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文/葉喬(カナダ) 【明慧ネット2004年5月9日】一部の人は法輪功に対して一つ大きな疑問を持っている:“あなたたちはそんなにたくさんの資料を印刷し、大型の活動を行ったり、いろいろな行事に参加したりして、それらに掛かるお金はどこからきたのか。”このような人たちは当然のように法輪功の背後に必ず政治団体の支援があると思っている。実際に、このような推論に誰かが何らかの証拠を提出したことはまったくない。多くの場合には直接或いは間接的に中国江沢民集団の“政治意図がある”ことや“背後に海外の反中国勢力がある”などの誹謗中傷の宣伝を受けてから生じた考え方である。 私が知っている二つの実例があり、これによって“お金はどこからきたのか”という疑問が解かれるかもしれない。一つ目の実例は、法輪功学習者が立派な会場を借りて交流会を行うときのことである。会場費を払うとき、ある学習者は40数枚の金額がばらばら、金融機関名も様々な小切手を持って支払いに行ったところ、会場管理者に“一枚の小切手で纏めて払うことができないのか”と聞かれた。この学習者はこう答えた:“申し訳ないです。複数の学習者たちは各自の小切手で会場費を分担しているからこうなりました。” 二つ目の実例は、法輪功学習者は春夏秋冬でも変わらず唐人町で法輪功の真相資料を配っている。ある女性学習者はよく近所のある店の店主に “あなたたちはいったいいくらお金をもらって雇い主のためにこんなに頑張っているのですか”と皮肉を言われた。この学習者はただ笑って何も言わなかった。ある日、毎日彼女を唐人町まで送っていく息子が気持ちを抑えきれずこの店の店主にこう言った:“あなたは数人を探して来てください。私は給料を出して彼たちにこの資料を配ってもらいます。条件としては、私の母のように大雪、大風、大雨の天気にも、気温が数十度から零下数十度まで、一年間365日、一日も欠かさずに配り続けることです。”この話を聞いた店主は黙っていた。その後二度と皮肉の話は出なかった。 この二つの非常に典型的な実例は、以下の二つの事実を説明できる: (一)、法輪功学習者が使ったすべてのお金は、全部自分の意思によって自発的に出したものであり、誰からも要求されたものでない。学習者の間にも活動費用を集めるために出金を呼びかけることもない。法輪大法の活動費用は全部学習者が自発的に払ったもので、あらゆる政府と団体の金銭援助を受けとこともない。 (二)、法輪功学習者は人数が多く、各階層、各年齢、各民族、各種の学識と人生経験者が含まれている.このような学習者は簡単に誰かからの言い成りに従って行動する可能性があるのか?このような学習者は簡単に人に支配、利用されることがありうるのか?実際には、法輪功学習者は十分な思考、判断力があり、やることは全部大法の指導の下で真剣に考えた後の行動である。法輪功学習者を動かすことは、何らかの個人や政府、団体の力ではなく、すべての活動は、修煉者が“真善忍”の法理に従って、正しい信、正しい悟り、正しい念の上で行ったことである。このような“真善忍”に対する信念は説教のようなものではなく、それは法輪功学習者が理性の思考と真剣な実践をした後に得られた精神の昇華によるものである。このような信念があって始めて大きな凝集力があるのであり、はじめて困難に満ちた厳しい5年間の道程を歩んでくることができるのである。 |