日本明慧


“本当だ、神は本当にいるのだ!”

文/湖北省武漢市大法弟子

【明慧ネット2004年3月20日】2000年12月末、私は法輪功のために上京して陳情し、真実を言ったため、漢口の邪悪な警察に駅で連行された。そして翌日、武漢市第一女子留置場に閉じ込められた。監禁された留置場には七名の経済犯と五名の大法弟子がいた。

暗くて寒い、湿っぽい留置場は一日中陽が当たらなかった。石灰とセメントを混合した地面はデコボコしていて、所々暗かったり、白かったりしていた。毎日全員オンドルのへりに座るよう強制され、大声で話すことも禁止された。私達は先生の経文と《洪吟》をもくもくと暗記した。時間が経つにつれて、何気なく地面を見ると意外にも多くの光景が見えてきた:唐僧が馬に乗って経文を取りにいくイメージ、孫悟空が如意棒を担いでいるイメージ、獣の皮で作られたスカートを穿き空中で飛行する姿、帽子さえ映画の中とそっくりで、生き生きとしていた。また天女が花を散らす姿も見えた。花かごを頭上に高く差し上げ、散る花は後ろに一片につながった。またたくさんの小さい動物が、大きく口を開け、嬉しそうに大きい入り口に向って駆け回るイメージなど、見れば見るほど多くなってきた。その時、私達はただ先生が私たちに、時々刻々自分が修煉者であることを忘れないように悟らせていると思った。 

数日経つと、私達は留置場のほかの数人とも知り合いになり、彼女たちに自分の修煉の中での物語を話した。自分が大法の中で受けた心身の受益、病気治療と健康保持の珍しい事件、また先生が私達に教えてくれた人間としての道理などを話した。その中のA、B二人の犯罪者は私達と一緒に先生の《洪吟》を学び、暗記し始めた。彼女たちは記憶できないことを恐れて、私達に先生の詩を彼女たちが持っていた唯一枚の紙(判決書)の背面に書くように求めてきた(ペンは他の経済犯が上訴材料を書くときだけ使えるもの)。半月経つと、彼女たちは十数首の大法の詩を覚えるようになった。 

或る日、突然留置場の捜査が始まった。数人の女性警官が入ってきて私達を戸外に一時閉じ込めた。ふだん私達と一緒に《洪吟》を学んだA、B二人はびっくりして震えながら一塊になった。Aは青白い顔色で言った:先生の詩が手元にある、と。よく隠せなかった。Bもよく隠してないまま、荷物の包みの中にあると言った。突然やってきた事件に直面して、私達もどのようにすればよいか分からなかった。しかし心の中は非常に落ち着いて、恐ろしいとは思わなかった。その時一人の旧い弟子がみんなに先生の話"邪悪を窒息する"を黙読することを暗示してくれた。私達はひっそりと心の中で繰り返し黙読していた。警官はAの身体から判決書を探し出し、彼女にこれは何かと聞いた。Aは急に聡明になって、口から出任せに一語"上訴の理由"と言った。 

彼女の両側に立っていた経済犯はみな短期大学のレベルで、一人はマネージャーの秘書で、一人は経理をやっていた。彼女二人は突然ぎょっとした:Aは湖北農村から武漢に来て家政婦を勤めていて、小学校一学年生のレベルしかないのに、彼女がいつ"上訴の理由"を書いたのか?彼女二人は期せずしてあの紙を見た。奇跡は現れた:暗いペンで書かれた字"上訴の理由"の下に1、2、3条がまだあって、筆跡はぐにゃぐにゃと彼女の字のようだった。警官は"そうか"と言い、紙を彼女に返してくれた。Bの書いた紙は地面に落され発見されなかった。

警官が離れるよ、あの短期大学レベルの経済犯は我慢しきれず自ら手を出して、Aの手元からあの紙を取り出した。見ると、書かれたのは私が藍芯のペンで書いた《洪吟》の中の詩の筆跡だった。これを見て彼女二人は驚き放心状態になった。そしてふと我に帰ると興奮した二人は私の手を引っ張って続けざまに言った:"お姉さん、本当だ、本当だ、本当に神がいるのだ!"

その日から、毎朝目を開くと、彼女たちは私達と同じく、掛け布団の中で先生の“論語”と《洪吟》を暗記した。暇があると、彼女たちは私達を囲んで私達から大法弟子の物語を聞いたり、先生の経文を学んだりした。何度かは監視装置で監視している警官に問い詰められたが、看守が援護して言った:"日常会話をしている。"と。彼女たちはみな、釈放されたら法輪功を学び、煉功すると言った。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/3/20/70342.html