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河南省農民が正念を持ち真相を伝える物語り

【明慧ネット2003年12月11日】大法修煉者魯順民、河南省農民、50歳余、法を得てからずっと法を非常に大切にし、ずっと精進した。

以前は農閑期の時、れんが製造所に行き、れんがを焼き、金を多く稼いだ。れんがを焼く仕事は技術が要る仕事で、やり易かった。1999年7.20の後、彼は時間の緊迫さを深く感じ、江氏政治ごろつき集団のうそを暴きだすために、多くの人に大法の真相を知らせるために、毅然としてれんがを焼く仕事をやめ、つらくて、報酬も少ない日干しれんが作りの仕事を選んだ、こうしてもっと多くの時間を作って真相を伝えられるようになった。

一回、彼は一千部余の真相資料を三日の夜に全部配った、毎晩いつも朝三、四時まで配り、昼には又仕事をしたが、疲れも感じなかった。それから、夜の資料配りは向かい合って真相を伝えられないと思い、またお昼も時間を作って資料を配った。また面と向かって世人に真相を伝えた。農村では寺の縁日に寺に行く人がとても多く、寺では常に彼の姿を見かけられる。正しい念で正しい行いをしていた。大きなひと包みの真相資料が一枚一枚彼の手から老若男女の縁がある人の手に渡された。寺には一人の制服の身なりをした真相を知らない若者がいた。彼は威嚇の口ぶりで大きな声で言った。「昼間に敢えて法輪功のチラシを配るって、君は大胆だ、電話一本で君を捕まるよ。」 魯は微笑みでその人に言った、「法輪功は人に徳を重んじ、善をなし、いい人になるよう教える。現在迫害を受けているから、私はここで人々に真相を伝えるのだ。貴方にも一枚渡すから、帰ってから読めば分かる。」と。その人はチラシをもらい、読みながらそこを去った。

一回は警察派出所の所長の家まで資料を配りに行った。その所長は魯を掴み離さなかった。所長の息子はその光景を見て、彼のパパに「彼を放したら」と言った。その翌日、魯は法を広めるために、またこの所長の家に行った。所長は彼を見て、「どうしてまた来た、何しにまた来たか?」と聞いた。彼は笑いながら答えた、「今日は貴方の息子に感謝するために来た」と。こうして彼はこの機会を利用して彼らに真相を伝えた。所長の一家は真相が分かった。

2002年4月、同修が逮捕され、魯順民も警察に連行され、家宅を捜査された。翌日、警察はまた彼の妻(同じく修煉者)を強引に連行した。彼女に彼の転化の仕事をさせようとした。彼は妻に逢ったとき、「貴方はどうしてきたの?」と聞いた。彼女は、「彼らが私を捕まえにきた。」と答えた。彼はすぐきっぱりとこう言った、「貴方は必ず生死を手放すべきだ。」と。彼の話が終わった途端、警察は彼の大法に対する大きな岩のように堅固である心を感じ、すぐ彼の妻を連れて行った。

県留置所で非合法に監禁される間、彼の心身は極大な損害を受けた。特別監禁室に監禁されたり、足枷を掛けられたり、手錠を嵌められたり、三回も殴られて意識を失った。生死を手放した彼は依然として煉功を堅持し、法を広め、真相を伝えた。非合法の監禁一年も大法“真善忍”に対する彼の固い信念は少しも動揺しなかった。悪人は彼にどうにも処置がなくなり、また判決を言い渡した。裁判所で審理されるとき、彼は足枷を掛けられたまま法廷で煉功し、平然として悪人に向かった。彼は密かに8年の非合法判決を渡され、河南新密監獄に送られ迫害を受けている。

働く人が一人減り、高校に通う小さい息子もいるため、彼が悪人に連行された後、家族の生活は非常に難しくなった。この二年間の連続の迫害を受け、この二年間3ムー(土地面積の単位)の土地にかける化学肥料と農家肥料はなかった。奇怪なことに、やせている土地は減産されなく、村のほかの肥料をかけた土地より穀物が多く取れた。更に奇怪なのは、今年秋季になり大雨が続けて降り、トウモロコシの穂には種が結べなかった。付近の二つの家庭ではトウモロコシの穂が小さく、同じ3ムーの土地で四つ半の自動車分のトウモロコシが取れたが、彼の土地でトウモロコシの穂は大きくてふっくらとして十一自動車分のトウモロコシが取れた。彼の妻は人に逢うたびに、「これは師父の慈悲で、大法の威力だ。」と話した。