日本明慧


金子容子が振り返った江氏集団に監禁された548の毎日(写真)

文/金子容子

【明慧ネット2003年12月19日】2002年5月24日、私は天安門に行って請願するつもりで、二人の日本法輪功学習者と共に北京に行きました。そして天安門広場の通行人や住民区の人々に法輪功の真相資料を配っている時逮捕されました。三人が逮捕されたのは北京時間で午前11時前後でした。
容子さんは11月27日日本に戻った時、空港でご主人と日本弟子の歓迎を受けた。そして、大勢のメディアの取材を受けた。 日本に戻れた金子容子さんと彼女の日本の家族は新潟県佐渡島の家で団欒(左からご主人のお母さん、90歳のお婆さん、容子さん本人、容子さんのご主人)

3人の内2人は日本国籍の学習者だったので、夕方になって派出所は彼女たち2人を連れて出て行きました。私は中国国籍だったため、彼らは私一人を地下室に閉じ込めて3人の警官が見張りました。

5月の北京は、昼間の気温は異常に熱くて、35-36度まで上がりますが夜になると気温が下がりとても冷たいのです。逮捕当時私は夏服を着ていました。下は短いスカートズボンで上は半袖をシャツ一枚しか着ていませんでした。地下室で、彼らは私を、素足で氷のように冷たいセメントの上に立たせました。私を見張る警官を見ると綿入れの上着を着ていながらも寒いと言っていました。私は彼らに法輪功の真相を説明しましたが彼らは受け入れるどころか私に悪口を言って侮辱しました。私は翌日の午後までずっと地下室に拘禁されていました。そして彼らが私を留置場に送り出したのはその日の夕方だったことを覚えています。留置場は受け入れる人に対して身体検査をします。彼らは私が高血圧であることがわかりました。規定に基づくと血圧が200を超えていると留置場は受け入れることができません。ところが私が法輪功学習者であり、また夫が日本人であることが分かると、彼らは無理やり局長許可をもらい強引に私を受け入れました。

彼らは私に強制的に手錠と足かせを付けました。血圧が特別に高いため、彼らは私を温泉病院(留置場指定病院)に送り込みました。温泉病院に入ると、彼らは私の手足をベッドに縛り付けて、強引に注射を打ちました。私が彼らに法輪功は中国で迫害されていると説明すると彼らは“見ているとあなたは江氏姉さんよりも江氏姉さんのようだね”と言いました。その中のリーダー格の一人が“法輪功専用ベッドを持ってきて、彼女がどれだけの能力があるか私は見たいな”と言い出しました。いわゆる法輪功専用ベッドは、もっぱら法輪功を迫害するために作られた刑具の一種です。一人分の幅で、2メートル近くの長さの板です。4本の足を縛り付けて、板の上にはたくさんの紐がつけてあります。彼ら4、5人の警官は強引に私をベッドに縛り、足首から肩までずっと縛っていきました。ベッドを踏んで力を入れて縛りながら“あなたは法輪功弟子じゃないか?あなたは我慢できるじゃないか?あなた達の師父はあなたにあまりにも良くしてくれるよね。今回は私があなたに良く我慢してもらうからね”と言いました。それから彼らは私の両手を引っ張り下ろして、両方に手錠を掛けてベッドの足に固定しました。すると全身に激痛が走りました。

しばらくすると、私の顔面は汗をびっしょりになりました。体はまったく動きができなくなり、このまま私を3日連続縛ったので、私は痛みのあまりほとんど意識がなくなりました。

彼らは私に測定器を付けました。なぜなら、この時私の血圧はとても高く、それに彼らの残酷な虐待によって、私がそこで死んでしまうことを恐れたからです。その後、彼らは危険な状態の私を見て、不気味に“今回あなたを良いところに送ってやるよ”と言って、また私を北京市公安局病院に送り届けました。そこは法輪功を迫害するもっとも残忍なところです。

公安局病院に着いてから、そこの警官は憎々しげに“今回は私があなたを思いっきり味わい楽しませてやるよ”と言いました。当時、私はずっと絶食で抗議しました。彼らは私をベッドに縛り付けて、私に胃パイプを差し込んで、強制的に食事を注入しました。私が拒絶したら、彼らは私の体全体を引き延ばしました。それから両手両足をベッドに縛り付けて、足にはまた足かせをつけました。足かせが足首に当たってとても痛かったです。その上彼らが私を引き延ばしているため、手錠が締められてとてもきつくなり、手首が挟まれて血がでました……これは人間に対する対応ではなく、ブタを殺しているようなものでした。これでもまだ終わらず、鼻から胃にパイプを差し込むだけではなく、彼らはまた強引に私に小便パイプも差し込んでトイレに行かせませんでした。当時、ちょうど生理中で彼らは私が布団を汚すことを恐れて、ビニールシートを敷いて、私の下半身を脱がしたままにしました……6月の北京の気温は35、36度で、体は汗と分泌物でじめじめになった。それに彼らは食事注入後にパイプを抜かずに、良く締めなかったため胃のパイプから注入した食べ物が逆流して、首や肩いたる所にべたべたと付きました。私の体はまるで動きがとれない状態でした。彼らはこの状態で私を20日近く縛り続けました。その後、医者と看護婦は私の体の臭い匂いを嫌ってそばに近づくことすらできませんでした。ある日、なんとか課長という人が私に“私に法輪功をやめると承諾すれば、あなたを日本に返してやるよ”と言いました。私は“法輪功のどこがいけないのですか?あなた達の法輪功に対するこのような迫害は有罪なのです。あなたは無条件で私を日本に返さなければなりません!私に法輪功を放棄しろと言うことは不可能なことです”と答えました。この時、私の体は極度に虚弱していました。彼らは私の夫が日本人であることを知っていたので、簡単に私を殺すことはできませんでした。その後、彼ら私をベッドから下に降ろしましたが私はすでに起き上がることさえできませんでした。背中はすべてぼろぼろになって、歩くことすらできませんでした……彼らはまた私を留置場に連れて行って、強引に私に1年半の労働教養の判決を言い渡しました。

彼ら4、5人の警官が私を押さえて、私に拇印を押させようとして、労働教養手続きを履行するように強制しました。 “私は無罪だ!あなた達のこれらの行為は人権に背いて、信仰の自由を迫害している!法輪功は本当に素晴らしいものだ!!”と私は大きな声で叫びました。私は必死にもがきましたが最後には拇印を無理やり押させました。私は彼らを上訴すると言いました。私はこれらのすべてを承認しません。それから、彼らはまた強引に私を壁に立たせ、何人かの警官が蹴ったり殴ったりして、私の首を押さえつけて写真を取りました。1年半経った現在でも私の足には依然としてこの時蹴られた傷が残っています。しかも、右腕は未だ完全に回復せず、前と同じ様に正常に動かすことができません。

その後、彼らはまた私を労教人員移動派遣処に送りました。当時、私はまだ自分で歩くことができず、人の支えが必要でした。しかも、血圧が異常に高かったです。移動派遣処も人を受け入れるのに身体検査をしなければなりませんでした。彼らは私の体の情況を見て、恐れて受け入れず、また私を留置場に戻しました。留置場は続けて私を3回も送り付けました。規定に基づくと三回まで移動派遣処が受け入れを拒否するとその人を釈放することになります。しかし、私が法輪功学習者であり、しかも、日本で生活をしているため、彼らは簡単に私を釈放しようとしませんでした。そのため上部機関の許可を求め、私を強引に受け入れさせました。

彼らが私を移動派遣処に送ったのは夕方だったことを覚えていますが、彼らは私を大広間に立たせて、私を眠らせませんでした。当時、私の体はしっかり立つことさえできない状態でした。見張りは私をしゃがませようとしましたが私はしゃがむことさえ出来ませんでした。彼らは麻薬犯罪者に私の見張りをさせて、他の人が寝はじめて長く経ってから(時計がなくて、何時か分かりませんがただ本当に遅いと感じていました)彼らはやっと私を眠らせます。朝は他の人はまだ起きていないのに私だけを呼び起こして、また私を大広間にしゃがませました。その後、彼らはもはや駄目になりかけている私を見て、天堂河病院に送りました。

天堂河病院は、北京市女性労動教養所の移動派遣処指定病院で、収容者の大部分は法輪功学習者で少数部分は麻薬中毒者です。多くはエイズ、肝病、肺結核などの伝染病をわずらっていました。みんなは一緒に住んでいます。そこは条件が悪くて、警官は法輪功学習者をとても厳しく見張っていて、互いに話し合う事を許しません。また麻薬犯罪者に私達を見張らせます。私は病院に来て次の日の朝のことを覚えています。トイレに行ってまだ用を済ませていないのに回廊から大きな音がしたと思うとある人がトイレに入ってきて私を部屋に追い戻しました。私が回廊に出た時、2人が1人の60歳余りの老人を引っ張っているのが見えました。下半身は裸にしていました。病院の地面のレンガはでこぼこで非常に滑りが悪いのですが、彼女たちはかまわず両腕を引っ張って行くので、老人の下半身は引きずられて血が出ていました。彼女たちはずっとこのようにして老人をトイレまで引っ張って行きました。彼女たちは私に見させないように、私を部屋に押し込みました。後になって私はその老人が法輪功学習者であることを知りました。彼女は深刻な心臓病があって、ほとんど自立できない状態でしたが彼らは彼女を放そうともしませんでした。私は天堂河病院に1週間入院している間体はまったく回復出来ませんでした。彼らはまた強引に私を女性労動教養所に送りつけました。労動教養所で、彼女たちは私に洗脳転化を行いました。当時、私の血圧は依然として高く、心臓もあまりよくなくて、歩く時も人の支えが必要でした。彼女たちは毎日私を夜遅い時間に寝させて、朝は早い時間に起きるようにして、昼間も休ませませんでした。私の体はまったく耐えることができませんでした。ある日リーダーの李継栄(法輪功迫害に“功績”があったことで、十六人民代表に選ばれた人)が私に言った言葉を覚えています。“あなたはここを労動教養所だと甘く見ないで下さい、労動教養所にも死人のノルマがあるからね。自分が中国国籍であることを忘れるなよ、まだ中国の法律によって処理することができるから他の人と何の変わりもないんだよ”彼女たちの法輪功学習者に対する強制洗脳の方法はとても残忍でした。長時間眠らせず、毎日1、2時間寝させるだけで、時には24時間寝させませんでした。甚だしい場合は20日余り眠らせないときもありました。昼間には交替で強制的に邪説を聞かせるグループもあります。夜12時くらいになると、それからは麻薬犯罪者が見張りに来て、眠れないようにします。この時、これらの麻薬犯罪者は思いのままに法輪功学習者を苦しめます。深夜にはいつも悲鳴が聞こえてきます。本当に耐えられず、苦しめられて精神的におかしくなる学習者もいます。こうなると彼らはまた新しい口実を作ります。法輪功をやっているあなた達はこんなになってもまだ法輪功を抱えて放さないのか?このままでは気が狂わないにしても死んでしまうだろうと法輪功学習者を迫害した。そして自分たちに口実を見つけ出して、世論を作り出します。

このような環境の中で、私の血圧はどんどん高くなり、やがて目も見えなくなりました。彼らはまた私を天堂河病院に送り出しました。病院で私の血圧を測ったら低圧130になっていて、正常な人の高圧に比べても高くて、高圧もとても高かったです。そして、彼らは目の検査をして、眼底に問題があるとわかりました。天堂河病院は医療設備から技能まで粗末だったので、彼らはまた私を大興県病院に送り出して検査しました。眼底を調べて、医者は私の右目の下部の毛細血管がすでに壊死してから、すでに1、2ヶ月の時間が経っていると言いました。天堂河病院に戻ってきて、私は病院の警官の関係指導者に私の真実な情況を報告しました。そして私の目をこれ以上悪化させないことを望み、もし中国での治療ができないならば、日本に戻って治療したいと求めました。一週間後、彼女たちは同仁病院に連れて行って専門家に私の目を徹底的に検査してやると言いました。検査結果、専門家は“目の毛細血管はすでに通っている、じゃ、問題ないよ”と言いました。(実際は、彼は事前に用意して、私を騙していました)。天堂河病院に戻って私は警官に1週間の間何の治療もせず、果たして私の目は以前と同じ様に見えることができるのか、これでも治ったと言えるのかと疑問を言いました。私は彼女たちに診断証明を求めました。私はもし私に出て行くその日があれば、私は自分の目を全面的に検査します。専門家の言ったようなことではなく、もし悪い結果があるなら、私は法律上で自分に対しての責任を追及したいと言いました。彼女たちは私に診断証明をくれませんでした。私の目は良くなるどころか短い間に三回の眼底検査を立て続けに行ったその強い光の強烈な刺激のため、私の目はやけどのように痛み、開けられなくなりました。光に弱くなり、目を開くと目も頭も痛くなりました。未だに私の目は光に弱いです。

私は病院に3ヶ月くらい入院して、2003元旦前に退院して労動教養所に戻りました。彼らは私を1クラスに入れて、強制労働をさせました。その時1クラスには10名くらいの人がいましたがほとんど法輪功学習者でした。彼女たちは“彼女は目を開けることすらできないのに、仕事なんて無理です”と話しました。労動教養所の中での強制労働は麻薬犯罪者たちが見張っています。彼女たちはみんな品性のとても悪い人間で警官に利用されて法輪功学習者達を管理しています。彼女たちは私を口汚く罵って、それから警官に教えます。警官は私のクラスの班長を呼んで私を働かせるように強制しました。班長は私の様子を見て、それに学習者全員の反対もあったので、言うすべがありませんでした。1クラスは重点クラスであるため、監視と抑制が酷かったです。私が目を閉じたまま仕事に付かないのを見て、ある孫明月という警官が私を呼び付けて、私を強制的に働かせました。目を開けられないと私が言ったら、彼女は手ざわりでやれと言いました。目が見えても良くやりこなせない仕事を手ざわりでどうやってやれますかと私が言い返すと彼女はなんであろうがあなたはしなければならないと怒りました。毎日の労働以外にいわゆる“学習”があります。感想を書かなければなりませんが目を開けられない私は主管警官の張淑賢に呼ばれて感想文を強制されました。私がこの目では書けないと言ったら、彼女は目を瞑って書けばと言いました。先ずあなたが目を瞑って書けるかどうかをやってみたらどうですか?できるのであれば私に教えて下さいと私は彼女に言い返しました。

1クラスでは昼間にも私を見張る人がいます。私と他の学習者の会話を許しません。夜になっても麻薬犯罪者が私の枕元で私を見張っていて、ほとんど寝ることが出来ませんでした。このような状況の中で私の血圧はまた少しずつ高くなり始めました。2003年4月、突然彼女たちが私の体がよくないから世話をすると言う理由を付けて、私と何人かの麻薬犯罪者を別の部屋に閉じ込めました。実は、私に対して一層の監禁を始めるためでした。私とはいかなる法輪功も接触を禁止しました。私が少しでも動いたら麻薬犯罪者が目をつけます。しかし、彼女たちはこれ以上私に強制労働、重労働の仕事をさせませんでした。

ある日、隊長の李継栄が私を呼びました。私達はここではあなたを迫害していない、しかも良く世話をしたという内容でした。それから彼女はまた “あなたは日本に帰って行っても、自分の母親と兄弟の事を忘れるな。親戚と友達はみな中国いることを忘れちゃいけないよ”と脅しの語気で私に言いました。ここの真実の状況を外部に話したら良いことがないという言外の意味が含まれていました。

それから3ヶ月近く経って、ある日の夜リーダーの李継栄は法輪功学習者全員の前で大いに日本を罵りました。みんなわけが分からなくて、多くの人は視線を私に投げました。当時、私はなんのことかさっぱり分かりませんでしたが日本に帰って来てやっとこれらの全てが分かりました。その時、彼女たちは日本政府と日本国民及び全世界法輪功学習者たちの私に対する救援の圧力下で、中国国内法輪功学習者を迫害するのと同じ様に私を取り扱うことが出来なかったのです。その恨みが骨髄にまで達したので、成すすべがなく、人前で罵り散らかすしかなかったのです。

北京でサーズが発病してから、私の周囲にいた多くの不法に監禁されていた2002年末の法輪功学習者達は次々と釈放されて出て行きましたが私はまだ拘禁されたままでした。私がどういったことなのかと聞いたら、彼女たちは理由を口に出しませんでした。彼女たちは私に肉体的な虐待を振るうことが出来なければ釈放することもできませんでした。なぜなら、彼女たちはここの中の真実の情況を外部に漏らされることを恐れ、しかも、判決を伸ばす口実を探しても思いどおりに行かなかったからです。この事から私達ははっきりと江氏集団の法輪功にたいする迫害は人に顔向けできないことであって、彼らは全世界の人々が法輪功に対する迫害事実を知ることを非常に恐れていることが分りました。これらは法輪功に対する迫害が非法であり、人権と信仰自由に対する野蛮な踏みつけであることを充分説明しています。

労動教養所の中では毎日長時間の労働を強いられます。朝5:30に起きて、ただ5分の洗面時間で、それから仕事を始めて、夜の10時前後になってやっと就寝します。労動教養所の中では毎日必ずテレビニュースを見るように定めています。ニュースを見る間でさえ仕事をしなければならなりません。朝3時に起きる時もあれば夜遅くまで伸ばされる時もありました。

毎日長時間、小さくて硬いプラスチックの腰掛けに座らされて、みんなの尻は座り続けたので皮膚が硬くなって豆が出来ました。時にはかゆくて掻くと血が流れ出ます。しかし、このような身体的な苦痛より更に人を耐えにくくさせるのは無形で、巨大な精神的な苦痛でした。毎日みなびくびくしていました。朝起きて晩まで今日一日に何が起こるかわかりません。警官が法輪功学習者を呼んでいる声が聞こえるとみんな彼女のことを心配します。彼女がいつ帰って来るかどうなるかもわかりません。労動教養所の中では、寝る前に集団で名前を呼んで、時にはみんな顔を合わせることができますが翌日になると居なくなる顔もいます。どこに行ったか誰も全く知りません。毎日みんなは顔を合わせてお互いに励まし合っています。一つの視線、一つの微笑でみんなこの上ない慰めを感じます。このような巨大な精神的圧力の下で、皆なの髪の毛はいつの間にか白くなりました。私は釈放されてから私の髪の毛を自ら染めました。

このような環境下で、私の血圧はまったく落ち着くことがなく、体の状況はずっとよくありませんでした。労教期限まで残り2ヶ月の時、彼女たちはまた私を天堂河病院に送りました。なぜなら、当時のような体の状況のまま出て行くと影響が良くないことを恐れていたからです。病院にいる間、私が所属していた4大隊のリーダーの李継栄が転勤して、その後他の隊から李というリーダーが転勤してきました。彼女は病院に来て“あなたはしばらくしたら出て行くけどあなたの事は私達が日本大使館に引き継がせるから、日本に帰ったとしても私達はあなたを引き戻せることだってできる”と私を脅迫しました。もし、日本政府の助けと国外のこれだけの法輪功学習者たちの救援がなかったら、私はどうなったかしれません。ひょっとしたら労動教養所の中で死んだかも知れません、拘禁を延期されたかも知れません。

今私は日本に帰って、昼夜懐かしく思っていた家族のもとで、自由を得ました。しかし、私の気持ちは穏かではありません。いまだに労動教養所の中で残酷な虐待を受けている法輪功学習者たちのことを思うと(現在労働教養所で拘禁されているのは、ほとんど法輪功学習者です)私の気持ちはとても重くなります。

私はただ何枚かの真相資料を配っただけで1年半の強制労働をさせられて、人身の自由を失って、耐え難い苦痛を受け尽くしました。さらに日本での身内、友達も苦難を受け尽くしました。

去年8月、私の夫は労動教養所に面会に来ました。その時はまさに彼女たちが私に対する強制転化の時期だったので体の状況はとても悪かったのです。血圧は異常に高く、心臓もよくなくて、大脳への血の供給が非常に不足していて、いつも意識不明の状態になりました。ひどい時には昏睡状態に陥りました。顔色は黒くて、唇は青くなって、体は皮と骨でした。しかも、手足が非常にむくんでいて、靴を履くことすらできませんでした。手首と足首は長いこと錠をはめられていたため、ひどい毛細血管出血を起こしていたので身体全体が見る影もありませんでした。私に会う人はこんな様子を見て、みんな私の命を心配しました。私の命が瀬戸際に立たされている時、突然彼女たちはそんなに私を苦しめなくなりました。夜には私を帰らせて寝るようにし、朝みんなと一緒に起きるようにしました。当時、私は必ず生き抜かなければならないと思いました。精神的にも肉体的にも崩れないように

私は毎日食事をたくさん取りました。しかし、そこの食事は本当に食べられるものではなく、特に野菜料理は汚いばかりか味もありません。ニンジン、キンサイ、ジャガイモ(皮も剥いていません)をいっしょに煮込んだもので、まるで漢方薬のようです。しかも、中にはたくさんの砂が入っていました。次第に私は食事を取るのが怖くなりました。全身が震えて冷汗が出て、胃も縮んで、全く食事を取ることができませんでした。私と同じ部屋の法輪功学習者で北京大学の医者が“あなたの今の情況は医学上で言えば拒食症です。あなたは必ず方法を考えて自らものを食べるようにしなければなりません。そうしないとしばらくすると体が崩れてしまいますよ”と私に教えてくれました。何人かの法輪功学習者たちは自分が持っているほんの僅かなおいしいものを私にくれました(労動教養所の中では互いにものを分け合うと警官に処分されます)。この時は警官も私にたくさん食事を取って太ってと大変関心を持ったふりを見せました。私は妙に思いました。ある日、警官は私を事務室に呼んで、あなたの主人が面会来る。ここの情況とあなたの体の状況を彼に言ってはいけないと言いました。そして、ここのすべては良くて、みんなあなたに良く配慮している。しかもこれらを日本語で話してはいけないと教えました。たくさんの警官の監視下で私は夫と面会しました。当時私の体は前よりは良くなっていて、自分で歩くことができましたが安定はしていませんでした。夫の心配している様子を見た時、彼に心配をかけるまいと思って私は私の全ては大丈夫だと伝えました。夫を安心させるために私は日本語を習いたいと言って本を送るように頼みました。結局、私の夫は本気にして、私にたくさんの本を送ってきましたがこれらの本は全て警官に没収されて、釈放される時にやっと私に渡しました。これらのことがあって私ははじめて、彼女たちがどうして何日間も私に関心を持っているように見せかけたのかがわかりました。もともと彼女たちは法輪功を迫害した事実が人に知られるのを恐れていたからです。

その後彼女たちは私の夫の面会を拒否しました。仕方がなく私の夫は毎週私に手紙を書いて、一通ごとに家に返事をするように頼みました。私の手紙が来ないと家族皆が心配すると言いました。当時、私の血圧はとても高くてしかも目も良く見えず、手紙を書くすべがありませんでした。今年4月になって、私の目は少し良くなったのではじめて夫に手紙を書きました。血圧と目の情況を書いた手紙は警官に没収されて、私が釈放される時にやっと私に返しました。

私が日本の家に帰って来て見たら、夫は私の葬式に使う写真まで用意してありました。しかも、万一遺骨もないことを心配して自分の切った爪を代わりに使おうと全部集めていました……彼は毎日あらゆるルートを使って私の消息を尋ねました。考えてみるとこの1年半の間、彼がどれ程の苦痛に耐えていたかが分ります。その上、私の事は数え切れないほどの善良な人の心に影響を及ぼしました。日本政府、各界、大使館の方々、メディア、そして日本の善良な人々と全世界法輪功学習者たちは一日も早く私が安全に日本に戻れるように様々な救助活動を展開してくれました。ここ場を借りて、私は救援して頂いた皆様に心から感謝の気持ちを申し上げます。

法輪功はすでに世界各地にあまねく伝わって、多くの国々で歓迎されています。江氏集団のこのようなやり方は世界中にきわめて悪い影響をもたらしました。なぜなら、私と類似した情況が日本だけで発生したのではなく、例えばアメリカの李祥春、陳鋼、カナダの王玉芝、林慎立、オーストラリアの章翠英、アイルランドの趙明などがあります。それぞれの国家の政府及び善良な人々はあらゆる手段で彼らの国家の華人を救出するために努力し続けています。江沢民の行為は国外で生活している法輪功学習者たちの身内、友達に大きな苦痛をもたらしています。私は中国政府が目を覚まして、理知的に善を持って法輪功に接することを望んでいます。また全世界の善良な人々がみな中国で発生しているこの悲しくて、残酷な、人間性を無視した迫害に注目して、中国政府が一日も早く法輪功学習者に対する迫害を停止するよう期待しています。