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四川省南充市の老医者、楊永寿が迫害によって死亡

 【明慧ネット2004年4月25日】四川省南充市営山県の年配の医者、楊永寿は法輪大法に対する信念を堅持したため、何度も営山県の政府の手先に迫害された。2002年9月末、営山県の610オフィスの悪人は不法に楊永寿を監視し、彼の年金も抑えた。2003年12月、楊永寿は迫害されて死亡した。 

 楊永寿、82歳男性、四川省南充市営山県の青山郷2村3社に居住していた。彼は昔旧国民党部隊の大隊級の医療関係幹部で、雅安の武装蜂起の後、転業して営山県にもどり、営山県の旧森林区の病院で院長を勤めていた。1985年森林区病院を定年退職した後、営山県の磨子街で済生薬局を開き、医者になった。 

 楊永寿は1995年2月に法輪大法を修練し始めた。 

 2000年5月、法輪功請願のために北京へ陳情に赴き、不法に捕まえられた後、県に帰されて半月ほど拘禁され、現金2000元を奪われた。 

 2001年1月、営山県県政府のある町で二度目の誘拐に遭い、不法に15日間拘留された。 

 2002年5月、三回目の誘拐に遭い、半月ほど拘禁された。 

 2002年9月30日、営山県の610オフィスの悪人は命令を下し、楊永寿が県政府のある町で居住することを禁止した。楊は営山県の緑水鎮中心病院まで追いかけられ、厳密な監視の下で居住せねばならなくなった。勝手に歩くことや、他人とのコミュニケーションも禁止され、毎月ほんの300元(約日本円で5000円弱)だけの生活費が支給された。その後楊永寿は迫害によって体がやせこけ、弱々しくなっても依然として修練を放棄しないため、2ヶ月間継続して生活費が支給されず、彼の生計の道が断ち切られた。そのため、楊永寿は精神的、肉体的の二重の残酷な苦しみに遭い、2003年12月10日、営山県の緑水鎮中心病院で死亡した。死後3日経つまで、彼を助ける人はいなかった。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/25/73097.html