心を静めて法を学ぶことの厳粛さ
文/大陸大法弟子
【明慧ネット2004年4月5日】以前、ふだんは会社で働いていて忙しく、仕事が退けた後は、また大法の事で忙しく、法を学ぶ時間が比較的少なくなってしまった。そこでmp3(walkmanウォクマン)を買い身につけて、通勤時間を利用して法を学ぶことにした。器機を買ったが確かにとても便利である。しかし、或る際立った問題が表れてきた。それは、適当ではない環境の中で、静かに法を学ぶことができず、深刻な問題はその学習の質と量である。時間の浪費がないとその時は思った。しかし、次ぎの二つ事を通して、私の認識は転換させられた。
その一つは、真相資料を作るために紙を買いにバスに乗った時、バスの騒音があまりにも大きくて、法を聞くことに集中出来なかった。その車中で泥棒に現金1000数元を盗まれてしまったことである。もう一つは、mp3を身につけて先生の講法を聞きなから、市場で買い物をしたが、mp3が突然聞こえなくなり、メーカーに修理に出したが、このような故障は一度も発生したことがないと言われたことである。
私の身辺で発生した二つの事は、私の心にとても大きな打撃となった。大法弟子がいかなる事に出会っても偶然はないため、もともと自分がした事は、先生の要求された基準に基づいたことなのに、どうしてこのような問題が起こりえたのか?
それから、法を学ぶことを通して、また、明慧文章を読んで、私は自分に漏れている所があるのに気づいた。どんな心理状態で法を学ぶかということは、これは一つのとても厳粛な問題である。先生は私達に心を静めて法を学ぶように求められ、私はそれが出来ておらず、時間を切り詰めて法を学ぼうとしたのであり、ただ表面の形式だけに留まっていた;また、静かに法を学ぶということもなかった。これは大法と先生に対して不敬なことであり、旧勢力は乗ずるすきがあると見て、それらは黒い手に隙に乗じるように案配した。自分に漏れているところがあったため、大法に損失をもたらした。それからは発正念で、徹底的に旧勢力の按配を否定し、大法の仕事に影響はされなかった。mp3も速やかに修理してもらって直った。しかし、教訓はとても奥深かかった。
これを書いて、mp3、携帯電話、その他の機器などを携帯し、利用して法を学ぶ同修の今後の戒めとしたい。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/5/71691.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/20/47212.html)
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