて苦しめました。

私と母は労教が満期になって家に帰ってからも、随時監視されていました。2002年3月末、私は電柱に“法輪大法は素晴らしい”と書いたので、また悪人が拘束しに家に来ました。当時私は家にいなかったので、彼らは私の母を市の麻薬中毒回復所に監禁しました。そして私の妻と義母を留置場に入れました。刑務所の中で彼女たちは絶食抗議した。一ヶ月後彼女たちはやっと家に戻されました。私の逮捕を企んで三日三晩、悪人は私の家を囲んで、私が家に帰えれば即逮捕するつもりでした。郷政府の入り口には、私を見つけて告発したものは賞金500元、私を捕まえたものには1万元の表彰がもらえると言う通告を張り出しました。私は路頭に迷ってしまいました。

1年余り、私は商売をしました。妻は刑務所から出てきても、悪警に監視と追跡をされていました。2003年6月24日、妻は働きに出て行くと、26日、郷政府の悪警は妻を捕まえに彼女の実家に行きました。ところが妻がいなかったため、義母を引っ張って行こうとした、その時ある悪警は拳銃を岳父に向けたが岳父は毅然として:“撃てよ、あなたが撃たなければ俺が撃つよ。”と大声で言った。するとその悪警は畏縮しました。義母はその時、何人かの悪警に車に押し込められ連れ去られて行きました。消息筋によると彼女は人を苦しめる「巣窟」—楠木寺に送られたそうです。

2003年6月、私と妻は仕事から出産のために家に戻ろうとした時、途中で悪警国安チームに逮捕されました。私が所持していた2600元のお金と携帯電話、服、布団など全部奪い取られて、私は楽石柱山の刑務所に拘禁されました。そして、邪悪は私の妻を病院へ送って強引に流産させようとしましたが悪人の狂気の沙汰にも関わらず子供は無事に生まれてきました。邪悪の国安チームは私から奪い取ったお金と物を持ち帰って、私の所持品から大法の本と宣伝ビラを探したという誣告をして、私を罪に陥れました。巧みな名目を作り、区裁判所は不法に私を4年の刑にしました。