日本明慧


シカゴ中国領事館の前で法輪功学習者を辱めた雷国鳴が突然死亡

 【明慧ネット2004年1月27日】シカゴ中国領事館の前で法輪功学習者に対するセクハラ行為を行なった雷国鳴が、2002年11月1日に心臓病の突然発作で死亡した。
シカゴ中国領事館の前でセクハラ行為をした雷国鳴


 2001年7月13日午後、法輪功学習者は中国領事館の前で新聞記者会見を行った。主題は 「SOS迫害されている中国法輪功学習者を緊急に救援する」であった。四人のイリノイ州の学習者は7月13日の午後に出発してワシントンDCに向かい、途中にある十数個の町で功法を教えて、新聞記者会見を行った。新聞記者会見に参加するマスコミへの招待券は7月10日に既に配った。

 午後一時ごろ、法輪功学習者の強さんと方霖酸が一緒に中国領事館の前で新聞記者会見に参加しに来た。彼らは領事館の人員が前もって学習者たちがいつも使う場所に三台のU-HAULトラックを駐車し、70%の視線を遮断させた。

 そこに、強さんと方霖さんは一人ずつ写真展示版を持って交差点に行って、学習者の高大鵬さんも一つの展示板を持って来た。

 二時過ぎ、女性の学習者の鹿豊さんがERIE町の歩道で三人の記者と話して、世界日報記者のインタビューを受けた。

 2点40分ごろ、突然、何人かが学習者の目の前に来た。紫色の服を着た邱超濂がセクハラの動作をし始め、他の何人かは汚い言葉を言った。学習者たちは冷静を保って、打たれても返さず、罵られても返さなかった。次に、黒い背広を着た梅国忻(火斤)は両手で女性学習者の鹿豊さんの胸部に手を伸ばして、資料を奪った。何回もやりとりがあって資料は破れた。

 その後、ある人物が方霖さん手の中の資料を奪い始め、同時に学習者たちに人身を攻撃した。強さんの展示板は三回も蹴られて、特に邱超濂と雷国鳴は一番凶悪だった。

 最後に灰色の服を着た雷国鳴はまだ満足せず、あえて領事館の前で、大勢の若い女性学習者の前で(また領事館が招いた客の前で)ヤクザ行為をした。彼は手をしたにおいて、極めて下品なセクハラ動作をしながら、極めて下品な言葉を言った。

 一人の学習者は、「領事館の人はどうしてこんなヤクザ行為をするのか?」と聞くと、一人の館員は、「彼は領事館の者ではない、彼はアメリカの国民だ」と答えた。学習者は、「あなたたちはどうしてヤクザも呼んできたのか?」と聞いた。

 彼らの何人かは領事館に隠れて、鹿豊さんは依然として両手で資料を抱いて領事館の玄関口に立っていた。

 警察が来てから一人の赤いTシャツの領事館の領事が交渉しにきた。鹿豊さんは警察に邱超濂の身分を明らかにするよう要求し、殴った人とセクハラをした人を訴えると話した。警察は記録して、こちらは鹿豊さん、向こうは邱超濂だった。事件に参与した者は邱超濂と雷国鳴、梅国忻(火斤)がいた。

 写真の中に手で人をさしている人物が雷国鳴で、2002年11月1日に、50代の雷国鳴は突然心臓病が発作し死亡した。また事件に参与した邱超濂は告訴されている。

 天網は漏らすことなく、中国人は昔から善悪にはみな報いあると言うことを信じている。シカゴ中国領事館の前で暴力で絶食活動している学習者を殴って、そして狂言し、「おまえがもし私を告訴したら、殺してやる!」と言った鄭積明と翁玉俊はそれぞれ2002年11月と12月に法律に従って罪を認めた。

 ここで我々は、このような海外で悪人の用心棒になり法輪功に対する迫害に参与する人に勧める。良心のために、社会のために、また自らの未来のために悪事を働かないようにして下さい!

中国語サイト:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/27/65887.html