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“平和な花弁”はアメリカ国際大赦の年度総会で子供達が迫害を受けたことを述べる(写真)

 【明慧ネット2004年4月19日】(明慧ネット記者ニューヨークからの報道)2004年4月16日から18日まで3日間、米国国際大赦年度総会議がニューヨークのMarriotホテルで開催されたので、法輪功修煉者は“平和な花弁”をテーマとしてその中の“新しい考えの展覧”に参加した。

 “平和な花弁”の活動の由来

 1999年6月10日以来の数年間、江氏グループは中国で国家テロリズムを造り、推進する過程で、多くの法輪功修煉者は殴られて死亡した。一家離散して、居場所もなくなり、路頭でさ迷う修煉者が多く、億万法輪功修煉者の家族、親友と同僚はある程度の巻き添えと洗脳を受けた。すでに実証されているのは942人の法輪功修煉者が迫害されて死に至ったことである。5年近くの法輪功に対する迫害運動中で、かぞえきれないほどの子供達が、真、善、忍を信仰するため、あるいは両親が法輪功の修煉者であるため、差別、恐喝、勉学の機会を失ったり、不法に身内を拘禁されたり親族を失ったために、路頭に迷ったり、甚だしきに至っては迫害されて死に至った。

 “平和な花弁”活動は特に中国大陸で非常に多くの児童が苦痛に被ったこと強調している。彼らの両親は迫害されて死に至ったり、或いは監禁されているので自分の子供に配慮することができない。そうしたなかでも、数多く子供が学校で法輪功に反対する保証書を強制的に書かされることをも含んでいる。    この活動は全世界の児童に紙の蓮の花を作ってもらい、迫害を制止する標識とします。中国江氏グループの法輪功修煉者に対する迫害を暴き出して、更に多くの人に中国大陸で発生しているこのすべての人に関わる災難を助けて、人々が助け合い、そしてこの迫害を制止することへの支持をうけて、同時に蓮の花にこれらの子供達の望みを託します。一つ一つの蓮の花はこの理不尽な迫害がきっと終わることを象徴します。

 迫害されて死に至った子供

 江氏グループはこの“真善忍”の信仰に対する気が狂ったような迫害の中で、未成年の子供さえ見逃しません。迫害の中で惨死する子供の年齢は8ヶ月になってない子供から17、18歳にまでおよびます。

 1例:2000年11月7日に8ヶ月もなってない男の赤ん坊の孟昊は母の王麗萱と共に北京団河派遣処で迫害されて死に至った。 

 2例:4歳の女の子の王淑傑、家は山東省莱蕪市苗山鎮の南苗山三村に居住して、両親は修煉者である。1999年鎮圧にあってから、小淑傑は毎回の永遠の別れに直面して、極めて大きい心の傷を受けた。2002年7月15日、恐怖と迫害をつぶさに経験した小淑傑は呼吸を停止した。

 3例:河北葛各庄村小学校で3学年の劉倩、12歳、2003年11月15日に急性の白血病を患って、7日間法輪功を修煉した後に、完全に回復した。学校は彼女が法輪功の修煉を放棄しないため彼女が学校に来ることを拒絶した。劉倩の幼い心は、この厳しい現実に直面することができなくて、その年正月22日に急に死亡した。

 4例:陳英、女性、17歳、黒竜江省佳木斯市の樹人中学(高校)の高一の学生。1999年7月22日、陳英は世間の人に真相を説明するため、北京に陳情に行った。1999年8月16日、北京へ行く途中で捕まり、警官に打たれてののしられ、脅かされ、強いられて車から飛び降りて死亡した。

 更に多くの子供は迫害の中で苦難を経験している 

 以上の今ただ知っているだけの数例の迫害されて死に至った子供の訴訟の実例。更に多くの子供達はこの非人間的な迫害の中で苦難を経験している:

 - 河北秦皇島の大法弟子の董俊明、王樹梅の子供は1999年5月に生まれた。両親は誘拐されて、路頭に迷い、幼い子供は祖父母と苦難に満ちた日々を送っている。

 - 2000年7月21日、山東莱蕪市の法輪功修煉者王子等とまだ2歳の息子と姪の一家の6人が現地の公安局に無理やりに留置所に閉じ込められた。家の電源、水源を切られて、娘はちょうど高校が卒業したが卒業証書を交付することを許されなかった。家族全員が留置所に連れて行かれた後に、王子等の2歳の子供は鉄の柵にすがりついて、ひどく苦しんで泣き叫んでいた:私は家に帰りたい、家に帰りたい……。

 - 山東陽谷県の公安局もかつて6ヶ月の赤ん坊がおじいさんとおばあさん、お父さんとお母さんと一緒に不法に氷の洞穴のような留置所に入れられて、“小蘿ト頭”のような非人道的な生活を過ごしていた。 

 - 2003年9月1日夜9時ごろ、遼寧省撫順市、各局から数名づつの悪警官が来て朝鮮族大法弟子の羅京玉の家に行き、羅京玉と3歳の娘の池星を一緒に誘拐して洗脳クラスに送った。

 - 彭州市蒙陽鎮の2歳の児童、その家族が法輪功の修煉を堅持するため、2002年5月頃、両親とおばあさんと一緒に現地の官吏により鎮政府にハイジャックされた。この幼子は初めのうちは母と一間の破屋中に3か月も監禁されていた。小屋内に便器がおかれていたので、ウジムシが地面いっぱい這い回り、蚊が刺した。;後は罰金を払えないため、一家4人はまた彭州市の留置場におくられた。この2歳の幼子は少なくとも9か月間も拘禁された。子供は長期にわたり刑務所のご飯を食べたので、顔色が悪く、やせていた。毎日小さい手で刑務所の扉をたたいて“私を解放して”を叫んで、人の涙をさそった。

 - 山東省の4歳ユユは2000-2001年の間に続けざまに3人の彼女を最も愛する人を失った、お父さんは迫害されて死に至った、お母さんはしかたなく路頭に迷い、祖母は打撃に耐えられないで次々と立ち去った。

 - 中学生の陳思、2001年の時まだ13歳だった、家は重慶市沙坪ハ区に居住して、夏休みの期間法輪功の真相の資料を配っている時に捕まえられて、毒害を宣伝する法輪功を憎む人に殴ったり蹴ったりされた。後陳思は沙坪ハ区楽山洗脳クラスで縛られ、楽山精神病院では強引な灌食は半月も達した。学校が始まる時、“610”の人員は彼女が信仰を放棄しないので学校に帰っての授業を受けさせなかった。

 - 2000年12月、山西省長治市襄垣県の大法弟子16歳の張さんは天安門城楼の上で横物“法輪大法がよい”を開いた。みんなの前で、凶悪な警察は大きい革靴で彼に対して殴ったり蹴ったりしたので16歳の張さんはその場で打たれて気絶した。後天安門支局は張さんの情況が深刻であることを見て、彼の緊急措置をとるために病院へ送った。後襄垣に帰ってから1年半の刑罰を下された。

 子供達が残酷に迫害された事例は中国でまだたくさんある。遼寧省市20歳の女の子程玲は憲法で与えられた言論と信仰の自由の権利を行使するため、法輪功の真相の資料を作り、意外にも不法に7年の刑罰を下された。

 “平和な花弁”は理解と関心を持つことを呼びかける

 中原大地で億以上の修煉者の家庭が迫害されるだけではなくて、これらの家庭の中の子供達は直接の心身の残害を受けている。この完全にうその上で作り上げた迫害は実際にはすべての家庭に波及して、すべての子供、人の手本となる教育システムもしかたなく江氏グループの共犯者になって、うそをまいて、子供達の純粋な心を毒し、小弟子達の学校へ行く権利を剥奪している。

 “平和な花弁”の展示の机に大きいのと小さな紙の蓮の花がいっぱい並べられて、展覧会の上でとても人目を引く。法輪功修煉者と展覧会で多くの国際大赦の全米各地での担当者と話し合って、そして美しい紙の蓮の花を展示に参加する各位の人士にプレゼントすると、ある人が直接紙の蓮の花を身につけた。子供達の純粋で無実の生命は人々の心に影響及ぼして、紙の蓮の花が人々を助けて、中原大地で発生しているこの血生臭い鎮圧に対して更に多くの理解と関心を持つようになった。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/19/72738.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/22/47286.html