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不法に11年間の禁固刑を科せられた鄭州市の大法弟子宋旭さんが危篤に陥っている

【明慧ネット2004年2月27日】鄭州市の大法弟子宋旭さん、男性、31歳は、98年に河南農業大学経済貿易学院の経済貿易学部の卒業生である。99年7.20以来、数回上京して正々堂々と大法を実証してきた。2002年11月、宋旭さんは再び逮捕された後、不法に11年間の禁固刑を科せられた。逮捕された日から、宋旭さんはずっと絶食して迫害に抗議してきた。現在、身体は極めて弱くなり、寝たきり状態になっている。

*労働教養所での残酷な迫害
 
2001年2月4日、宋旭さんは不法に逮捕され、鄭州白廟労働教養所に送り込まれた。その間に法輪大法の修煉を放棄しないため、残酷な拷問を受けた。2月9日の夜、凶悪な警察は宋旭さんの手足をベッドに縛り付け、口の中に靴下を詰め込んで、それからベッドをひっくり返して、9時間つるした。腫れ上がった手足に縄が食い込んで見えなくなった。宋旭さんは長時間の激痛に耐えていた。翌日管理隊長がはさみで縄を切った後、両手で宋旭さんの足を抱いて揺すりわざと激痛を起こした。このような残酷な体罰によって宋旭さんの足はもう動けなくなった。宋旭さんが歩けない情況で、排便しようとする時に、警察は零下十数度の気温の状況下で、宋旭さんの服を全部脱がせ、彼をセメントの便器の上に乗せた。用が終わった後に、警察は先ず木棒で彼の肛門を突ついて、その後寒い水道水を下半身に噴きかけた。これが全国で有名な“模範労動教養所”で法輪功学習者に対して行う “矯正教育”である!
 
無実の迫害に抗議するため、宋旭さんは絶食を始めた。これに対して、警察は口器を使って宋旭さんの歯をこじ開けて食事を流し込んだり、鼻孔に塩水を注ぎ込んだりした。70日間絶食し続けた後、6月中旬になると、宋旭さんの体質は益々悪くなって、血圧の最高値は70に足らず、最低血圧は20を切って、生命の危険が目前に迫ってきた。労動教養所は責任を負うことを恐れて、宋旭さんの家族に医療を受けるために仮出所申請書を書かせた。しかし家族は申請書を提出した後、市公安局、金水区公安支局に無視されて保釈の手続きをしてくれなかった。結局、宋旭さんの生命が危篤になってから、病院に入れられただけだった。

*悪人の暴言は法律になった
 
2000年の末、中国共産党の第16回代表大会を開く前に、法輪功学習者に対する迫害は一段と厳しくなった。公安局と町内会の人は毎日のように宋旭さんの家を監視、監督に行った。そのために宋旭さんは家を離れた。宋旭さんを見つけられない金水公安支局長の楊玉章は怒りが爆発して、「今度捕えたら十年間の禁固刑にかけないと済まない!」と暴言した。

2002年11月10日、宋旭さんは病院から退院したばかりの友達を見舞いに行く途中、警察に連行されて、三昼夜寝かされず、7日間体罰を続けられた。2003年3月7、8日に家族や外の人が誰も知らない状況下で、宋旭さんに対する秘密審判が行われた。そして、宋旭さんは11年間の禁固刑を言い渡された。判決された後、文化路警察交番の指導員の王×は家族に次のように告げた。「控訴しない方が良いよ、どこに控訴しても無駄だ。この判決を引っくり返すことができない」この判決の結果から見れば、法輪功を迫害している悪人の暴言がまるで法律である。

*善良な人々よ、危篤に陥っている大法弟子宋旭さんに援助の手を
 
2002年11月10日に不法に連行されて以来、宋旭さんはずっと絶食して迫害に抗議している。70日を越えた絶食により、身体はがりがりに痩せて、極めて虚弱になっている。既に一度死にかかって、病院で救急治療を受けたことがある。警察は一切の見舞いを許さず、宋旭さんの行方を尋ねた友達も拘置所に入れられた。警察は宋旭さんを迫害する事実が人に知られることをかなり恐れているようである。

現在宋旭さんは新密県のある刑務所に拘禁されており、一人で身体を動かす力さえもなくなって極めて危険な危篤状態に陥っている。家族は医療を受けさせるために繰り返し仮釈放を求めたが、全て断られた。善に向い、健康になりたく、道徳が高い人になることは、どこが間違っているのか。どうしてこのような法輪功学習者を虐殺しなければ満足しないのか?

ここで、我々は社会各界の人々にお願いたい:援助の手を差し伸べ、長期間の虐待により既に死にかかっている宋旭さんを助けてください。同時に江沢民集団の追随者に警告しなければなりません:早く犯罪を止めて、大法弟子を善処し、罪を償いなさい。さもなければ、天理による処罰から決して逃れることは出来ないでしょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/2/27/68620.html