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石家庄市第二監獄の迫害により井陘県の政協代表白玉枝氏は両眼とも失明した

【明慧ネット2003年12月2日】河北省井陘県の政協代表、法輪功学習者である白玉枝女史は、現在石家庄市第二監獄に不法に拘禁されている。長期にわたり迫害を受けたため、やむなく断食により抗議したが、現在両眼ともに失明した。第二監獄の責任者は釈放しないばかりか、面会も許さず、法輪功を放棄した者を利用し、白女史に精神的な迫害を行っている。

白玉枝女史(41歳)は、河北省井陘県微水町工商銀行に勤め、もとは井陘県の政協代表であり、長年連続で市の模範労働者に選ばれ、多くの栄誉を冠した。1994年に法輪功をはじめ、煉功により良い変化が起きたので、同僚、親友に紹介し、そして自発的にポランティで煉功動作を教え、法を広げた。学習者数は、何人、数十人と増加し、最後には数千人にもなった。そして、井陘県法輪功指導センターの責任者を担当した。まじめで、善意を持って人を助けたりし、同僚、学習者らから評価された。

白女史は、また三人の貧困学生を経済的に援助していた。1999年の7.20の後、何度も北京へ陳情に行き、不法に拘留され、家財は差し押さえられ、1999年末、石家庄第四大隊で、不法に労働教養とされた。断食で不法な拘禁を抗議し、そして密かに唐山開平労働教養所へと移された。その後また保定市高陽労働教養所に移された。強靱な意志により、引き続き断食で抗議した。

2000年10月までに、彼女は河北省数ヶ所の労働教養所、留置場、精神病院、麻薬中毒回復所を転々と移され、不法拘禁は11ヶ月、断食抗議は9ヶ月に及んだ。その時、胃の粘膜は全てただれ落ち、吐血と血便が出る症状に伴い、深刻なカリウム不足となり、物がはっきりと見えず、体重は35〜40キロしかない危篤状態に陥っていた。そのため警察は、やっと家に戻る事を許可した。

2001年1月井陘県の公安局は、再度白女史を連行し、保定労働教養所に拘禁した。彼女は断食により抗議し、1ヶ月のうちに釈放されたが、その後流浪の身となった。2001年9月初め、井陘県微水町の駅で、真相材料を配る際に告発され、微水町派出所長に殴られ、三日間に渡り意識不明となり、留置場の冷たいセメントの床に横たわっていたが、看護の手はなかった。その後派出所は、彼女を保定労働教養所へと送ったが、労働教養所に断られた。断食を行い十日間にならないうちに、また無条件に釈放された。すでに三回も不法に逮捕され、拘禁されたが、強靱な意志と正念によって解放された。

白女史は、どこに行っても世間の人に法輪功の真相を伝えている。2001年12月、真相のCD-ROMを配る時、石家庄裕強派出所に捕まえられ、石家庄市第二留置場へ送られた。そこで、4ヶ月の断食抗議をし、結果として解放された。2002年8月末、石風路省四建の寮で、石家庄市橋西公安支局に連行されたが、紅旗大街派出所は、彼女を体が変形するほどひどく殴り、裕強派出所へと移した。白女史の体の調子が深刻に悪いため、どこも受け入れない情況の下、裕強派出所は、強引に石家庄市労働教養所第五大隊へと送り込み、その後石家庄市第二留置場に移した。

今年彼女は、数ヶ月間も断食抗議をしたため、2003年5月石家庄の“610”に不法に刑罰を下され、石家庄第二監獄に拘禁されている。現在もひどく虐待され、長期に渡り断食したため、両眼失明となり、手足は震えて止まらず、苦痛の極みをなめている。入院手当が必要であるが、第二監獄は、親族等の見舞いも禁止し、さらに迫害を強化し、法輪功を放棄した楊建美らを利用し、精神的な迫害を行っており、正に生命の危機に陥っている。