日本明慧


正念を発する時には常人社会の環境に配慮すべきである

文/米国の学習者 

【明慧ネット2004年3月7日】定時に正念を発することは大事なことですが、中国の大使館や領事館以外のところで、正念を発する際には、常人社会の環境に配慮した方が良いと思います。周囲の人に誤解を与えることなく、大法に良くない印象を与えないよう、気をつけるべきであると思います。
 
ある日、数人の学習者と一緒に外食に行った際、ちょうど正念を発する時間となり、学習者たちは、一斉に食事を中断し眼を閉じて正念を発し始めました。その飲食店は、全部で5つのテーブルしかなく、その内の3つのテーブルを学習者が占めていました。手印は結びませんでしたが、10分以上ジッとしていました。このような姿は常人から見れば、理解し難いことでしょう。また、食事の席に座っていながら、料理に手をつけないことは、店の主人に対しても、他のお客さんに対しても、失礼なことではないかと思います。
 
最近、学習者と常人が共に活動を行う際にも、正念を発する時間に、多くの学習者が一斉に手印を結び、正念を発し始めました。一緒に居る常人たちは、皆が法輪功の学習者であることを知っていますし、大法を支持していますが、それにしても、突然集団で正念を発する場面に直面し、困惑を隠せなかったようです。
 
わたしたちの使命は、世の人を救い済度することであり、行っている事の全ては、このためにあるのではないかと思います。わたしたちの行いを見て、常人が良い印象を感じ、済度されたならば、それは功徳無量のことではないかと思います。大法に良い印象を持ち救われるはずの生命が、わたしたちの行いが元で、大法に対する印象が悪くなり、済度されることがなくなれば、業を作るということになるかもしれず、責任を果たすことも、出来なくなるのではないかと思います。
 
このことに関して、師父は『正念』という経文の中で、このように説かれました:“正念を発する際に、その現れがいくら激しくても、表面は穏やかなのです。特に職場または特別な場所にいる際、掌を立てても立てなくても、効果は同じです。強大な正念を保ち、考えが集中していれば、同じ効果を収めることができます。ただ、普通の情況下では掌を立て、蓮花手印をするべきです。”

個人的な理解としては、この経文の中で、師父は次の2点を教えてくれたと思います:一つは、手印を結んでも、結ばなくても効果は同じということ。もう一つは、常人の環境に配慮し、誤解されないように気をつけることです。また、正念を発することについて、明慧ネット編集部の文章にも“歩いている時も、食事中や仕事中でも、どんな環境の下でも正念を発することができます”と発表されたことがあります。従って、取り掛かっていることをやりながら、正念を発しても、互いに影響するということはならないと思います。
 
大法を確固として信じることは、修煉の一面であると共に、理性的に偏ることのないことも、とても重要な一面ではないかと思います。
  
以上は個人の認識するところです。どうぞご意見ご指導の程宜しくお願い致します。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/3/7/69337.html