日本明慧


先生・テンシンでの説法の日々  

 文/ニュジーランド 劉毅

 【明慧ネット2004年5月10日】1994年1月17日、先生はテンシンで第1回法輪功講習会を開かれた。当時はテンシン人民ホールで、全部で10回の講義で、9日間だった。(先生は受講者の時間と負担を減らすため、日曜日に2回の講義をされた。)前の9回の講義は先生が説法され、動作を教えられ、最後の一日は、先生がみんなの質問に答えられた。10回の講義で新しい学習者は50元、古い学習者は35元の受講料だった。新しい学習者は1回の受講料が5元、私は講習会に参加する前に、同じホールで90分の映画を見たことがあったが、あれは10元だった。明らかに先生は受講料をとても低く設定しておられた。

 私は講習会の期間中、先生の説法を聴くにつれ、私は人間が何の為に生きているのかを知った。先生の説法は私の世界観と人生観を変えた。私の生活の道を変えた、私は修煉し、返本帰真の道を歩んだ。講習会の期間中4つの出来事を今でもはっきりと憶えている。

 その一。先生は日曜日の昼みんなと写真を撮られた。私はそのことを知らず、私が行った時は、もう既にみんながホールの外の庭で撮影を始めていた。7、8人一組でも、2、30人の組でも、みんなの体勢ができれば、先生をお呼びして、先生はみんなと写真を撮られた。1000人がそれぞれ先生と写真を撮り、先生は毎回微笑んでおられ、めんどうそうなことは全くなかった。私も先生と一緒に写真を撮ろうとしたが、考えてみて、先生の法身が毎日傍に居るから、写真を撮らなくていいのではと思って、先生と一緒に写真をとるチャンスを逃してしまった。今考えてみると残念だった。

 その二。最後の日の講義が終わって、先生が大手印を見せてくださり、例えようがなく非常に美しく感じたが、その時、全然それを表現できなかった。

 その三。最後の日に先生の説法後、ある学習者が演台に登って先生に錦の旗を捧げ、彼は自己紹介し、東北出身でガンを患っており病院で死を宣告された。知人の紹介で法輪功を始めた。テンシンは彼にとって2回目の講習会で、彼の一家は演台に上って先生に錦の旗を捧げ、彼は演台上で昂奮し、“いいぞ、いいぞ、全てがよくなっている”と叫んでぐるぐる走り周り、下の学習者たちはそれに拍手を送った。彼は自己紹介し、錦の旗を先生に捧げ、先生と一緒に写真を撮ると、下の学習者たちはもう一度拍手を送った。

 その四。一番忘れられないことは、講習会の最後から2番目の日、神通加持法を勉強した。私は2階に座っていたので、少し空きスペースがあり、目を閉じて煉功した時、ふっと目を開けて見ると、私の前1メートルに足らない所に先生が立っておられた。微笑んで私を見ておられた。その笑顔はとても言葉では表せない、先生は私が目を開けたのを見られて、私に微笑んで一階に下りて行かれた。

 今も先生の笑顔を思い出すと、恥ずかしく思い、ここ数年本当に先生の期待を担えていない。
私はこの文章を書きながら、涙が流れるのをどうすることもできなかった。私はもっと精進し、先生が我々に要求された3つのことをよく修めて、初めて師恩に報うことができると思った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/10/74285.html