アルゼンチンの旅
2004年5月8日 文/米国のエリック・メルツァーさん
【明慧ネット2004年5月8日】
尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
私はエリック・メルツァーと申します。ボストン出身で、大学の二年生を終えたばかりです。ここでみなさんと、私が第一回南アメリカ法会に参加しにいった際の体験について分かち合いたいと思います。
私はその法会のことを聞いた時、すぐに自分はアルゼンチンと一種の縁があると感じました。私はアルゼンチンについてほとんど知らず、知っていることといえば、そこは大法を学んでいる人が非常に少なく、みな始めたばかりであること、大法の仕事をするためのお金があまりないことくらいでした。幸運にも偶然、法会と大法の活動が私の学校の春休み期間に行われることとなりました。しかし、ちょうど私が参加しようと考えていた時、いくつかの執着が現れてきたのです。最も大きな二つのことが、金銭と、家族との感情や関係のことでした。
私はずっと金銭に対する執着をなくそうと努力してきました。アルゼンチンに行くための費用は少なくはありませんでした。以前、私は一度も自分のお金で飛行機のチケットを買ったり、宿泊地の費用について負担することがありませんでした。私はずっと、多くお金を払うことが嫌だったのです。いつ必要となるか分からないから節約すべきだ、と思っていたのです。この考え方は、本当はとても自己中心的なものです。私は、私たちのすべては法を正すために使い、法を正す時期にあっては、私たちはできるかぎり手をつくして人々を救うべきだと悟ったのです。私は、邪悪の造った圧力が私を阻止し、私を行かせないようにしていると感じました。しかし、この時期の大法弟子にとって、旧勢力のなそうとすることを承認するわけにはいきません。私がアルゼンチンに行くことを決定した時、この執着はなくなりました。師父は《2003年アトランタ大法会での説法》で、“法を第一にし、自我を切り捨て、みな正念をもって問題を解決することができれば、すぐ結論を出すことができ、法を証明する中で正しく行うこともできます”とおっしゃっています。
これから、アルゼンチンに行った体験を話してみたいと思います。
空港の中で、私はできるだけ会った人みんなに真相を話そうと思いました。私は南アメリカから来た旅行客に真相資料を配りましたが、あまりうまくいきませんでした。彼らは私に気をとめることなく、資料を受けとってもくれなかったのです。しかし、私は、自分が法の中にいさえすれば、師父はすべてのことにおいて手伝ってくれることを知っていました。その後、飛行機の中で、私のとなりに座っていた人たちはみな喜んで真相資料を受け取ってくれたのです。
チリで乗り換えをした時、ちょうど中国の旅行客の一団に出会いました。私は彼らのところに行き、私が持っていた大紀元時報を彼らに手渡しました。彼らが誌面のトップを見ると、そこにはワシントンDCのイブニング・パーティーで大法を学ぶ人々が「あなたのためにやってきた(編集者注:法輪功学習者の作った楽曲のひとつ)」を合唱している姿が掲載されていました。彼らは本当にびっくりしていました。遠くチリに来て、大法を学ぶアメリカ人に出会うとは! と。師父は《2003年アトランタ大法会での説法》で、“この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、さらに縁のある人を失わないでください”とおっしゃっています。
これから、アルゼンチンに着いてからのことを話したいと思います。
私がアルゼンチンに着いた時には、実は法会はすでに終わっていました。これは私の乗る飛行機の時間の都合が悪かったからで、以前から分かってはいたのです。しかし、私は衆生を救うため、アルゼンチンに来たのです。衆生を救うことは、今のところ、私がすべきもっとも重要なことなのです。法会のあと、私は同修のみなさんといっしょに夕食を食べました。彼らの中には私と同年齢の人もいました。私は彼らに、世界各地での青年の修煉者の状況や、彼らがどのようにして天安門に行ったかや、どのように法を正せばよいのかや、大学生がどのように鎮圧されているのか、について話したのです。これらはみな、彼らにとって大きな励ましとなりました。
旅の三日目の早朝、私たちはブエノスアイレスの中国領事館に行きました。私たちは横断幕を広げ、通りがかった人すべてに真相を話したのです。この日、領事館はしまってはいませんでした。一人の修煉者が中に入り、自らの手で直接資料を領事館の官員たちに渡したのです。彼らは警察を呼びましたが、警察が来ると、私たちは今度は警察に真相を話しました。警察は法輪功が中国で迫害されている真相を知ると、静かに帰っていきました。
ある男の子は、祖母といっしょに家から出てきて、私たちが何をしているのか見にきました。あとで、男の子も「法輪大法好!(編集者注:法輪大法は素晴らしい!)」と言わずにはいられなくなったのです。同じような出来事は語り尽くせぬほどたくさんあります。
私はアルゼンチンのもう一つのコルドバという都市にも行きました。一日目の朝、私たちは市の中心部のとある主要な市場に行き、煉功(編集者注:気功)をしました。天気はとても湿っぽく、雨が降っていました。私たちの何人かは資料を配り、他の人は煉功をしたのです。しかし、資料を捨ててしまう人が多く、通りいっぱいに散らばってしまいました。私が理解したことは、「私たちはこの影響を受け、士気を下げてはならない。逆に、私たちは周囲の環境を正すべきなのだ」ということでした。(編集者注:李先生のお話ししてくださった)《大ニューヨーク地区法会での説法と法の解説》の中で、ある修煉者が師父に、常人に捨てられた大法の資料に関する質問をしました。師父は“資料を配ったら捨てられる可能性があると考えるべきです。このことについて、大法弟子として資料を大事にしていますが、常人に対して怒りを覚えるようなことをしないでください。やはり慈悲をもって対処すべきです……”とおっしゃっています。
二日目、私たちは、正念をもって資料を配るべきだ、と分かりました。これは一見して常人のすることのように見えますが、私たちは大法弟子なのです。師父が何回もおっしゃったように、私たちは物事を行う基点が常人とは違うのです。この日の効果はかなり良くなりました。市場で煉功を終えると、空は晴れ渡り、人々は私たちの近くに集まってきました。大法弟子として、何事を行うにも正念が必要なのです。そうして初めて、常人の頭の中の邪魔するものを取り除く効果が得られるのです。
ある日、私たちは集まって法を読み、交流しましたが、一人の修煉者が彼女の理解について話をしていました。「旧勢力は、法を正す時期において、南アメリカが積極的な役割を果たすことを望んでいません。したがって、私たちが法会を開き、お互いに交流することは、旧勢力の予定を否定しているということなのです。南アメリカの修煉者は、その多くが始めたばかりの人です。しかし、彼らの法をより深く理解しようという決心はとぎれることなく増し、衆生を救うことについての決心もとても堅いものとなっています。あの一週間は彼らにとって、とても貴重な時間だったと思います。南アメリカでは修煉者がまだ少ないので、彼らが出会って相手の顔を見ながら交流できたことで、本当にとても大きな促進の効果が得られたと思うのです」と。
今回の修煉体験交流が終わる前に、私はアルゼンチンに行く機会を与えてくださった師父に感謝いたします。どこの国から来ていようとも、我々がともに高め合うことができれば、と願っております。私が気づいたこと以外に何かお気づきの点がございましたら、どうかご指摘いただけますよう、お願い申しあげます。ありがとうございました。
(2004香港法会での原稿より)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/8/74086.html)
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