日本明慧


河北大法弟子劉文は転々と移転され、凄まじい迫害をされている

 【明慧ネット2004年5月4日】大法弟子劉文は2000年に北京へ陳情に行き、房山公安局に連行され、本籍が北京ではないことで、房山政法委書記周徳運の命令により劉文が?州に送還され、その後劉文は不法に3年間強制労働処分をされた。最初は保定八里村強制労働収容所で5カ月間不法に拘禁され、その間何度も拷問を受けていた。悪い警察は彼をコンクリートの地面に寝させていた。10月の気温はすでに寒くなったが、彼は薄着しか着ていなかった。仲間が劉文に届けてくれた棉コートも、警官が彼に着させなかった。毎日のように警官と奸者はあらゆる方法で迫害を加え、法輪大法と「真・善・忍」への信仰を放棄するように強いていた。大法弟子劉文は信念を固め、大法に対する正信は岩のように堅固で、金剛神のように動揺しなかった。

 邪悪な者は劉文の信念を動揺させることができないので、5カ月後彼を唐山のある強制労働収容所に送り、更なる迫害を加えた。この間に、劉文はたくさんの酷刑を経験した。たとえばある「拿麻」という酷刑は、大きな棒で彼のももを圧迫し、繰り返し擦り、鮮血を流し、皮膚はただ1枚の薄膜しか残っていなかった。彼は毎日生死の瀬戸際に置かれていた。大法弟子が生死存亡にかかわるときに、まだ慈悲深く彼らに真相を説明していた。このような最善で、大忍の心に対して、警官はまったく無関心で、狂ったような迫害を加え、すでに人間性を失った。

 三年間の血なまぐさい迫害を受けてきて、劉文はまだ?州洗脳班に20日間拘禁され、強制的な転向迫害を受けた。警官は大法弟子劉文の正信を動揺できないと見て、彼を保定洗脳班に送った。洗脳を強いて、便所に行く時も整列させ、大小便の時間を限定し、体罰を加え、壁に向かって立たせ、4日間に2回しか食事を与えなかった。上下段に手錠をかけられ、上半身裸で、体を伸びることもできず、曲げることもできなかった。劉文が迫害されている部屋の窓はすべて新聞紙で密閉し、人に知らせなかった。

 上記は一人の仲間が口述した大法弟子劉文の受けた迫害経験のほんの一部です。現在、劉文の居場所は不明です。すべての大法弟子が正念を発し、大法弟子の劉文を魔窟から救い出すように願っています。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/4/73808.html