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法輪功を迫害した元凶首謀者江沢民(二)(写真)

 【明慧ネット2004年4月10日】(明慧記者:古安如、林展翔)

 本文の内容:

 一、 江沢民は一手で弾圧を引き起こしている。

 二、 自ら画策して部署とスタッフを動員配置した。

 三、 迫害を推進して、人間性壊滅を実行した国家テロリズム。

 四、 直接“人員移動配置”の指揮を執った。

 五、 デマと洗脳。

 六、 迫害は民族に災難をもたらしている。

 七、 法律によって、法輪功を迫害した元凶江沢民と共犯者を処罰する。

 (前文の続き)

 五、デマと洗脳(法輪功学習者に対する強制的な転向と迫害)

 江沢民の法輪功に対する邪悪な弾圧は誹謗、デマ、無実の罪を着せるなどを基本としたものであって、目的は“名誉を汚す”というところにあります。国家のメディアを利用して恐怖の雰囲気を造り出し、憎しみを宣伝し、真相を知らない民衆を惑わし、騙し傷つけ、迫害するための口実で支持を騙し取りました。数年来、江氏集団は多くの嘘を造り、その例として“1400例”、“豪邸”、“自殺”、“焼身自殺”、“殺人”、“飛び降り自殺”、“反政府”、“反中国”などがあります。中央テレビ局、特に《ホットニュース》番組はデマを飛ばして嘘をつくなど悪事の限りを尽くしています。

 1、自ら率先してデマを飛ばし中傷する

 江氏は、弾圧の中で総合企画と総監督の役割だけではなく、その上また自ら率先して主役を演じて、一切を顧みず突き進み思うままにデマを飛ばし、無実の罪に追い込んでいます。

 例えば:

 1999年10月25日、フランス訪問中の江沢民はフランス《フィガロ新聞》社の取材時、自ら法輪功を×教だと決め付け、法輪功を修煉して“死亡した人が1400人に達している”と嘘をでっちあげました。そして、法輪功は“反社会的、反科学的、反人道的”などと中傷し、しかも日本の“オーム真理教”と同じ扱いをしました。

 2000年9月、アメリカCBS《60分》番組の特別報道の中で、CBS華莱士氏との対談で江氏は法輪功問題で事実を無視し、捏造して、“生まれ変わる”、“爆発”、“最後の日”などといった嘘で法輪功に濡れ衣を着せて非難しました。帰国後、国内の公の場では公開する勇気もありませんでした。

 2、天安門“焼身自殺”事件を演出して、弾圧のレベルアップの口実にした

 2000年の下半期になって、江沢民の邪悪な弾圧は益々維持しにくくなりました。党内での孤立した立場を救うために、江氏集団は手を尽くして口実を造ることに骨身を惜しみませんでした。2001年1月23日午後、陰謀の天安門広場での“焼身自殺”の悲劇が演出されました。この事件を利用して驚異的な効果を造り、法輪功に対する民衆の憎しみを引き起こして、弾圧のレベルアップを計りました。

 江氏集団が演出した天安門“焼身自殺”事件は、法輪功に災いをなすりつけただけではなく、影響は極めて悪いものでした。これは、江氏が法輪功に着せた最大の嘘であって、一部の真相を知らない人達に、法輪功に対して憎しみを持つように扇動しました。中央テレビ局の録画に対する専門家のスローモーション分析からみると、次から次へと馬脚が現れています。焼身自殺者の一人である劉春玉は、後ろから人に打たれてその場で殺されたのであって、他の焼身自殺者も全く法輪功学習者ではありませんでした。

 3、メディアの洗脳と情報封鎖

 国際教育発展組織は、江氏集団を国家テロリズムであると厳しく非難しています。法輪功迫害のための江氏集団の最も得意な手段は、国民の知る権利を剥奪するその点なのです。嘘を利用して13億人民を洗脳し、恐怖の雰囲気を造り出し、全国民を精神的にコントロールし、人間性と良知を壊滅しました。

 効果的に洗脳目的を達成させるために、江氏集団は人々が公正で客観的に情報を獲得する全てのルートを封鎖しました。中国のインターネットユーザーが急速に増加し、しかもその上インターネット上での情報が豊富で、伝播速度も非常に速いなどの特長で、江氏集団はインターネット上で法輪功の真相が広がることを大変恐れていました。江の息子は自らインターネット封鎖工事の指揮を執って、法輪功に関連する全ての情報ウェブサイトを封鎖または検査しました。

 六、迫害は民族に災難をもたらした

 現在のとても限られた資料からでも見抜くことができるように、江氏集団は法輪功を邪悪に弾圧して、民族に深刻な大災難をもたらし、これは真実を覆い隠した民族の大災害です。

 次第に多くの真相資料が暴露されることにより、人々は他の多方面の極めて悪い後々の結果と、長い影響に対して必ずはっきりした認識を持つようになると確信しています。

 1、法治体制の確立は大いに後退している

 四年来、江氏集団は率先して憲法に違反し、法輪功に対しては法律を適用したことが全くありません。どれ一つとして本当に法律に従って実行したことがありません。公安司法機関は法輪功を迫害する道具になり、法律はその迫害の看板になってしまいました。法輪功を迫害するいわゆる“法律”は、深刻に中国憲法に背いており、本質上は“ファッショ”の悪法であって、国家と国民の意志に背いており、更に基本的な道徳基準に背いています。例えば;法輪功のための上京陳情を“違法”、法輪功をやると“違法”、“真善忍”の信条を放棄しないと“違法”、信条“違法”、法輪功の迫害事実を説明すると“違法”(“国家機密を漏らす”罪)などです;また、法輪功学習者が旅館に泊まるとか賃貸など許されていない、上京陳情に対応しない、上訴を受理しない、監察部門の監督を許さない、弁護士の弁護を許可しない、法律執行担当者の違法行為に対する国民の告発が許されない、人民代表大会政治協商会議代表に人民の声を反映させない、メディアに真相を報道する権利を与えない、迫害情況を対外的に漏らすことを許さない、法輪功ウェブサイトに立ち寄ることを許さない、残酷な迫害事実を説明することを許さない、法輪功学習者の結婚を許さない、法輪功学習者は大学に入ることを許さないなどなど、数え切れないほどです。

 多くの江氏の“法律条項”以外にも、明るみに出すことの出来ないたくさんの秘密命令があります。江は610事務室、公安、政治と法律部門などに法律特権を超える権力と経済的奨励を与えました。彼らは法律執行者でありながら法を犯すように教唆して、思う存分法輪功学習者を逮捕し、労働教養所((江氏収容所)に投じて残虐な体刑の苦しみを加えました。例え、学生が虐殺されたとしても“自殺”であると家族に知らせます。

 江氏集団の法輪功に対する迫害は人権を侵犯し、たくさんの法律を犯しており、国家の法律と法制を深刻に踏みつけて破壊したものであって、法治の大逆行であります。法律界関係者の分析によると、江氏集団の法輪功に対する弾圧は国家の数条の刑法に違反しており、その行為は故意の犯罪に属し、すでに構成されています:1.侮辱罪、誹謗罪;2.公民の信奉自由の不法剥奪罪;3.職権の濫用罪;4.無実の罪を着せる罪;5.不法捜査罪6.不法拘禁罪7.強制自白拷問罪、暴力による証拠獲得罪;8.通信自由の侵犯罪および郵便物、電報などの無断開封罪、;9.報復陥害罪;10.偽証罪;11.証言妨害罪;12.証人に対する報復劇打撃罪;13.拘束者に対する虐待罪;14.故意傷害罪;15.過失による死亡罪;16.故意殺人罪;17.私情による冤枉法罪(私情により法を曲げる罪);などなどです。

 2、社会の安定と環境の破壊

 江氏集団は人力と財力を、善良に対する打撃と邪悪を扇動奨励することに使い、大勢の本当の犯人は悠然と法から逃れて、社会の安定に危害を及ぼしています;天地を覆い隠すかのような嘘を使って、人を善に向かわせている法輪功をそしり、嘘、悪、暴力を容認し、社会に歪んだ風習とよからぬ気風を拡げています。そして、人の良知と道徳を粉砕し、社会の習慣を傷つけました;積極的に法輪功を迫害する用心棒に対して、抜擢し庇うなど、腐敗犯罪者と汚職官吏との結託、罪のない民衆に対する暴威暴政は汚職腐敗現象の広がり、治安状況の悪化、暴力団・マフィア勢力の猛威など警察と強盗が一家族になってしまったかのようです;ごろつき、犯人、腐敗者は思う存分思うままに罪のない良民に打撃を与えて虐殺し、蹂躪しています。遼寧省瀋陽市竜山教養院2大隊リーダーの唐玉宝が自分のことを“この皮(警察の服を指す)を脱いだら一人のごろつきだ”と言っているのと全く同じなのです。遼寧省大連教養院の副院長張宝林は、いつも“あんた達が私達を邪悪だと言っているのではないか?この私が邪悪だ!この私自身が悪鬼なんだよ!”と言っています。しかし、江氏集団はよくこれらの警察の服を身につけているごろつきと悪のチンピラを使って、法輪功をかき乱し民衆の煉功を迫害し、社会に凶悪で邪悪な勢力の深刻な氾濫を招いています。既に全ての公民の切実な利益と身の安全に危害を及ぼしています。

 610不法官吏と公安警官達は、更に日常茶飯事のように思うままに法輪功学習者の家に入り込んで、家財を略奪し、かき乱し、恐喝、罰金、厳重な監視、強制逮捕など悪事の限りを尽くしています。全ての法輪功学習者の人身の自由は常に威嚇を受け、常に不法に訳もなく逮捕される危険を感じています。法輪功学習者はみな恐怖の中で生活をしており、近所でさえ公安警官にかき乱されて安定できない状態です。

 3、国の財政に膨大な損害をもたらした

 江沢民の一手で引き起こされた“政治闘争”は、膨大な費用を無駄にしました。遼寧省司法庁高級官吏は、かつて馬三家労働教養所での教育説明会で:“法輪功に対処する財政投入は既に戦争一回分の経費を超えている”と言いました。現在、戦争を一回やるのに一体どれだけの経費が必要になるのでしょうか?

 幾つかの小例を見てください。2001年2月27日一つの外電の報道によると、江は法輪功学習者の電話盗聴に一回40億元を流用しました。2001年12月、公安の内部から出た情報によると江はまた42億を流用して、全国各地に残酷な邪悪の“洗脳”基地を作り上げて、“真善忍”の信条を放棄するよう法輪功学習者に強制しました。更に有効に法輪功学習者を迫害するために、5億元を使って遼寧省瀋陽に刑務所を建てて、悪名高い馬三家教養所と大北刑務所を併合しました。馬三家労働教養所女性二所所長の江蘇境は、法輪功迫害に“功”があるといって、かつて5万元の賞金が与えられました。2001年の年末だけで、瀋陽竜山教養院は法輪功迫害に“功”があるという理由で40万元の賞金を、瀋陽の張士教養院は50万元を獲得しました。これらの数字はただ氷山の一角に過ぎず“戦争一回分の経費を上回った”という真実のデータはまだ覆い隠されています。大量の資金は、国民経済の発展や社会の弱者層の生活困難を解決することに使われず、逆に“真善忍”に準じている罪のない民衆に対する迫害と弾圧に使われています!

 江氏は、国の経済と国民の生活といった大事を無視して、法輪功迫害を第一にし、不法に大量の商業貸借と国の行政費用を流用し、高金利の国際銀行のローン、国債発行と法輪功学習者の資産を没収するなど資金集めに工夫を凝らしました。しかも、情報を封鎖して、中国国民の事情を知る権利を奪い、全国の県レベル以上で普遍的に増設または新たに刑務所、労働教養所、洗脳基地および弾圧に必要なメディアを設け、国安、警官、行政などの費用、海外で法輪功学習者を邪魔する活動などに流用しました。海外メディアが漏らした情報によると、江が法輪功弾圧に実際流用した総合国力は、中国GNP(国民総生産)の4分の1に相当しており、直接中国国民の生活と国家経済運営に極めて深刻な圧力と悪影響をもたらしています。

 4、江氏集団の犯罪事実を簡単に述べる
 
 法輪功に対する江沢民の迫害は、絶えずレベルアップして、系統的に数千万人の信条を貫く中国法輪功学習者に対して“3光”絶滅政策を実行しました。その結果、全国各地で残虐な体刑が氾濫し、その手段は残忍下劣で、殺しても刑事責任を負わず、手段方法は続出しています;多くの法輪功学習者は打ち殺されたり、怪我を負わされたり、家も家族も無くなり、一家離散、破産して、路頭に迷い、億を越える法輪功学習者の家族、友人、同僚達はそれぞれに巻き添えに遭っています。

 江氏集団は、世界に向かって中国での残虐な体刑を減らすことを承諾して、ヒトラーを真似て、海外の部分主流メディアの記者に労働教養所の“文化的環境”を見学させるなど仮相を提供する一方で、公安、武装警察は思うままに法輪功学習者を逮捕し、手法を選ばず拘禁されている留置場、刑務所、労働教養所、洗脳クラスの至る所で、古今東西の大全書にも載っていないほど残虐な体刑を行いました。明慧ネットは一部を整理して、“百種の残虐な体刑”と名付けています。その残虐な体刑の適用対象として婦人老人が相当な割合を占めており、人を激怒させています。詳しい情況はこちらへ:法輪功学習者に対する江氏集団の百種の残虐な体刑の大暴露(写真)(http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/1/24/65678.html)。

 1999年7月20日以降の4年あまり、幾重にも重なる封鎖にもかかわらず、法輪功学習者が迫害されて死亡するまでの消息、迫害による死亡事例は、全中国の30余りの省、自治区、直轄市に分布しています。不完全な統計によると、2004年3月までで、少なくとも920人の法輪功学習者が迫害されて死亡し、死亡事例の多発地区の順位は黒龍江、吉林、山東省、遼寧、河北、四川、湖北省です。迫害による死亡者の中で、婦人がおよそ52%、50-70歳の老人がおよそ31.7%を占めています。

 しかし、これは現実の全てではありません。2001年10月末、政府内部の統計によると逮捕中の法輪功学習者の死亡人数は既に1600人に達しており、全国で不法判決を受けている法輪功学習者は少なくとも6000人、不法に労働再教育を受けている人は10万人を超え、数千人は精神病院で中枢神経を破壊する薬物の被害を受けています。大勢の法輪功学習者は各地の“洗脳クラス”に送り込まれ精神的な苦痛を加えられています。更に大勢の人はいわゆる“法律執行担当者”に家財を奪われ、めった打ちにされ、体罰と金をゆすり取られています。遼寧省鞍山市のある派出所所長は、かつて不法に逮捕した法輪功学習者に、“上からこのような指示があるんだ。あんたが煉功すると私達は逮捕し罰金を払わせる。罰金を払わせて釈放するがまた逮捕するさ。上から罰金をとってあんた達の家を破産させろと言われているんだ。あんた達は死にたくても死にきれず、生きることが死ぬほど辛いように、あんた達を生きたまま苦しませてやるよ”と言いました。

 5、迫害の実例

 江氏の迫害は一幕また一幕の人間悲劇を造っていますが、紙面上の制限でここではいくつかの事例だけを列挙します。

 ■ 上海の法輪功学習者李白帆さんは高楼から警官に投げ落とされて死亡しました

 李白帆、男性、40歳ぐらい、華東師範大学の講師。1997年7月以後に法輪功修煉を堅持したとの理由で一度江蘇大豊農場に拘禁され、その後また上海青東農場に移動しました。2年に亘って家族との面会が許されませんでした。逆宣伝と転向に協力せず拒否したため、2001年4月末、李白帆さんは青浦で警官に高楼から投げ落とされて死亡しました。警官は対外的には彼が“自殺”したと公言しています。

 ■ 上海市の法輪功学習者陸幸国さんは、青浦区第三労働教養所で無残にも撲殺されました
 
 陸幸国、男、45歳。浦東新区唐鎮王港紅一村在住。2003年10月15日、上海青浦区第三労働教養所で無残にも撲殺されました。彼は法輪功修煉を堅持したため、青浦区第三労働教養所に拘禁された後、2003年10月13日、第三労働教養所の他の中隊から三所の直属中隊に移動しました。この中隊は対外的には直属中隊と呼ばれていますが、実際のところ、専制管理中隊であって、もっぱらごろつき、暴力、残虐な体刑を利用して法輪功学習者を迫害する恐怖の基地なのです。この基地は上海青浦区第三労働教養所の一大隊のビルに設けています。以前法輪功学習者は三所の所属病院に閉じ込められていましたが2003年5月下旬から一大隊のビルに移りました。

 当時、陸幸国さんは109部屋に配置され、1から109まで警官の項建中(中隊長、警官番号130268)の直接の指示下で、彼と同室の何人かの犯罪者(盗み、略奪、けんか、詐欺、麻薬などの罪で逮捕されている社会のくず)は、彼に対して気が狂ったかのように悪口を言ったり、めった打ちにしたり、また彼に一種の残虐な体刑刑具“虎の椅子”を使いました。

 いわゆる“虎の椅子”は、壁にそって一つの小さい円形の腰掛けを置き、それを“小虎椅子”と呼びます。これはコイルを巻くための一種の道具で、円形で直径は非常に小さいのです。背中を“小虎椅子”に寄せて、臀部は床板に座らせ、二本の足を前へぴんと伸ばします。すると上半身と太ももは90度になり、両腕は真横に一の字形に伸ばし壁に押し付けて固定。引き続いて何人かの悪党が力を入れて両足を両横に引っ張り伸ばします。無理に引っ張って伸ばすと両足の角度は180度近くまでなります。このような残虐な体刑は我慢できないほどの苦しみで、まるで心臓が破裂して肺が切り刻まれているような苦痛を感じ、ほとんど気を失ってしまう状態になります。このようになると用心棒達は冷たい水を口に入れて、卑劣にもその水を学習者の顔に噴き付けて、意識を戻させようとします。陸幸国さんもこのような残酷な体刑が加えられ、彼の悲痛な叫び声が外まで聞こえてきました。犯罪者達がヒステリックに彼に転向するかしないかと聞くと “真善忍”の信奉を信じるのは間違っていないので絶対に転向しないと答えると、悪党は残酷にもまた引き続き “虎椅子”の刑具をつけ、精神的、肉体的にも苦しめました。悪党達は連続して2日間彼を苦しませ、彼は深刻に傷みつけられ、立ち上がって歩くことすらできませんでした。その後、悪警中隊長の項建中は109部屋に来て、彼に所謂いくつかの“問題”に関して狂暴に追い詰め、自白を迫って彼を恐喝しました。彼が残酷な虐待に抗議すると、項建中は恨みと恥ずかしさで怒り出し、殺気さえ感じさせました。彼は直接“民管”(労教所の小頭目)の張民などの一部の犯罪者に、更に力を入れて虐待し、必ず彼を屈服させ “転向”させるよう指示しました。そして、再び迫害方法を手配しました。

 2003年10月15日午前、警官達は先に徐平、董偉などのきわめて残虐で狂暴な犯罪者を他の部屋から111部屋に入れ、昼12:00頃、悪党の“民管”張民は法輪功学習者の部屋に鍵を掛け、トイレに行くことさえ許しませんでした。そして、既に体中傷だらけで動くことすらできない陸幸国さんを、足を露にして仰向けにしたまま109部屋から111部屋に引きずり込みました。111部屋の班長は犯罪者の悪党の司導竜といい、他は悪漢の隋偉、王大明、高敬東、顧海倫、余永懐と宋玉琦など他の部屋から続々と111部屋に入り込んで来ました。この時111部屋には10人近くの犯罪者用心棒が集まり、全ての用意が整って、悪党達の張民は大声でテレビの音量を上げ、窓を全部閉めてと叫びました。このようにして更に残酷な迫害が始まりました。彼の口をタオルでしっかり塞ぎ、声を出させないようにして、中で一体何が起きているのか誰も知りませんでした。しばらくして扉が開き、111部屋から隋偉などの罵る声が聞こえてきました。彼は息も絶え絶えの状態で、勢一杯力を出して“転向”しないと拒絶する声が聞こえました。悪党達は彼が死んでも屈服しないのを見て、一層気が狂ったかのように、またすぐ虐待を加え続けました。再び窓を閉めて、テレビの音量を最高に上げ、様々な極めて恐ろしい邪悪な方法を使ってめった打ちしました。

 このように僅か1時間で法輪功学習者陸幸国さんは警官と犯罪者用心棒らに無残にも残虐な体刑を加えられ死亡しました。

 午後13:00、用心棒らは警官に“息がない”と知らせてから、警官のリーダーの朱××(警察番号3130671)が表に出て111部屋に行き、用心棒らに彼を外に出すように指示しました。悪党一人が足を持ち上げ、もう一人の悪党が頭を持ってそのまま一大隊の正面まで行きました……

 その日の夜中、警官隊長の曽××(警察番号3130586)は、悪党の隋偉、徐平と董偉などの犯罪者を呼び出して、彼らの口を統一させ、嘘をでっち上げて、偽証の記録を造って真相を覆い隠そうと企みました。その通り、他の労教中隊の警官はわざとデマを飛ばして陸幸国さんは“自殺”したと狂言を吐きしました。

 彼に対する迫害の中で一番邪悪で、一番直接作用したのが中隊長の項建中であります。彼はかつて:“上から私達に命令があった。5%の死亡率は当たり前で、殺してもただだ。私達は死人を恐れない。”と言いました。

 その後、警官達は陸幸国さんの家族を騙し、彼は“病死”したと嘘を言いました。家族は彼に会いたいと求めましたが拒絶されました。2003年10月17日、警官はまた彼の兄に死亡証明書に署名するように強制しましたが、家族はすぐさま異議を出しました。警官は陸幸国さんの死亡過程と原因をでっち上げる時、次々とぼろが出て、こじつけることができませんでした。警官は家族に遺体を見せず、慌てて家族に知らせて火葬させました。火葬時60数名の警官が出動して現場を監視しました。家族が駆けつける前に、遺体は既にちゃんと服を着けていました。警官は家族が体に触れることを許しませんでした。目撃者の証言によると、陸幸国さんの遺体の顔は既に変形していて、唇も歯もなくて、耳の皮膚はしわ立っていて、髪の毛は一本一本立っていました。首は血だらけで、体には電気で衝撃を与えた痕が多く残っていました。

 陸幸国さんは60歳余りの母親と半身不随の父親、妻と学校に行っている娘を残したままこの世を去りました。

 ■ 北京の女性学習者李玉玲さんは残虐な体刑によって死亡し、警官は意外にも家族に影響を少なくすることを求めました

 北京の法輪功女性学習者李玉玲さんは、2003年6月25日午後3時過ぎに真相資料とCDを持って家を出ましたが、配布の途中、東城区警官に逮捕され東直門派出所に入れられました。その後警官は和平賓館に移動させました。消息によると、警官は彼女から資料の出所、資料ステーションと他の法輪功学習者を聞き出すために、24時間もの酷刑を加え、自白を強要しました。事情を知っている人の話によると、彼女は厳しい拷問に直面しても少しも恐れず、9日間ずっと絶食抗議をして、始終ひと口も口に入れませんでした。警官は様々な非人道的な虐待手段を使い尽くして、遂に7月4日の明け方5時、李玉玲さんは残虐な体刑により死亡しました。
 
 消息筋によると家族が死亡通知を受け取り隆福寺病院に行った時、李玉玲さんの左の顔と耳は腫れており、しかも紫色になっていました。胸もあちこち黒くはれていて、他の部位は家族に見せませんでした。警官は更に家族が遺体の撮影と遺体の移動を禁止しました。

 李玉玲さんの家族は、警察側に彼女の死因に関して明確な説明を求めると同時にいくつかの疑問点を提出しました:1、死者の顔と体の傷はどういうことなのか?2、体調が悪かったのにどうして適切に治療に行かせなかったのか?3、もし、食べず飲まずの状態であったとするとどうして措置を取らなかったのか?家族にはなぜ知らせなかったのか?なぜ人が死んでしまってから通知するのか?警官はこれに対して言う言葉もなく、かえって、家族に葬儀の範囲は小さいほど良いと要求しました。東城区東直門派出所(010-6416-9817)の或る男性警官は李玉玲さんの死亡事実を証明しました。しかも自分達が逮捕したと認めました。しかし具体的な詳しい情況に関しては所長にしかはっきり説明できないと言っています。

 ■ 妊娠3ヶ月の広州市技師羅織湘さんは迫害により死亡しました

 羅織湘、女性、29歳、広東省広州の法輪功学習者です。2002年11月22日、彼女は天河区の610に逮捕され、黄埔麻薬中毒回復所に入れられ洗脳の苦しみを加えられました。

 彼女は絶食して迫害に抗議しました。その後天河中病院に送られましたが、11月31日なぜか3階から転落して頭部に傷を負い、12月4日冤罪が晴れないままこの世を去りましたが当時彼女は妊娠3ヶ月でした。

 羅織湘さんは、武漢市建設大学本科を卒業し、広州市天河区農業開墾建設実業総公司に就職しました。彼女は勤勉で真面目な、温厚な人でした。96年から法輪功を始め、98年10月、法輪功学習者の黄国華さんと知り合いました。99年7.20以降2人は北京に陳情に行きました。黄国華さんは山東省事務所に返され、1ヶ月拘留されました。家の中もやられました。鎮派出所に3日間入れられて、その後無理に3000元の現金を出さされて、やっと家に戻りました。しかし、その後もいつも人に監視されていました。羅織湘さんは広州天河留置場に返され、その後職場から除名されました。数日後、黄国華さんは広州に戻されましたがそれから2人は路頭に迷い、苦楽を共にして、2000年4月5日、2人は正式に夫婦になりました。

 婚姻後準生証(出産許可書)の手続きを何度も申請しましたが受け付けてもらえませんでした。当時、黄国華さんは中山大学で勉強中でした。彼の両親は彼の夏休みに(6月)息子と嫁のために実家の農村で結婚披露宴をする予定でしたが予測もできなかったことに旧暦の5月20日、黄国華さんの母親は同修と一緒に陳情に北京に行く途中で逮捕され、現地の派出所に返還されました。その翌日また彼の父親まで逮捕され、二人の老人は丸一晩中鉄の椅子に縛り付けられました。夜が明けて、彼らを県政府のある留置場に送り込み、家の畑仕事と家畜は世話をする人がいないため、その経済的損害はとても大なものでした。二人の老人は半月拘留されてから、鎮派出所に戻され更に厳しい拷問を受けました(鉄の椅子に縛り付けられて、プラスチックの硬い皮で頭部をたたかれて、血まめが出来た)。昼間は彼らを分けて拘禁し、悪人は交替で見張り、夜は更に彼らに様々な残虐な体刑(鉄の椅子にしゃがませる、虎椅子刑具など)を加えました。政治と法律委員会書記の王氏は数十人の不法人員を連れて来て靴と警棒で黄国華さんの母親を死ぬほど打ち付けて、体中傷だらけで今なお血の固まったところはまだ治っていません。旧暦の6月10日、老人の胸に大きい看板を掛けさせて街を引き回しましたが2人の老人は全体の過程の中で泰然自若としていました。悪人は期待していた目的が達成できなかったので今度は悪意をもって二人を中傷し、老人の体が支え切れなくなってやっと家に戻しました。3日後に、また家に追いかけて来て6000元の現金を脅し取ろうとしましたが出せる力がないことが分かり、今度はわずか200元の貯金まで奪い取って、やっと気が済んだようでした。

 同年10月、黄国華さんと羅織湘さんが真相資料を配っていた時、黄国華さんは逮捕されて、白雲区留置場で135日間拘禁され、その労働教養所から釈放されました。その時羅織湘さんは既に妊娠しており、2001年3月、黄国華さんの母親が広州に行き嫁の世話をしました。同修達の助けと世話を受けながら羅織湘さんは5月18日、順調に女の子を出産しました。3ヶ月後、黄国華さんの母親は百日過ぎたばかりの孫娘を連れて山東省の実家に戻りました。家に着いて知りましたが主人が逮捕されて既に数日経っていました。旧暦の9月末になってやっと家に戻されました。

 ちょうど秋の大変忙しい時期に、畑仕事は人がおらず、一老一少の生活は苦難に満ちていることは考えてみると充分わかります。

 2001年7月20日から9月20日までのわずか2ヶ月の間に、天河区派出所はかつて3回も山東省に黄国華さんと羅織湘さんを探しに来て、二人の結婚写真と二人の娘の写真を持って行きました。羅織湘さんを探し出すために彼らは過去何回も彼女の母親、姉と友達の家に来て捜査をしました。しかも、3万元の褒賞を出して羅織湘さんを探し出そうとしました。11月22日、悪人は黄国華さんと羅織湘さんを見つけ出し、逮捕して海珠区収容所に拘禁しました。黄国華さんは留置場に送られ、2ヶ月後また労教判決を受け未だに拘禁されたままです(広州市華都労教所)。羅織湘さんは海珠区留置場で、7日間絶食し、検査結果彼女は既に妊娠3ヶ月でした。天河区政府は保証人を立てて審問を待つと言って連れて戻りました。しかし、誰も予測しなかったことに彼女は虎巣から出て来て狼の巣窟に落ちてしまいました。羅織湘さんはまた天河区の610事務室及び興華街道に移され、交替で不法監視をされ、強制的に洗脳迫害を受けました。

 12月1日午後、羅織湘さんの姉から黄国華さんの母親に電話が入り羅織湘さんの病状が危険なので広州に即来るようにと告げられました。母親は羅織湘さんの幼い娘を連れて広州に到着(12月5日)しましたが、嫁は既に前日(12月4日)に迫害されて死亡していたことがわかりました。不法人員らは母親と幼い娘を7日間ホテルに泊め、8日目の朝、興華街道事務所から、事後処理をするために相談し、母親にどうするのが良いか条件を出すように言いました。18日興華街道事務所から2人が来て“ここで私達はあなた達をただ7日間接待するだけです。遺体は葬儀場においてあるが費用も7日分だけです”と言いました。23日午前、天河区政法委員会の陳という人が6人を連れてホテルへ来てチェックアウトし強制的に母親と幼い娘を追い出しました。通行人の或る優しい人がこれらを見るに見かねて彼らに“理由を話しなさい。この社会で人を迫害して殺しその責任を取らないなんて信じられません”と同情を表しました。

 母親は幼い娘を連れて再度興華街道事務所に行きました。南方とは言え、寒い師走であり、年寄りの母親と幼児は路上で辛抱して過ごさなければなりませんでした。母親は再度興華街道事務所を訪ねて、粗末な宿泊所でも構いませんので、嫁の後処理が終わるまで部屋を見つけて下さいと求めました。

 しかし“人権の最もよい時期”の“3人の代表”の指導下で、あれだけ大きい広州市で、年寄り一人と幼い娘一人の身を寄せる場所がありませんでした。最後に彼女たちは10人くらいの用心棒から町を追い出されました。その後街頭を4ヶ月も放浪しました。この間彼女たちは何度も街道事務所に行き、610事務室からの明白な返事を求めましたが拒否されました。しかも、“羅織湘さんは自殺”であって、政府とは一切関係ないと嘘を言いました。その後610事務室の主任など3人が羅織湘さんの自殺メッセージのようなもの2枚を取り出して、母親に署名するように強制しましたが母親は断固として拒否しました。不法監視人達は三人体制で羅織湘さんの遺体を見張っていて、しかも彼らはかつて:“羅織湘は7日間絶食”していて、彼女は立ち上がることすらできなかったと言いました。こんな彼女が自殺なんて誰が信じるのでしょうか?母親は痛恨して、大声で:“あなた達は海珠留置場から保証人を立てて審問を待たせていた時、どうして彼女を家に戻さなかったのですか?”と詰問しました。

 610事務室の劉という主任は気が狂ったように“彼女が署名したくなければそれで良い。どうせ同じことだから(火葬)”と大声で言いました。その後悪人はまた華都労教所に行き黄国華さんに羅織湘さんの遺体の火葬に署名するよう強要しました。今現在羅織湘さんの夫黄国華さんはまだ広州花都労教所で迫害を受けています。娘は黄国華さんの両親が育てています。

 ■ 山東省の王麗萱さん母子は残虐な体刑を受けて殺害されました

 王麗萱、女性、27歳、息子の孟昊、8ヶ月未満で山東省煙台栖霞寺口鎮南横溝村の法輪功学習者です。王麗萱さんは1999年7.20以来、前後8回陳情に上京しました(その中で3回は妊娠中で2回は息子を抱えて陳情に行った)。2000年10月21日、上京途中で逮捕されましたが留置所から逃げ出し、22日また上京しました。2000年11月7日、王麗萱さん母子は北京団河派遣所で二人とも迫害されて死亡しました。親族が知らせを受けて、北京に行って見たのは母子の冷たい遺体でした。法医学者の検査によると:王麗萱さんの頸椎は既に折られており、座骨も折れていました。頭部は窪んで、腰部には注射針が残っていました。孟昊ちゃんの足首には2つの深い傷跡が残っていて、頭部にも2つの紫色のぶちがあり、鼻には血痕がありました。分析によると:暴徒は恐らく手錠を孟昊ちゃんの足首にかけて逆さまに吊り下げて苦しめ、死亡させたようです。江氏集団は赤ん坊さえ見逃さない殺人元凶なのです!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/10/71967.html