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華僑時報事件は最後の論争を終えた:言論の自由、憎しみの宣伝と傷害

【明慧ネット2004年2月28日】(明慧記者の梅潔)2月26日、華僑時報の誹謗事件は法廷論争の最後の一日に入った。原告弁護士のベルイマンは異なる角度から被告弁護士の言論自由に対する絶対化の論調に反論した。同時に、華僑時報の文章が憎しみの宣伝に属すると指摘し、そして原告の法輪功学習者を償い切れないほど大きく傷つけたと指摘した。この日の法廷では当事件についての判決はなかった。法廷終了後裁判官はすべての関連するファイルを審査認可した上で、判決すると表明した。

言論自由は公共道徳規範がある

前日の繰り返された言葉の中で、ベルイマンは新聞報道関係者の異なる準則、および広告と社説などの題材の標準に関して列挙した。これらの準則は:公平で、公正で、正確で、厳格で、真実で、全面的で、個人の権利が侵犯されないことを尊重している。そして適切に修正するなどが含まれている。

ベルイマンは華僑時報の文章を追って分析した結果、これらの文章が完全に新聞報道関係者の道徳的な法規と標準に背いたこと、その報道は事実と大きな差があることを発見した。

ベルイマンは、もしあなたがこれらの道徳標準に徹頭徹尾背いた教材を探すならば、華僑時報はまさに1つの例だと言った。

被告弁護士は陳述の中で、新聞報道関係者の道徳的な標準を投げ捨てている。そして言論の自由は絶対的だ、もし名前を指定せず、人の名誉に損害をもたらしさえしなければ、いかなる自由な攻撃も可能だと述べた。

ベルイマンは反論の時、異なる方面から言論の自由次第は相対的だと詳しく述べた。

内容上、ベルイマンは関連する法律条文を引用してこう言った:“評論される事実は必ず真実でなければならない。理由もなく想像してはいけない。”法律の定めによって、突詰めると異なる場所と背景によって、全体の文章の意味は違ってくるので、只のひと言ではすまされない。言論の自由を行使するのだ。法律と事実に照らし合わせてみると、華僑時報の文章はすべて誹謗的な性質に属する。華僑時報事件の大きな背景には中国国内の法輪功学習者に対する深刻な迫害という事実がある。法輪功学習者の言論の自由は完全に剥奪された。江氏集団のしていることは完全に法輪功学習者を中傷する憎しみの宣伝だ;その背景は華僑時報が国内の憎しみの宣伝を大量に転載することで、当地の法輪功学習者に対して歪曲し、中傷し、共同社会での憎しみを扇動することだ。 

華僑時報の事実に背いた例はいずれも皆そのようで、例えば、相手の弁護士は法廷で法輪功学習者がうそをつくと中傷した。そして華僑時報が法輪功学習者を“テロリズムの分子”だと言ったことを否定した。彼は、もし本当にこのように言ったとしたら、あれは最も嫌なラベルだと言った。事実、華僑時報は何度も法輪功学習者を “テロリズムの分子”、“テロ組織”および“暴力団・マフィアの世界”と言い放ったとベルイマンは法廷で適切な証拠を提出した。 

対象を適用できる上から、言論の自由の尺度も異なっている。ベルイマンは例を挙げて、公民と国家の間、公民間での言論の自由の標準はある程度異なっていると言った。個人と国家の関係の中で、公民が言論の自由を行使するのに何もないが、公民と公民の間で言論の自由を考える時は、普通他人の基本的な権利を傷つけず、公民の名声を尊重するのが前提だ。 

発展という角度から、ベルイマンは、法律の適用は永久に変わらないのではなく、その時の社会における正常な状態に合せるべきだと述べた。いかなる時代に於いても、言論の自由の神聖さを保護するため、法律は必ず言論の自由の境界線を明確にしなければならない。ベルイマンはこう言った、“これはどうして私が法廷で新聞報道関係者の道徳規範を少し振り返ったかの理由だ。” 

“筋道のない言語・おかしい材料”の殺傷力

華僑時報の弁護士は、11月3日の文章だけが筋道がないと言った。彼は、つじつまが合わないものに何が恐ろしいか?と強調した。まったく傷つけることにならない。被告の華僑時報の社長は、華僑時報の11月3日、10日と23日の文章の"つじつまが合わない"、"愚かだ、誰が信じることができるか?"と証言の中でも承認した。 

しかし、ベルイマンは、華僑時報の一部の読者は新聞に掲載されたものを信じていると法廷で述べた。この点は華僑時報の発表した読者からのメッセージからはっきり分かる。 

ベルイマンは法廷の上でヒトラーのユダヤ人をそしって中傷した本——《私の奮闘》を持ってこう述べた。“この本は数百万人のユダヤ人が殺戮されることを招いた。これと同様に筋道がない気違いのような言語でおかしい材料を掲載すると、それらは何時の間にか人々を説得し憎しみを持った恐ろしい犯罪をするようになる。” 

ベルイマンは、もしこの本の中の“ユダヤ人”を“法輪功学習者”に置換えれば、この本の表現した意味は、今日の華僑時報の表現した意味と同じになると指摘した。 

ベルイマンは、同様につじつまが合わない、気違いのような言語、おかしい材料だが、この本は数百万人を殺害した。一体どのくらいの人がこの戦争で死んだのか?と述べた。ベルイマンは、私がこの本を読んだ時の思いは、原告が華僑時報の文章を読んだのと同じ様に、全身が震え非常に恐ろしいものだった。私はなくなった6百万人のユダヤ人の方々を思う時全身がぶるぶる震えたと言った。もしこの本が印刷されなかったら、この6百万人のユダヤ人は今では3千万人になっていただろう。 

憎しみと傷害

高等裁判所の憎しみに対する定義に言及する時、ベルイマンは、憎しみは壊滅と関係がある呼称であり、憎しみは理知がない情緒で気が狂うことを招くと言った。ケベック州の人権憲章の精神から言っても、公民の名誉を守るため憎しみは取り除かれ拒絶されるべきだ。 

ベルイマンは、精神を傷つけて償うことができたとしても、返済することはできない。更に金銭では量れない。精神から名誉まで、このような傷害は量ることができない、と言った。金銭によるは弁償ただ1種の補償である。 

多くのひとが華僑時報の請願の手紙の上で署名したのは、華僑時報が自分でこのような傷害を証明したことだとベルイマンは述べた。彼らが署名したのは彼らが華僑時報を信用するためだ。露茜は証言の中、彼女は老人例会で人が入るとすぐ署名を求められることを見たと言った。華僑時報は積極的に共同社会の中で憎しみを扇動した。 

ベルイマンは、これらの原告が攻撃される時、同じ言語で伝統と文化の背景が同一である共同社会のモントリオールの中国同胞はこのような攻撃に対して理解を表した。そして原告を邪悪と表した。この作られた全ての原因は、中国で、1人の権力を握る人が突然ある日こう話し出したからである:これらの法輪功を煉る人は私を恐れさせて、私を脅しそうだ、彼らを取り除こう。——これがもたらした障害より大きいものが何かあるだろうか?

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/2/28/68784.html