日本明慧


市長の死 1人の警官の真実な物語

【明慧ネット2004年2月15日】去年明慧ネットに載った一つの文章《どうしてこの警官は言ったのか?:“法輪功を修煉する人は皆聡明な人だ”》の中で、1人の警官が1999年7月に見聞きした2人の法輪功学員のことを話している。それは法輪功修煉を通じて、重い病が急速に回復したという内容で実話である。4年半が過ぎた今、この話に登場する二人の主役の結果はどうなっているのであろうか?少しの手がかりだったが、筆者は転々として何人かの当事者を探し当てた。そして、主役の1人はお婆さんだった。彼女の近況は明慧ネットに実名で報道した(《煉功してからたった3日間で、私の20年間の猫背はぴんと伸びた!》)。もう一人は若者で、彼は張子強と言って、柳州市のある会社員で、1970年2月12日に生まれた。彼は2000年12月28日、すなわち江氏集団が法輪功を迫害し始めて1年半後に、白血病が再発し、手を尽くしたが30歳という若さで死んだ。 

1998年初、28歳の時張子強は検査により白血病を患っていることを知った。彼は市の人民病院に入院して、いろいろと治療したが、病状は好転せず、かえってますます重くなった。彼の病気を治すために、会社と家族は多額の負債をしながら全力を尽くした。しかし最後に告知されたのは、我が国の現在における最高の技術レベルと薬物を以ってしても、すでに治愈する希望がないと言うことだった。経済的な考慮から、病院は治療を放棄することを提案した。医者は彼の生命は長くても1ヶ月だと断言した。1999年1月、張子強は家に帰った。 

当時張のお姉さんの同僚に1人の法輪功学員がいた。彼の情況を聞いてからその学員は家までやってきた。息も絶え絶えとしている張子強を見て、この学員は彼に1冊の《転法輪》を手渡した。そして学員は彼によく読んで、よく学んでください、これは最後の希望です、大法はあなたの生命を救うことができるかも知れないと言った。 

張子強は真剣に読み、またよく学んだ。すると1週間後に、彼はベッドの上に座り始めることが出来た。さらに1ヶ月後には、降りて歩くことが出来た。3ヶ月後になると、以前は風に飛ばされそうに弱々しかった彼が見違えるように丈夫になった。半年を過ぎると、彼は完全な健康体になった。 

1999年7月に江氏集団が法輪功を迫害し始めると、張子強は法輪功の修煉を止めた。もう法を学ばなくなり、煉功することもなかった。 そして宝くじや株等を買い始めた。日に日に意気消沈する息子を見て、もともと修煉しなかった母は何度も彼に法輪功を放棄しないよう忠告した。それは法輪功が自分の息子を救ったことを母が一番よく分かっていたからだった。当時の張子強はどのように思っていたのだろうか?今はもう知るすべもない。しかしただ一つだけとても明確な点がある:彼が修煉を停止したことだ。2000年9月、張子強は白血病が再発し、3ヶ月後に亡くなった。 

私はまたもう一回あの警官の家にやって来て、聞き出した情況を彼に伝えた。警官はしばらく沈黙してから言った:“もっと前にこのような結果がありえると予測した。実は多くの事実が目の前に並んでいるが人々は信じない。ただ内部の人間だけはどういうことであるかが分かっている。” 

警官は言っていた:“私が接触した法輪功修煉者の中で、この2人は最も印象が深い。彼らの病気が治る過程は聞いたところ神話のようだが、すべて本当のことである。隣近所の人々は皆な目撃している。” 

警官はまた言っている:“法輪功が病気を治すことを私達は皆知っている。柳州に居るほとんどの法輪功を煉功した人々は、皆重病であったり、様々な難病を抱え、病院では治療できないので仕方なく煉功を学び始めるようになった人達です。そして彼等の内の大多数は煉功して本当に病気が治ったのです。これは確かに事実であて誰も否定しません。でも、本当に私達を驚かせ、今なお胸をどきどき感じさせたことは、ただ単に法輪功が病気を治すことができるということだけではないのです。” 

“それでは何でしょうか?”私は理解できず聞いた。 

“あなたは宋福民がどのように死んだかを知っているか?” 

宋福民はもと柳州市の副市長で、その後抜擢されて南寧市市長になった。若くて才能があり、輝かしい前途があったが,数年前突然重態になり亡くなった。これは当時の広西ではセンセーショナルなものだった。 

警官はまた引き続いて言った:“もしあなたが彼の死亡した期日に注意するならば、どうしてかを知ることができるかも知れない。彼は1999年の7月25日に死んだのです、すなわち法輪功を弾圧してから5日目の日になります。 

“彼は何度も公の場所で法輪功をそしるだけではなく、また悪辣に李先生を罵ったのです。当時多くの学員は彼に罵ってはいけないと警告し、李先生はいい人で、あなたは罵ると罰が当たるのよと言った。しかし彼は信じないで、公開して自らの意見を述べた:彼から私に報いさせるようにすれば。結局当日の晩に、体のよい宋市長が不思議なことに病死した。彼は死ぬ前にいかなる徴候もなかった。 ”

“すべての人は彼の死因を議論した。あるものは酒を飲み過ぎたからだと言い、あるものは女性関係だと言う者もいたが、実は私達内部の人達は皆知っていた。彼は凶暴過ぎたのです。 

“彼が報いだと言っても、同じく信じない人がいる。宋福民自身さえも信じなかったが、彼はやはり死んだ。しかし彼は死ぬ瞬間までどうしてか?を知らなかった” 

警官はここまで話をして、その後口を閉ざした。私は突然彼のあの言葉が分かった:法輪功を修煉する人は皆聡明な人だ。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/2/15/67495.html