長い修煉の道のりで名誉心はあってはなりません
文/大法弟子
【明慧ネット2004年1月10日】幼い時私は、将来大きくなったら有名な映画スターかあるいは注目を浴びる歌手になりたいと思っていました。ところが私は、私が何回生まれ変わってもずっと探し続けたであろうこの貴重な宇宙の大法を得ることが出来た。同時に法を得て修煉すれば将来は高級生命になることができ、常人をはるかに超えて、苦しい境遇から抜け出すことができるとわかりました。そして私の気持ちはこの上なく感動しました。私は何時までも若くて、健康で、楽観的で、寛容で人を助けることを喜びとして積極的に向上する新しい独特な風格の生命のイメージを現しました。
この前の数日間一人の同修と深く交流した。その時彼女は明確に私に名誉を求める心があると指摘した。しかも多くの事からそれらが現れていると言いました。同修がこの問題を言い出した時私はとても驚きました。私はこれまで自ら名誉を求める心があることに気付きませんでした。かつて歩いて来た道を振り返って自分を反省して見ると実際本当にこれらの問題が存在していました。
このようなすばらしい大法を修煉していながら、私は至る所で口では言わなかったものの、自分の良いところを見せたいという執着が現れていました。内心では世界の中で自分が一人の鮮やかに輝く“修煉之星”になりたいと思っていました。いつの間にか常人の中での人生目標を修煉の中に持ち込んでいました。
実際、度々生きることを煩わしく感じていましたがなぜなのか分りませんでした。今ははっきりと分っていますがいつも他人より良くやりたいと自分に求めていました。多くの事に直面した時工夫を凝らして無理やり行って本当の自分を覆い隠しました。これらは多くの問題を積み重ねてしまい、古い問題がまだ解決していないのにまた新しい問題に見舞われることになりました。いくつかの執着心は確かに修煉の中で取り除かれました。しかし一部の世間の名利、情の執着はまだ根本的に取り除かれず、ただ工夫を凝らして現した外観と無理して立たせた面目によって隠されただけでした。
実のところ、自分の良くないところの暴露は悪い事ではありません。暴露されることによって悪い人間の心の執着を取り除くことがさらに早くなります。暴露されることから逃げ出して、覆い隠し、無理して現すと自分をより多くの回り道を歩かせることになり、知らず知らずの内に自分に面倒を掛けてしまうことになるのです。
法を学ぶ時、同修と一緒であればどんなに眠くても、どんなに疲れていても早く起きて正念を発しました。それによって自分がいかに精進しているかという事を見せかけました。しかし一人の時は眠ければ寝て、お腹がすいたら食べます。法を勉強する時もちょっとした問題にぶつかっても投げ出して、自分に厳しく要求しませんでした。
法を実証することにおいても、自分が本気になってやれば、正法時期の大法弟子としての責任と使命は果たせると思っていました。しかし実際には、やるにしてもただ自分にとってやりやすいことだけを選んで外の難しいことは全部同修にまわしました。
体験を書く時は、いつも高レベルで新しい視点のものを書けば自分独自の優れた点があって、もし発表するにしても読みがいがあり、同修の時間を無駄にしないと思いました。このように見栄っ張りの心を持っている時は、文章の作成はともて遅くて、文章を一篇書くのに何日もかかりました。しかし何も考えずに文章を書く時はとても速くて、思った時点で文脈が出来上がって、しかも一気に仕上げることが出来ました。
2年前のことをはっきりと覚えていますが私はある事の成功に執着して、ほとんど毎日その事ばかり考えていて、歩く時さえ考えていました。ある日、平坦な道を考えながら歩いていたら突然転んでしまいました。その時、真っ先に気にしたのは昼間にこんな平地で転んだ事を人に見られて笑われないようにと思った事でした。そして急いで立ち上がりました。私がまず思ったのは自分の面子であって、それを平然と受け止めることができませんでした。実のところ、長い間私の一念、考え一つには全部名誉を求める心が含まれていました。ただ自分で気付いていないだけでした。
これらの名誉を求める私の心は自分を飾っていました。人前の自分ともう一人の自分がいて、生きることがとてもつらかったのです。知らず知らずの内に自分で自分に災難を加えていました。自分を回り道させ、同じ事を何度も何度も繰り返して行いました。私はその度に多くの事を覆い隠しました。現実を正視して、問題に直面した時にそれを解決してきませんでした。そのため執着を取り除くたくさんの機会を逃してしまいました。私は以前術類の研究をしたことがありました。しかし今までそれを完全に捨てさることができず、いつも蘇って来ました。その時私はいつも抑え切れず試してみたいと思ってしまいました。この悪習を長い間ずっと改めることができず、またこれを同修に言うのも恥ずかしいと思いました。今日これらを暴露して、残すことなく、きれいさっぱり取り除きたいと思います。
私のこの名誉心は私を茫々とした人込みの中で浮き草のように私自身を見失わせました。目が覚めると空夢でした。今になってやっと何が本当の修煉なのかはっきりと認識することができました。万事を大法に照らし合わせてはじめて本当に修煉することができるのです。本質的なものを変えないと他人を騙すことが出来たとしても自分自身を騙すことはできません。
今私は明確にその名誉を求めていた自分が本当の自分でないことを見分けることができます。私は二度と名誉を求める自分を認めません。私は工夫を凝らし無理してなにかを表現し、あるいは何かを覆い隠すことにはもう執着しません。二度と人前で自分のいわゆるイメージを維持しようともしません。同時に、自分の考えや念をよく把握して、徹底的に名誉心を取り除いて、正法の道を一歩ずつしっかり歩んで行きたいと思います。
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