心を静めて法を学ぶことが出来れば邪魔されない
文/大陸大法弟子
【明慧ネット2004年4月17日】師父は2003年のアトランタ法会での説法で、ある学修者が「学法の時に常に電話が来る……」と言った時、師父は「自ら法を学ぼうと思う時は学んでください、誰にも邪魔することができない、良く修めなければ、あなたがやっている全ては威徳がないのです。」とおっしゃいました。私は学法時に邪魔が来るのは多種類の原因があると思っています。一つは海外の大法弟子は大法の仕事があまりにも忙しいことです。例えば明慧ネット場は大量の精神力と人力及び物質等を必要としています。そのことに対して私達は感謝しています。もう一つは学法が足りないことだと私は思っています。
私は95年夏に法を得てから、99年7・20前までは、師父の教え通りに《転法輪》、《転法輪(第2冊)》、《洪吟》、《精進要旨》等の4冊の本と《法輪大法義解》の半分及びその他の経文を全て暗記していました。7・20後は更に師父の全ての正法経文例えば《北米巡回講法》等全文を暗記しました。師父の講法の内容が長くても、経文が難しくても関係なく、発表されると、自ら少しの迷いもなく全て暗記していました。
7・20の迫害が始まると、私は《転法輪》を暗記していたので、悪の奴に会社から連行され強制的に(洗脳クラス)に入れられました。今でもその時のことを覚えています。その時は邪悪が最も凶暴な時期だったので、私達は一人ずつ各部屋に閉じ込められて、会話も許されず、歌を歌うことを許されませでした。更に家族の面会や洗濯物の取り入れを含め部屋から出ることを一切許されませんでした。そして一日24時間ずっと閉じ込められ、半年くらい日が当らない暗い処に監禁されました。やがて自らの我慢も極限になり耐え切れなくて、本当に崩壊される感じがしました。その時は思想業と色んな執著心が繰り返し出てくる上に、毎日に殴られ、罵られ、その上自由を失っている心の苦痛で、耐え切れなくなり、ある日本当に自らは気が狂う感じがしました。このような情況で、私は大法を暗記しながら、自分に対して「落ち着いて」と言いました。それと同時に自らを迫害している敗け物(あの時に知っていることは思想業だけでした)に対して:「私は真善忍で出来ている、自らのすべての細胞は全部真善忍である、自らは決して気が狂ことはありえない」と言いながら、繰り返して真善忍を黙読しました。このようにして私はあの苦難に満ち溢れる毎日と一秒が一年に思える日日を耐えることが出来ました。その後、何度も不法に拘禁されていましたが、毎回悪の奴に「また《転法輪》を暗記しているの」といつもと同じ事を聞かれました。後に私は同修者に「私の生命は本当に法によって構成されている、大法から1秒でも離れると駄目になる」と言いました。
国内の同修者は皆大法の重要性を体得しています。邪悪の環境の中で、頭の中に大法を憶えなければ根本的に修練は出来なくなります、
洗脳クラス、留置場、労動教養所等の学修者達は大法を壁に、紙に書きました。知恵のある同修者は更に経文を布或は柔らかい紙に書いて、服の中に入れて労動教養所に送り込みました。後から邪悪は労動教養所に大法が伝わることを恐れて、家族が届ける服、綿入れの上着を含めて全ての服を水に長い時間を掛けて浸しました。そしてワタ入れのコートは縫い目を全て切り開いていました。こういった事からも邪悪は修練者が法を学ぶことをどれほど恐れているかを見分けることが出来ます。そこである人は大法を頭の中に記憶して置くことが一番安全だと言いました。
私は学法時に、自分が落ち着くことによって、自分の空間場が静かになる感じがします。今は学法時に気持ちが落ち着くことにより、外部の妨害は自らを邪魔しにくくなって影響を受けなくなります。釋迦牟尼仏は迦葉が火の竜を使って彼を毒害しようとする時に:「私の心は清潔で静めているから、決して外からの毒に害を受けない。」と言いました。私はいらいらする時、或いは疲れた時、思想業が邪魔する時は師父の:「心を静かにしてから学んで下さい。」(猛撃一掌)の教えを思い出すと、心は静かになります。集中出来ない時はいつも師父の「阿弥陀仏の一字一字が目の前に現れます。」(《転法輪》)の言葉を思い出して、新しく暗記した法を暗記します。家からでも会社からでもある時間内に、前暗記した法を暗記します。夜寝る前には昼間に暗記した法を暗記します。私は歩く時も、車に乗る時も、自転車に乗る時も、家事をするときも関係なく法を暗記しました。(人によって違う)、仕事に暇がある時も法を暗記し、知らない字或は間違ったところは本に照らし合わせてやり直して正しく暗記しました。時間が経つに連れ、学法に影響を与える要素は大部分が取り除かれました。現在は真相説明と正念発する時間が厳しいけれど、自らは前と同じのように学法が出来ます。私の家族は修練しないので、時には真相説明、或は正念を発する時に邪魔を受けますが、学法の時は余り受けません。もちろん以前、ある同修者が紹介したようにすべてのことをやってから法を学ぶ、それも良いと私は思います。しかし本当に邪魔されなく学法するには師父が言った通りやらなければならないと思います。「心を静かにしてから学んで下さい。」
私は何故法を学ぶ時に暗記を主にするのかは、師父が初期の時に言われた言葉「人の目も良いときとよくない時があるように、物を見るときも歪んで見えるときがあります」(大概の意味)によるものです。私は本を読む時に良く集中出来なくなる時があります。しかし師父は初期から何度も《義解》等で学修者に対して《転法輪》の暗記を求めました。私はこの何年間の法の暗記から、法の暗記は法を読む事に影響が無いと思っています。
以上は私個人体得ですので、適当ではない所は慈悲の指定をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/17/72575.html)
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