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吉林省楡樹市の鄭福祥氏が長春市朝陽溝労働教養所に虐殺された

 【明慧ネット2004年5月6日】鄭福祥氏、男,35歳。吉林省楡樹市青山郷三興村の大法弟子である。江氏の邪悪な虚言を暴きだし、善良な民衆が騙されないように、鄭福祥氏は妻の鄧立娟氏と一緒に二回も上京し大法の証明を行った。ただ一言の真実を言っただけで、四年間の冤罪懲役と酷刑の苦しみを受けた。2004年4月7日極めて苦痛の中で冤罪を負ったままこの世を去り、残酷に虐殺された。 

 鄭福祥氏は始めて上京し陳情に行ったとき、楡樹市公安局に非合法に二ヵ月監禁され、二回目の陳情に行った時は非合法に一年間強制労働され、長春?子溝、奮進、朝陽溝労働教養所で残酷な精神と肉体の苦しみを受け尽くした。信仰を放棄しなかったため、労働教養期間が満了しても、更に五ヶ月間延長された。 

 彼の疥癬だらけの体は極めて虚弱し、家に帰って半年経っても完全に回復しなかった。2002年3月長春の大法弟子がケーブルテレビを利用して大法の真相を伝えたため、吉林省の全地域で狂ったように大法弟子を連行され、青山郷警察所所長の張德志と部下達は夜に鄭福祥の家に突入しようとし、いかなる法律順序も踏まえず、警察は窓ガラスを破って部屋の中に入り、鄭福祥氏と妻の鄧立娟氏を酷く殴った。警察署は鄭福祥の頭部、胸部、下腹部、背を殴り蹴り、鄭福祥は地面に殴り倒され、呼吸も困難となり、青山郷警察所に連行され、更に鉄の椅子の中に押し込んで酷く殴られた。極悪警察は事実に合わない罪を捏造し、楡樹市公安局に送って迫害をしていた。公安局国保大隊の石海林などの極悪警察は電気棒で体を電撃し、拳と足で鄭福祥氏の胸部及び腹部等のところに猛烈に攻撃し、多種の酷刑を使った。社会秩序を撹乱したという罪で鄭福祥を拘留した。拘留されている期間に鄭福祥氏はやはり各種の酷刑の迫害を受けた。鄭福祥氏は絶食で非合法な迫害に抗議したので、極悪警察は強行して食し、指の太さほどあるゴム管を鄭氏の鼻から胃の中まで差し込み、全部濃い塩水を灌食した。鄭福祥氏は拘留所に監禁されてから半月後、また楡樹市監禁所に移され、続けて迫害を受けていた。その後非合法に三年間の強制労働刑と判決を受け、長春市朝陽溝労働教養所に拘禁された。 

 鄭福祥氏は長春市朝陽溝労働教養所五大隊新生班の一中隊に入れられ、六、七人の刑事犯人がすぐ囲んできて、“まだ煉功し続けるのか?”と聞いてきた。鄭福祥は迷わず“煉功し続ける”と答えたので、すぐに酷く打たれて、顔面めった打ちされ、みぞおちを殴られ、蹴られ、平手打ちや拳で頭が殴られ、鉄パイプで背や腰を殴られ、その場で動けなくなり、呼吸も困難となった。警察と刑事犯人はまだ彼が装っていると言ったので電気棒で酷刑を加えた。それから、また鄭福祥氏の服を全部剥がし、経文を持っているかどうか捜査され、体中がアザだらけになった。刑事犯人が彼を風呂場に連れて行き、二個の大きいバケツに冷たい水をいっぱい入れておいた。四、五人の刑事犯人がドアを閉めて、彼の頭から体に冷水をかけながら聞いた。"まだ煉功するのか、転化しろ、皮肉の苦しみから逃れることが出来るぞ”、鄭福祥氏は“煉功する”と答えた。暴徒は更に暴行を加えた。殴り終わって、続けて冷水をかけ、体が麻痺状態になった。犯人は窓を開けて、風通しを良くしよう、体が早く乾くと言った。当時は初春の季節で、寒さで体が震え、裸になっている鄭氏を一時間凍らせた。更に脅かして:"煉功したら、毎日殴る"と言い、部屋に戻させてから、鄭氏の頭を壁に突っ張らせて、両手が頭を抱え、両足は蹲って、両膝を揃ったまま動いてはならず、しゃがんだ後小さいベンチに座され、毎日大法を中傷するビデオを見させられた。このように五大隊で十数日が過ぎ、六大隊に移された。(農作業隊)六大隊に入ると、人が殴られる悲惨な叫び声が聞こえた。六大隊の極悪警察は大法弟子の服を剥がし、棒、拳、足、三角革帯で体の各部位を殴って蹴り、皮が裂けたら、塩を傷口に撒いて揉むなど、非常に苦痛を嘗めさせられた。そのほか座禅した両足を縄で括りコンクリの床に座らせるなど多種の酷刑を用いた。鄭福祥氏は内臓の損傷を負い、咳をし、体が極めて虚弱なのに、毎日重労働を強要され、負傷の状況は日毎に悪化し、高熱が下がらず。2003年6月に体を検査したところ、肺結核と診断され、隔離監禁となった。労働教養所は家族に対し医療費を出せと要求し、家族は保釈での治療を要求したが、六大隊の極悪警察は鄭福祥氏の安否を構わず、放置していた。鄭福祥氏は朝陽溝労働教養所で長々と十ヶ月を過ごした。最後に血と膿を吐いて、死にそうになった。労働教養所の人は責任逃れのため、2004年4月6日に家族に知らせて鄭福祥氏を迎えに帰宅したが、翌日、つまり2004年4月7日朝4時に鄭福祥氏は死亡した。 

 鄭福祥氏は死亡する前にずっと膿や血を吐いていた。死亡する当日にも青山郷警察所所長の張德志は部下を連れて彼の家を監視していた。流離している鄭福祥氏の妻及び他の大法弟子を捕えよと企んでいた。残念なことに、鄧立娟氏は自分の夫の最後を一目も見ることが出来なかった。 

 鄭福祥氏は去った。彼は一言も残されず、親族、妻、同修たちのお供も無く、見送っていたのはただ風の叫び、雲の涙だった。一人の剛毅で不屈の命は、大善大忍の胸に、堅く信念を持って楡樹市の人々に呼びかけていた:目醒めよう!江氏の邪悪政治集団の虚言に騙されないよう、法輪大法は正法だ! 

 鄭福祥氏が迫害され死亡したことについて、楡樹市青山郷警察所、楡樹市公安局国保大隊及び朝陽溝労働教養所は責任逃れは出来ない。主な責任者の一人として、極悪警察の張德志は決して法律の裁きから逃げられないのだ。彼等を待っているのは歴史の公証の審判だろう。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/6/74005.html