慈悲なる師父が私を救ってくださった
【明慧ネット2004年3月31日】私は白英と申します。今年で56歳です。98年の1月に法輪功を始めました。最初の頃はあまり分からなかったですが、暫く修煉したら意外に病気治療や健康保持の奇効がありました。長年持っていた心臓病や不眠症、精神衰弱、胆嚢炎、胃痛がすべて無くなりました。たくさんの恩恵を受けたので、法輪功が人にいかに善になるものを教え、返本帰真へ導く高徳な大法であることが分かりました。当時法を勉強するのはあまり勤勉でなかったですが、ずっと続けようと決心しました。
99年の「4.25」と「7.20」から、江沢民犯罪集団は法輪功を迫害しはじめました。私はとても納得できず、自分が心身共に恩恵を受けた実情をもって、法輪功は素晴らしい、弾圧は誤ったことを政府に教えようとしました。それからも修煉を放棄しないため、悪人に4回拘禁所、1回馬三家強制労働所に入させられました。その間は回り道に歩んでしまいました。
2001年6月1日に家に帰りました。そのとき、多くの学習者が私と接触し、私のよこしまな話を聞きたがりませんでした。私も常に「法を師とする」と言っていましたが、強制労働所から帰った後、本を読んでいませんでした。後に「本を読まなければ、どのぐらいの法を覚えられるでしょうか? 誰を師と見なすでしょうか?と思って、もう一度「転法輪」と各地の説法を読み、また学習者からもらった「精進要旨ニ」を読んで、自分が間違ったことが分かり、師父や大法に申し訳ない気持ちになり、死よりも辛い気持ちでした。
頭がはっきりなったその晩に、私は「法輪大法好」のポスターを鎭政府の前の壁に張りました。ある力に支えられ、死生を怖がりませんでした。また、町内会の役人に会ったら、私は「転化」(大法の修煉をやめること)は間違った、正法の修煉に戻りたいと彼らに教えました。
2001年12月27日の夜11時過ぎ、悪人警察が家に無断で捜査に来て、真象を教えるCDやチラシを見つけました。今度は、邪悪に妥協してはいけないと分かり、何を聞かれても答えませんでした。深夜2時過ぎに悪人警察に拘留所に入れさせられ、そこで5日間断食し、1月2日に釈放されました。
1月15日に北京への電車を乗り、16日朝5時過ぎに北京につきました。明けていないうちに天安門にいきました。広場ではあまり人の姿がありませんでした。もう少し前に行って天安門派出所に着いたら、パトカーが何十台止まっていたのを見ました。前が奥に向いた一台のパトカーに「法輪大法好」という旗をかけました。僅か30秒くらいのことでした。そして午後1時の電車に乗って帰りました。
その後、知り合いから、派出所が私を強制労働させようとする書類を出され、すぐ許可が下りることを教えられたので、2002年3月1日にやむなく家を出ました。7月のある日、電車の中で真相のビラを配る時、悪人に告発され、もう一度拘留所に入れられました。拘留所の所長は私の名前を呼びながら、「今度は簡単に出させないぞ」と言いました。その裏の意味は強制労働の許可が下りたということです。私は当時「あなた達が決めるわけではありません」と反発しました。私の修煉の道は師父に按配され、師父に決められるものです。そして、拘留所で6日間断食しました。責任者達は私の元気ない様子を見て、私を公安局に送りました。また、私を強制労働所に送る意見がありました。中の一人が「もうこんな状態になったから、強制労働所も受け入れるはずがないよ。家に送ろう」と言い、彼らは私を家に送りました。家に一晩しかいず、次の日の夜に家を出ました。家族の話によると、その次の日の早朝に悪人警察がまた逮捕しに家に進入したが、私はもういなかったのです。
私はいまだにさすらう生活をしています。2003年の春節も外で送りました。でも、大法を証明する道に戻ったのを喜んで、これからも続いていこうと思います。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/3/31/71330.html)
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