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中国の六つの省で再び六名の法輪功学習者が虐殺された

【明慧ネット2004年2月22日】最近中国では法輪功学習者に対する迫害が一段と強化した。全国各地の沢山の学習者は連行されたり、監禁されたりして、虐殺されたケースも増えた。海外の学習者はこれに対して強い抗議を行い、迫害の責任者である江沢民、羅幹、劉京、周永康を法律で裁くことを呼びかけている。
 
法輪大法インフォ・センター2月21日の報道によると、新たに六名の法輪功学習者はそれぞれ河南省、山東省、四川省、貴州省、吉林省、黑龍江省で警察の迫害により亡くなった。この六名の法輪功学習者は張全德さん、馮時朝さん、孫発祥さん、劉志臣さん、和平さん、李懐慶さんである。 
 
以下は、亡くなった六名の法輪功学習者の情況である。 

河南省の張全德さんが警察に虐殺された情況
 
張全德さんは退職前に河南省南陽市臥龍区党委員会副書記だった。法輪功の修煉によって多病の身体から健康を取り戻した。99年7月以後、法輪功の修煉を放棄したくないために、3ヶ月間留置所に拘束された。釈放された後も、南陽市駅前交番の警察の嫌がらせを度々受けていた。
 
2003年1月、張全德さんは南陽市駅前交番の警察に連れ去られて、一ヶ月間監禁されていた。その後、更に南陽尚庄留置所に入れられ、64日間監禁された。警察は張全德さんに法輪功を罵るように命じたが、張全德さんは「私は共産党員としての年数はあなたたちの年よりも長い、党政の仕事を数十年間やって来たが、あなたたちのような、法律を知りながら法律を犯す人を見たことはない。どの条例が人に罵ることを教えているのか? 私は法輪功を修煉して、身体が健康になったし、我々の師父は我々に罵られても言い返しては行けない、殴られても仕返しては行けない、常に人のことを先に考えるように要求している。これは何処が間違ったのか。法輪大法は本当に素晴らしい!」と話した。南陽尚庄留置所での長期的な虐待により、張全德さんの健康状況は急激に悪化した。釈放された時、全身に皮膚病を罹って、すでに自力で歩けなくなった。2003年5月に張全德さんは迫害により亡くなった。南陽尚庄留置所の警察は瀕死状態の張全德さんを家に帰したとき、家族に2000元を強要した。

四川省の馮時朝さんが迫害により死亡した情況 
 
馮時朝さんは65歳、四川省米易県撒蓮鎮の住民である。1997年から法輪功を修煉してから、慢性胃痛、腰痛、リューマチが全部無くなって、健康になった。2000年のある晩に、馮時朝さんは他の法輪功学習者と一緒に法輪功真相の張り紙を貼りに行ってから、米易県公安局に逮捕され、虐待された。家に帰らせられた後、間もなく亡くなった。

貴州省の孫発祥さんが迫害により死亡した情況
 
孫発祥さんは60歳、貴陽市甘蔭塘地区の法輪功補導員であった。奥さんと一緒に警察に不法逮捕され、拘置されている間に、40度の高熱が出たが、それにしても寒い小屋で監禁し続けられた。更に毎晩に警察に駅まで連れて行かれて北京へ陳情に行く学習者を探しに行かせた。孫発祥さんは警察に協力しないため、虐待を受けて2002年5月14日に亡くなった。

黒龍江省の和平さんは2年前に虐殺された 
 
和平さんは35歳、生前は七台河市勃利県長興林場の法輪功学習者である。99年11月12日に長興林場交番の警察に不法逮捕され、留置所に六ヶ月間監禁されていた。その間に、さまざまな拷問、虐待を受けていた。釈放された後、またすぐ勃利県公安局政保課長である孫成義から2年間の労働教養を言い渡された。2000年7月24日に平和さんは綏化労働教養所に送致されたが、長期間の留置所の虐待により、健康状況がかなり悪くなっているので、入所健康検査で不合格になり、二日後に勃利県の留置所に送り返された。それにしても、勃利県公安局は平和さんを釈放することを断り、そのまま一年間監禁し続けた。その後、平和さんは健康状況が極めて悪くなったので、2002年8月にやっと家に帰らせた。家に戻った平和さんは3ヶ月後に亡くなった。

山東省の李懐慶さんは迫害により亡くなった情況
 
李懐慶さん、58歳、生前には寧津県の退職教師であった。1999年7.20以後、法輪功の修煉を止めたくないため、さまざまな迫害を受け、罰金だけでも一万五千元に上っている。
 
2001年12月29日、李懐慶さんは寧津県拘置所に入れられ、長い間に警察及び犯人たちの暴行、虐待を受けて、重病に罹った。出所後、病院に入院した。この状況下にもかかわらず、「610事務局」の人はまた李懐慶さんを洗脳クラスに連れて行こうとした。病院から発行された病状危篤通知書を見せたら、「610事務局」の責任者は家族の人が代わりに行くことを強要した。李懐慶の娘さんはこの無理やりの要求を断ったが、結局400元を取られて済ませた。李懐慶さんは退院した後も、悪人が嫌がらせを止めなかった。2003年8月、李懐慶さんは酷く残害された身体を持ったまま、この世から去った。

吉林省の劉志臣さんは迫害により死亡した情況
 
法輪功学習者の劉志臣さん、32歳、吉林省德惠市大房身鎮西北天村一社の村民である。2002年2月8日に、劉志臣さんは德惠市公安局の数人の警察と大房身鎮交番警察の于傳強、張帥強により家から強制的に連行され、交番で暴行された後に德惠市の拘置所に入れられた。一ヶ月後、九台飲馬河労働教養所に送られ、一年間の労働教養を強いられた。
 
労働教養所で、さまざまな虐待を受けていた劉志臣さんは、酷い疥癬症に罹り、2003年1月6日に釈放されたが、残虐な体罰による身体の傷害がなかなか回復できず、2003年9月12日に德惠市病院で亡くなった。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/2/22/68188.html