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山東省諸城市の大法弟子王継華さんが迫害により死亡した状況の実録(写真)

【明慧ネット2004年3月24日】大法弟子の王継華さんは、男性、1964年6月9日に生まれ、山東省維坊市諸城密州街道鉄水村の人である。王継華さんは“真善忍”の 信仰を堅持したため、数回に渡って興華路警察所の曹金輝等から残酷な体罰を受けた後、2004年2月25日に全身に外傷を負って自宅で亡くなった。

王継華さんは貧しい家庭の生まれで、少年時代から小さな炭坑で働いていた。重労働により、小さい王さんの体は壊れて、腰痛、肩関節痛にずっと悩まされていた。その為医薬費が重って貧しい家庭の生活は一層苦しくなっていた。1995年11月から、王さんは法輪功を修煉し始めた。すると数十年来のこれらの病気が一掃された。身体は元気になり、精神的にも明るくなった。鉄水村の人々は王さんの修煉前後の変化をよく見ていた。この事実をきっかけに、村のたくさんの人々は法輪功を修煉し始めた。
 
人々は修煉によって得られた心身健康の喜びを楽しんでいると、嫉妬によって気が狂った江沢民は法輪功に対して全面的な弾圧を発動した。これによって一時、中国の大地は恐怖に包まれた。江沢民の邪悪な迫害政策に追随する一部の悪人は、江沢民の指示に従って修煉者を迫害したり、大法の書籍を没収したり、修煉者に法輪功の修煉を止める“保証書”を書かせたりした。
 
地元の警察は自分の信仰を固く堅持する王継華さんに対して専門の監視員をつけた。そして1999年7月19日に王さんを一時拘束して11日間監禁した。この不当な抑圧に対して王継華さんは2000年の元旦に北京の陳情事務局を訪れて中央政府に法輪功の無実を訴えに行った。ところが陳情事務局は既に人民の苦痛を聞くところではなく、法輪功を迫害する窓口に変身していた。王さんはその場で拘束された後、諸城興華路警察所に連れ戻された。警察所で王継華さんに対し公安局政保大隊の曹金輝、朱偉、袁偉等は棍棒、電撃棒、ベルトを使って徹底的な暴行を加えた。王さんは全身が血まみれになり意識を失った。それでも警察は彼に冷たい水をかけて意識を覚まさせると暴行を続けた。その後、王さんを鉄水村役場の会議室に監禁した後、王さんの家族にご飯を持ってくるように知らせた。
  
王さんの奥さん林良花さんは優しい農家の女性だが、会議室で王さんを見た時、彼女は自分の目を疑った。目の前には全身血だらけの主人が机の上に横たわっていた。身体の傷口は衣服と粘着していて、彼はもう立てることさえ出来なかった。この様子を見た林良花さんは心が痛くて涙がぽろぽろ流れ出した。このように迫害した後、さらに村の党支部の書記宋玉章は公安局の警察の指示に従って、家族に8000元を強要した。そして金を払わなければ王を釈放しないと言った。しかたなく家族が金を借りて払うと、30日間監禁された王継華さんはやっと解放された。

しかし、迫害はこれで終わらなかった。2001年3月、興華路警察所の二人の警察官と村の幹部は、王継華さんを村役場に連行し、建てたばかりの未使用の二階に監禁した。王継華さんは隙を見てそこから逃げ出した。2001年5月28日、王継華さんは学習者の家に居る時、曹金輝、朱偉、王軍等十数名の警察官に拘束され、諸城国安酒店(公安局招待所、大法弟子を迫害する時によく使わるところ。今は名前が変わった)に連行されて、鉄椅子の上に数日間縛られた。その後、王さんは諸城刑事拘留所に一ヶ月間監禁された。そしてまた諸城興華路拘置所に移され20日以上監禁された。王継華さんは自由を失った状況下でも固く大法を信じていた。彼は隙を見て、監禁されたところから逃げ出した。

厳しい環境下でも王継華さんは大法弟子の使命を忘れなかった。そして彼は可能な限り、法輪功が迫害されている真相をテレビや新聞の嘘の宣伝に騙された村人に伝え、法輪大法の素晴らしさを人々に教えていた。

2002年1月、王継華さんは諸城市密州街道大高東埠村の学習者の家に居る時、村幹部の告発によって、再度拘束された。彼は曹金輝、朱鵬徳などの警察に暴行された後、昌楽労働教養所に送られた。しかし度重ねる迫害により、王継華さんの体はかなり弱くなっていたので、昌楽労働教養所は受け取りを拒否した。そしてまた諸城刑事拘留所に入れられた。最後に、邪悪な迫害に屈服しない王継華さんは、2002年4月に山東淄博王村労働教養所に入れられた。

王村労働教養所でも、王継華さんは邪悪の迫害に屈しなかった。数日後、奥さんの林良花さんは道端で村党支部書記の宋玉章に会った。そこで王継華さんが?博148医院に入院したことを知った。林良花さんは慌てて?博148医院に行くと、目の前の王継華さんは顔面蒼白、髪に血が粘りついて、頭には生々しい傷があった。体はがりがりに痩せて、大小便を垂れ流し、意識がない植物人間になっていた。林良花さんは“家から出た時はとても元気だったのに、どうしてこうなったのですか?”と現場に居る医療関係者と私服警察に聞いたが、誰も答えてくれなかった。病院でどうにもならない状況下で、4月20日、林良花さんは王さんを家に連れて帰った。

法輪功学習者はこの状況を知ってから順番に王さんの世話を担当した。大法の力で王さんはもう一度奇跡的に回復してきた。徐々に座ることが出来て、そして立てるようになり、しかも歩くことも出来るようになった。だが、また意識の反応が鈍く、頭痛、足の痛みなどの症状があった。

このような状態になった王継華さんに対しても、悪人たちは依然放って置かなかった。2003年12月23日夜8頃、諸城興華路警察所の二人の警察官はまた家に来て王さんに法輪功をやめる“保証書”を書くように強要した。しかし王さんはきっぱり断った。

長期的な迫害によってすでに体が極限まで弱くなった王継華さんは、警察の嫌がらせを受けた翌日に、また意識が無くなり、植物人間の状態に陥った。そして、2004年2月25日午後4時ごろこの世を去った。

江沢民邪悪集団は法輪功を迫害して以来、諸城市だけでも、さまざまな残酷な悲劇を演じた。楊桂真さんは拘留所の死刑囚に使わせる鉄椅子の上で亡くなった;馬艶芳さんは精神病院に入れられて虐殺された;今度は王継華さんが残酷な体罰の末にこの世から去っていた。その他にも多数の学習者が不法拘留、労働教養、拷問などの迫害を受けた。

王継華さんが迫害により亡くなった過程について、我々は既に詳しく調査し、証拠を集めた。本件に関連するすべての犯罪者名簿及びその証拠を既に「法輪功迫害追跡調査国際組織」に提出した。ここで迫害に参与した人々に警告したい:あなたたちは決して犯した罪から逃れることが出来ないし、歴史の審判から逃れることも出来ない。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/3/24/70788.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/3/30/46565.html