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遼寧省葫芦島市で迫害を受けている4家庭が再び毒手にかかった

 【明慧ネット2004年4月23日】3月31日〜4月2日の間に、遼寧省葫芦島市不法警察は離散して落ち着く所がない多くの大法弟子を連行した。(公安の内部情報によると、今回の連行人名リストは遼寧省からわたされたもので、葫芦島市はただその人名リストの通りに捕まえただけだった)この連行事件の中に、葫芦島市で迫害を受けている4家庭が再び毒手にかかった。ここに、その4家庭の現状及び受けている迫害の主な経歴を以下の通りに述べ、善良な人々の注意を緊急に集めて頂きたい。

 1.王瑞奇氏一家(葫芦島市連山区渤海街道に在住):父親王瑞奇氏(55歳位)、母親史迎春氏(54歳)、息子さん:王茁氏(28歳)

 史迎春氏:1999年10月30日より、非合法的に2年の労働教養をうけた。その2年の間に、馬三家労働教養所で苦しみをなめ尽した。かつて数本の電撃棒で電撃、殴られたことにより、左目が失明し、血圧も上昇した。低圧が120に、高圧が180に達した。身体は衰弱してやせ細った。2001年10月29日、公園で煉功したため、再逮捕され、3年の非合法懲役刑を言い渡された。2003年10月頃、馬三家労働教養所の悪人に精神病院に送り込まれそうになった。今になっても、史迎春氏は相変わらず馬三家労働教養所で迫害を受けており、迫害開始後の5年間、ほぼずっと刑務所で迫害されている。

 王瑞奇氏:2000年12月、法輪功放棄に関する「保証書」を書くことを拒否したため、2年の非合法的労働教養され、葫芦島労働教養所で2003年1月初旬まで迫害を受けていた。2003年7月29日、王氏は「洗脳する所へ送る。」と勤務先の連山区農業局の責任者に言われたので、それ以降やむを得ず自分の家に帰っていない。2004年4月2日の午前10時過ぎ、王瑞奇氏は錦州北寧市で再び連行されてしまい、迫害が始まってからの約5年間で、ほぼ半分の時間を刑務所で過したのである。

 王茁氏:1999年10月、北京へ上申し、煉功を続けたことで、3年の非合法労働教養を言われた。葫芦島労働教養所での多くの暴力による転化の中で、毎回面影をみじんもとどめないほど迫害を受けており、何度も悪人たちに数本の電撃棒で電撃されたことがある。2002年10月、3年の非合法拘留が満期となった後、直接拘留所まで連行され、1ヵ月後、所謂「保証書」を書くことを拒否したことで、留置場に送られた。2002年11月20日以降、ずっと家に帰れなかった。2004年3月31日、王茁氏は住んでいる所に警察が不法侵入し、葫芦島留置場まで連行されていた。当時部屋においてあったパソコン、携帯電話、移動デスク及び撮影機等の貴重品は押収された。迫害開始後の約5年の間に、王氏は3分の2の日々を刑務所で拘留されている。

 2.楊虹氏一家(葫芦島市東門区12号楼61号に在住):母親:楊虹氏(48歳)、娘:郭盈盈氏(24歳)

 楊虹氏:1999年10月、上申した原因で、3年の非合法的な強制労働の刑を言い渡された。強制労働の間に、煉功したことで、馬三家労働教養所にいる悪人にぶん殴られたり、電撃されたり、禁足されたりした。2001年10月、父親の葬儀のため、馬三家労働教養所から出て来ると、ずっと娘と互いに助け合って生きてきており、自宅に帰ることはなかった。2004年4月2日の早朝に、ドアを壊して押し入った不法警察に留置場まで連行され、今日までハンストをしている。

 郭盈盈氏:1999年、自分の信仰を放棄しない理由で、錦州師範学院大学を強制的に退学された(当時、18歳で、大学の一年生)。2001年10月、母親・楊虹氏は葬儀参加するための交換条件として、郭盈盈氏の身分証明書を馬三家労働教養所の不法人員に押収されてから、今になっても、返されていない。その後、母親と一緒に自宅に帰ることがなかった。2004年4月2日の早朝に、ドアを壊して押し入った不法警察に留置場まで連行され、今も拘留されている。

 楊虹氏のご主人とお父さんは江沢民氏により発動された法輪功に対する迫害の直接の被害者である。ご主人は娘が退学されたことと妻が強制労働されたことの二重の打撃を耐えられなくて、1999年12月、急に急性脳腫瘤になり、2000年2月、病気治療もできずに亡くなった。楊虹氏の81歳のお父さんは毎日強制労働されている娘のことを思って、心配していたので、2000年12月、半身不随になり、寝たきりとなった。そして、2001年10月、亡くなった。この2人の危篤期間中と逝去後のいろんなことを全部20歳になったばかりの盈盈さんがしたのである。

 3.胡宝純氏一家((葫芦島市楊家杖子経済開発区に在住):主人:胡宝純氏(48歳)、妻:劉麗雲氏(享年:44歳)

 胡宝純氏:数回非合法的に連行され、拘留されていた(1999年10月、葫芦島拘置所に非合法的に30日間拘留されていた)。葫芦島労働教養所に4回不法強制労働された。その間に、電気棒に電撃されたり、ぶん殴られたり、小屋に苦しめされたりした。かつて、葫芦島労働教養所の十数名の警察に肋骨が折れる迄殴られ、左耳が半年の間、何も聞こえなくなり、肩の筋肉も萎縮していた。2000年6月、家で警察に不法に連行され、初めて1年の非合法的な労働教養を言い渡された。その後、自分の信仰を放棄しなかったので、更に半年延期された。2002年4月、家から再び連行され、2回目の非合法的な労働をされ、12日間のハンストを経て、釈放された。その後、自宅に帰ることはなかった。2003年1月、葫芦島市綏中県で連行され、3回目の非合法的な強制労働をさせられ、ハンストで2003年4月の上旬(84日間拘留された後、釈放された)。2004年4月2日、綏中県で再び連行され、現在、葫芦島労働教養所に拘留されている可能性が高い。

 劉麗雲氏: 2000年7月から、楊家杖子洗脳班にて1回目で40日余り非合法的に洗脳されたことがある。3回不法拘留されたことがある:1999年12月から、安徽省阜陽市で45日間不法拘留され、2000年6月23日から、葫芦島市拘置所に30日間拘留され、2001年12月、葫芦島市拘置所に不法拘留されていた。拘留される前に、以下の家財を没収された。コピー機:1台、李洪志先生の講法、CD、法輪大法に関する書籍、5000元の現金。2001年12月16日、非合法的に4年の実刑犯を言い渡され、遼寧省女子刑務所に連行され、ずっとその中の7大隊7小隊で死ぬまで迫害されていた。

 2002年7月23日、劉麗雲氏は遼寧省女子刑務所で迫害を受け、なくなった。彼女の遺体は強制的に火葬にされた。私の義父の話によると、遺体を見たのは暗い部屋の中で、電気をつけてくれず、ただ娘の顔だけを見せてくれた。義父は私の妻の顔が酷く腫れていることに気がついた。しかし、警察は全く妻の身体を見せてくれなかった。でも、1目で私の妻は殴られて、なくなったことが分かった。(『妻は死ぬまで迫害された。私は妻の遺体と対面できず、3回非合法的に強制労働させられた』)

 胡宝純氏と劉麗雲氏には息子さんが1人いて、現在大学で勉強している。その息子さんは頼りもなく、経済的な援助もない状態である。

 4.穆琴氏一家(葫芦島市連山区渤海街道豊楽社区文化街5号楼3-19に在住):妻:穆琴氏(43歳)、主人:馬玉成氏(52歳)、息子:馬強さん(13歳、小学生)。

 馬玉成氏:1999年12月、上申したことで、不法拘留され、2001年4月5日、葫芦島市政保大隊と連山区政保大隊に葫芦島市公安局に騙された。そこから、何の手続きもなく、直接葫芦島市拘置所に送られ、2年余り非合法的に拘留されていた。2002年5月28日、6年の実刑犯を言い渡され、現在瀋陽第一刑務所で拘留されている。

 穆琴氏:1999年12月、上申したことで、不法拘留され、2001年4月5日から、1年拘留されていて、強制的に「保証金」5000元を強要された。その後、いろいろと騒がれ、ずっと息子を連れいて、自宅に帰らなかった。2004年3月31日の夜、すんでいる所から、不法警察に非合法的に連行され、現在葫芦島市拘置所で拘留されている。13歳の息子・馬強君は頼るべき所もなく、面倒を見てくれる人もいない。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/23/72961.html