“盤古が天地を開く”
文/米国の大法弟子 雷越
【明慧ネット2003年12月17日】尊敬する師父、こんにちは。学習者の皆さん、こんにちは。本日私の報告の題名は“盤古が天地を開く”である。
過去4年来我々が経験した風雨の試練を振り返って見れば、皆さんもきっと感無量であると思う。99年7.20直後、江沢民邪悪集団の大法に対する全面的な迫害が始まったばかりの時、我々はワシントンDCで初めて法を護る活動を行った。その時、私は一人の学習者とこの迫害の暴風をどう見るかについて話し合ったことがある。当時、大法が厳しい試練を受けていた時、私たちは大法弟子として、例え針の山や火の海でも我々の法を実証する道を阻むことはできないだろうと思っていた。
その後、私は大法を実証する活動に積極的に参加してきた。妻は修煉者ではないので、私のことを理解できず、私にさまざまな障害を与えた。それでも、私の修煉の道を阻むことはできなかった。大法のホームページの開設を始め、ネット上で真相説明、地域の洪法活動、及び最近のメディアの仕事などをいろいろやってきた。これらの活動を通して、より多くの人々に真善忍を知ってもらい、特に我々の根気よい真相説明によって、たくさんの中国人が大法に対して持っていた誤解が解けたのをみて、私は本当に嬉しかった。大法弟子にとって、今の世の中で一人の生命が救われることよりも嬉しいことはないと思う。
2000年夏ごろ、我々が中国人密集地域で洪法した時の出来事だった。一人の若い人が罵りながら大法の展示パネルの前にやって来た。私は彼に声をかけて一時間以上話し合い、やっと彼の感情が落ち着いてから、たくさんの問題について自分は考えた事がなかったと彼は反省した。そして、お互いに電話番号を交換して別れた。半年後、突然彼から電話があり、一時中国へ帰国して帰ってきたばかりで、まず思い付いたことは私に電話することだったと言った。私は何か問題でもあったのかと思って聞いたが、彼は中国へ帰国した時の見聞を私に語り始めた。彼は中国の公安警察の中にたくさん友達がおり、帰国した際、法輪功のことを話すと、これらの友達は皆親指を立てて法輪功を褒めた。これは彼にかなりの衝撃を与えた。そこで、アメリカに帰るとすぐに私にこの事を話したいと思ったのである。私はついでにより多くの真相を彼に伝えた。
師父の法を正すスピードの加速につれ、我々の真相説明、世人を救い済度する活動もより幅広く行うようになってきた。最初のチラシ方式から、徐々にホームページの開設、新聞の発行、更にラジオとテレビ放送も始まった。これらの方法で、邪悪勢力を全面的に、且つ強力に暴露することができるようになった。同時に法を正す進展とともに、我々に対する要求もますます高くなってきた。師父の新しい講法があれば、私はいつも一気に10回以上繰り返し読んで、一部が暗記できるほど勉強していた。法の勉強を通して、法の中の内容と師父から我々に対する新しい要求を会得していたつもりだったが、それでも、常に師父の法を正す進展に追いつかない感じがしていた。特に師父の『2001年カナダ交流会での講法』の中の“将来異なる歴史の時期に異なる出来事が現れてくる。この宇宙大法は異なる歴史時期の異なる次元の衆生に、異なる時期と異なる次元に現れてくる問題の参照を残し、生命に異なる歴史時期に現れてくる様々な情況の対処を残す。それこそ今日に現れてきた様々な問題であり、そのすべては歴史に残した参照である。その表現は複雑なものであり、無秩序に見られるが、実際は非常に順序良く出来ている。これは将来の歴史の異なる時期に現れてくる問題に対して、どう対処すべきかのためである。”という経文を勉強した時、私の意識が突然止まったかのようになった。今まで師を助け、法を実証することがとても重要なことだと知ってはいたが、未来の宇宙の歴史に残るほどの重大さを思ったことがなかった。こんなに重大なことに直感や情熱に頼って成し遂げることは、とてもできないことだと思った。私は再び今までの自分の言動を振り返って見ると、その中に法に対する固い信頼、正念と責任感があると同時に、常人のものもまだたくさん混じっていることに気づいた。その後、私はできるだけ常人の要素を排除し、大法を実証するためにより純正にできるように努力してきた。例えば、大法のホームページの管理を担当した時、文章を載せたり、自分で文章を書いたりして忙しく感じていたが、今のテレビ番組を制作することに比べれば、さほど圧力を感じなかった。ホームページの文章が少し遅くても、一篇、二篇少なくてもたいした問題にならないが、テレビの場合にはまったく違い、時間が来ると、番組を出さなければならないし、一秒間遅れても良くない。しかも、始めの頃、番組の製作方法も分からず、試行錯誤しながらやっていた。且つ、人手も足りず、多くの場合最後の一分間までやってやっと番組が出来上がった。朝制作室を離れる時、すでに人々の出勤時間になっていた。しかも、今週の番組が終わったばかりなのに、来週の内容がもうのしかかって来た。この忙しさに負けて、番組の中に少しミスがあっても、そのまま直さずにパスしていた。だが、ある日私は突然気がついた:我々がやったことそのものが未来の宇宙に残ることより、我々がこの環境下で大法の仕事をする時の無私無我の心境、法に対し、衆生に対する真剣な態度とその責任感も未来の宇宙に残されることになると思った。この認識ができてから、より真剣に責任を持って仕事をするようになった。仕事中のミスがあれば、どんな小さなものであっても、必ず直して未来の歴史に残念な思いを残さないように気をつけるようになった。
修煉の中で、師父は常に我々や宇宙各次元の衆生に見本を残してくださった。どのように法を伝え、どのように真相を説明し、どのように衆生を救い済度するかなど、各方面に我々に見本を残してくださった。最大限に衆生と縁を結ぶために、師父は旧勢力の按排を利用された;最大限に衆生を救い済度するために、師父はさんざん苦心された;法を正す中で、損失を最低限に食い止めるために、さまざまな措置を講じて、すべての衆生の業力を受け止めてくださった;我々が法を得て修煉し返本帰真できるように、師父は人類の変異した科学概念を引用して、もっとも分かりやすい言葉で、奥深く高次元の法を我々に説かれた。多くの世人が誹謗中傷の嘘に害されている今日、師父は我々に“真相を説明する時、現代人の受け入れやすい言葉を使ってその人を済度する”ということを教えてくださった。至る所に、衆生に対する師父の慈悲が現れている。
今まで私は迫害の中で大法の反対側に走った人を一番軽蔑していた。私たちの地域にこの様な人が数人もいる。7.20以前はよく頑張っていたのに、迫害が始まるとすぐ止めて、或いは大法を裏切って大法と師父を攻撃し始めた。本心から言えば、私はこれらの人を特に蔑視していた。しかし、師父は法を正す中で、無量の慈悲ですべてを善解し、どんな生命でも壊滅してしまわないように望んでおられる。師父は『北米巡回講法』の中に“今回の迫害の中で、反対の方向へ走ってしまった人、ひいては非常に良くないことをした人、皆さんに教えますが、師父も彼らを見捨てたくはありません。”と言われた。この講法を読んで、今までの自分の考え方がとても恥ずかしいと思った。早く師父の法に同化し、慈悲を持ってすべての生命に対処すべきだと思うようになった。そして、私は反対方向に走っていた一人の人に電話をかけて何回も真相を説明した。一年の努力を経て、彼はまだ完全には修煉の中に戻っていないが、以前大法に対して持っていた悪念はすでに無くなり、現在では話をする時、師父、師父と口をついて出るようになった。
大法を実証する過程で常に我々の持っている観念を突破しなければならない。最初洪法パレードを行った時、学習者の間に違う意見があった。その後、ホームページを開設することや、新聞、テレビなどの方法を利用するようになり、固有のモデルや観念を次々破って進んできた。実は、人間のすべての形式を我々のために、法のために使っても良いと思っている。我々の修煉も頂点がなく、今自分がどの次元にいても、この次元の上に更に高い次元があり、如何なる次元においても止まることなく、精進し続けるべきである。
盤古が天地を開くとの部分の講法を何回も読んだことがあったが、これに対して特別な感想や悟りがなかった。ある日、もう一度この部分の講法を読んだ時、突然全身に震顫を感じて、この部分の本当の意味が急に分かってきて、涙がぽろぽろと落ちた。宇宙の衆生に対する師父の無量の慈悲は本当に言葉で表すことができない。“この盤古は最後に自分の体が一気に天、地、山川、河の流れと天上の星に化成した。”慈悲深く偉大な師父はこのはてのない大法を造成し、この無量の宇宙大窮を造成し、ミクロからマクロまでのすべての物質、生命と宇宙大窮のすべての素因を造成されたのに、自分は何にも所有されない。“私は何にも所有していない”、“私は形もなければ名前もない”、それなのに、“人間のために心を尽くし、天の上の苦心は極まり”、“私はすべての生命のために心を尽くした;私はすべての生命のために私のすべてを消耗し尽くした”。これはどれほどの慈悲深い心であろうか。ここまでくると言葉は本当に無力である。
(2003年11月米東南法会での発言稿)
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