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一種の政治的文化となった“憎しみ”という存在

【明慧ネット2003年12月4日】カナダの《華僑時報》が法輪功を誹謗中傷したことで、名誉毀損により学習者に訴えられたが、この一件は江沢民政権の法輪功に対する憎悪が、海外にも深く伝播していることを現している。例えてみれば、今日の中国の脈をとってみると、意味不明な法輪功に対する“憎しみ”が流れていることを感じ取ることが出来るであろう。また、法輪功問題に関する政治的圧力が、至る所に蔓延していることも発見できるであろう。

先日、北京の養母と養父に電話を掛けたところ、わたしの古い同級生が度々も電話を掛けてきては、「一連の事件に関するメールを送らないよう、わたしに伝えてほしい。既に決定されたことであり、信じる人はいないので、そう説得してほしい」と言ったという。かつて、とても親しかった親友が、わたしへ直接告げることなく、他人を介すということは、いかなる心境によるものであろうか?

四川東部の小さい町の中学校で、教員として歴史を教えている家族によると、政治科目で法輪功を批判するだけではなく、歴史科目でも批判するように要求されているという。授業の中で、生徒たちは彼らの信頼する教師から、江沢民政権によってねつ造されたものを教授されたならば、子供たちの心には、法輪功に対する憎しみというものが、いかに植え付けられてしまうことであろうか。就職、入学や入試、ひいては出国の際も法輪功問題が絡むならば、常に政治的圧力に直面するということになるのではないか。江沢民政権は、なぜ憎しみに満ちた宣伝をし、非合法的で民衆との関係を絶つような弾圧を行うのか。

この二十数年以来、共産党の矛先は、民主化運動、チベット独立、台湾独立、自由化など、平和的な変遷に向いていた。領土問題では、国民と政府は一定の共感を持ち、経済の自由化に対しては、人々は不確実な不安感も持っていたが、これらの問題について批判するときには、共産党は、中国特有の“民衆とのつながり”を持っており、容易に動かすことが出来た。

法輪功は一般に伝えられてからというもの、その高い病気治療効果と道徳の向上という精神的な求めにより、急速に広がっていった。政治目的のない平和的な集まりを弾圧するということは、江沢民氏に最も欠けているところの“民衆とのつながり”である。

1999年4月天津警察署が学習者を逮捕したことにより、一万人とも言われる法輪功学習者が北京へ陳情にいく発端となった。政府は、「気功を禁止したことはない。平常通り煉功をしても問題ない」と通知し、民衆を慰めた。ところが、3ヶ月後には、江沢民氏は独断専行により、弾圧を開始した。当然のことであるが、人々が容易に受け入れることなどはない。そのために、誹謗宣伝を利用し“憎しみ”を煽動することが、江沢民政権の執る唯一の手段となった。

1. 弾圧には道義的規範がない

他の政治団体と異なり、法輪功は政治には関わらない。“真・善・忍”を根本とし、人に良い人になるよう教え、理論だけではなく、学習者は自覚したうえに実践している。誠意、寛容、忍耐、飲酒や喫煙をせず身体への害毒を戒め、賭け事を戒め、賄賂はせず、婚姻は専一、慎みまずは他人のことを思量する…社会に対して不利益なことなど一つとして無く、社会道徳にも貢献するものである。江沢民政権は、このような“精神文明”の模範に対しても、手を下そうとするなど、全く合法性がなく、さらに弾圧を維持するために、誹謗中傷や各種のねつ造を行い、憎しみを拡散させると言った手段を使った。

2. 江沢民政権が発動した運動は如何に目的を達成したのか

無数の政治運動を経験した中国人は、血生臭い宣伝文句に対しても、かなりの免疫性があるはずである。今回の法輪功に対する迫害の中で、江沢民政権は国中を覆うような宣伝攻勢と法輪功に如何なる弁明の機会を与えないという手段により、多くの人がこの憎しみによる宣伝に騙された。“SARS”による国難が頭上に降りかかっているときでさえも、神舟宇宙船が発射されるときでも、虚言と誹謗を伝え、憎しみを振りまいた。

人間は一つのことに対し耐えられる限界というものがある。この憎しみによる宣伝が、ある程度まで至ると、また一定期間以上継続するならば、人々の免疫機能は失われ、窮鼠猫を噛むという事態にもなりうる。江沢民政権は、この数年間絶えずデマを飛ばし誹謗をしてきた。これらに如何に耐えられることであろうか?このような憎しみの宣伝に伴うものは、政治的な圧力でもある。共産党自体が法輪功を最大の敵とみなしており、これを全ての内部の政治、外交政策の出発点としている。しかし、社会の各領域がみな法輪功と関わりを持っており、民衆が直面した圧力は想像に難くない。

武漢の大学生である孫志剛君が、収容所内で暴行により殺害された事件が伝えられた後、人々が積極的に話題にし、論じるようになり、中央政府を驚かせた。しかし、数百名を越える法輪功学習者が虐待により死亡し、無数の学習者が監獄で酷刑を受けているにもかかわらず、人々は口をつぐみ、国内のマスコミやネットは報道せず、一部は信じようとせず、また調査しようとせず、理解しようともしない。意識的に江沢民政権の立場に立ち、被害者を非難している。法輪功を誹謗するニュースが流れたならば、すぐにでも多くのネット上に現れてくる。このような政治的圧力の下で、“憎しみ”は政治に巻き込まれることを恐れる人々を無頓着にし、そして冷酷となり、個人の利益を図る人は、憎しみに荷担し助力している。

今日の中国において、この憎しみの宣伝というものは、骨の髄まで浸透する憎しみの文化を形成してしまった。“憎しみ”が中国の文化と成ったときに、“国際的文化交流”に熱心である共産党は、世界に向けて何を発信できるのであろうか?

カナダ《華僑時報》が、法廷の場へと立たされたことから、その回答を伺うことが出来る(明慧ネット記者・欧陽非氏より原稿提供)。