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法輪大法が台湾の学校に広まっている(写真)

 文/台湾法輪功学習者

 【明慧ネット2004年5月17日】朝早くから、子供たちが法輪大法の悠揚な煉功音楽の中で座禅するのを見て、彼らのかわいい頬には温和かつ平静な表情が漂っていました。思わずこの子たちのことでうれしく感じずにはいられなくなったのです—こんなに小さな年で修煉することを知るようになるとは、なんと幸せなことでしょう!

 本校は台南郊区に位置する純朴な小学校であり、全校の在学教員および学生たちを合わせて全部で六百人です。2003年4月に、法輪大法の学習者が苦労を厭わず本校まで来て法輪功を紹介してくれました。それに加え無料で五式の功法を教えてくれました。功法は簡単で速く学べ、「真、善、忍」の法理が人の心を指すため、たくさんの教師たちが修煉に参加しました。

 今年の年明けに、行政院体委会がちょうど「運動人口倍増計画」を推進していましたが、本校のたくさんの教職関係者たちが修煉してから心身ともに受益されたため、この計画に申請し参加しました。朝七時から七時半の間の時間を利用し、学校で新たな煉功場をたてました。その対象は学生およびその保護者や家族で、このように教師と学生との相互の反響により法輪大法のすばらしさを市区に押し広めるように期待をかけたのです。実施してから今日までまだわずか二か月しか経っていないのに、もうすでにたくさんの人が心身とも改善されるようになりました。

 以下はその中の幾つかの例を挙げます:

 ある祖母と孫娘は、毎日ほぼ恒常していつでも彼らが最初に煉功場に着くようになっています。?さんが言うように「孫娘は煉功することが大好きで、寝坊して遅刻しないため、煉功の日になると必ずいつも?さんと一緒に寝るようにしています。夜には学校の復習をし終えてからいつも?さんと一緒に大法の経文を読むようにしています。?さんは以前からいろんな慢性の病気がありましたが、煉功してから病気の痛みが幾分も和らげられました。毎回煉功し終えて家に帰るたびに、高血圧が少なくとも20は下がって、医師でさえ驚愕を感じずにはいられませんでした。」

 同じような状況が林おばさんの身にも現れました。彼女は修煉を通じて、長年の足の傷、肩の傷が何もせずに自然と治ったのです。長年にわたって薬を飲んでも制御されなかった血脂肪も正常にまで回復しました。彼女は法輪大法の法理は分かりやすいだけでなく、広くてたくさんの真理が潜められていたのを感じ、中にはたくさんの人生の中で探し求めても見つからなかった疑問にも答えてくれたのです。

 四年生のあるクラスの担任は、とても対処しづらい子が法輪大法を修煉するようになり、煉功する前には、宿題は常に書かずにほったらかしにされ、たとえ書いたとしても文字が非常に汚く、やるべきことをこなすことができませんでした。授業を聞いているときでもぼうっとしていて、いつも他人と私語を交わしながら授業の邪魔をしていました。しかし法輪功を修煉してから、担任の先生から聞いた話によると、これらのことはみなある程度まで改善され、文字がもっと丁寧に書けるようになり、それ以外の教科担当の先生も、この子の鮮明な変化に気づき、みな法輪大法のすばらしさを称えました。

 以下に書かれているのは何名もの先生方の修煉体験です:

 林先生:法輪功を修煉してからもう一年が経ちます。当初は学習者たちの演示してくれた第一式の功法の緩やかで落ち着いた動作を見て、私は深くそれに惹かれて、すばらしいエアロビクスの体操運動だと思って修煉に参加したのです。今でも煉功を初めてから初日の奇妙な体験を覚えています。その日の夜は心の中ではいつよりも平和で、喜びに満ちていました。その夜は、疲れも眠たさも感じなくて精神状態が非常に良かったのです。ずっと前から私は座禅を組むようにしていましたが、第五式の功法は座禅なので、ちょうど私のあこがれているものでした。五つの功法を全部学んでから、私たちは古い学習者に『転法輪』の本を紹介されました。昔からいつも仏経に興味を感じていた私は、『転法輪』に述べられた仏法および返本貴信の道理を見ていたら、本当に宝物を獲得したが如く、一気に全部を読み終えたのです。一部の本は見てからもう一度読みたいとは思いませんでしたが、ただこの『転法輪』だけは何回読んでも飽きることはなかったのです。なぜならこの本は人に心を修め、性を養うことを指導してくれる高徳の大法であると同時に、佛家の修煉大法でもあり、凡そ問題が生じたときに自分の内を探し、直接に人の心を指す法門だからです。そのため毎回読み終えてからいつも違う感覚が引き寄せてきます。人の心の深くまで感動を与えてくれるのです。

 いわゆる「山河の改造はたやすいが、根性を入れ替えるのは難しい」と言われますが、しかし法輪功学習者たちの身に置いた場合、この慣用句は通用しなくなります。たくさんの学習者たちが修煉を通して悪い習慣を絶つことができました。もちろん私も例外ではありません。修煉し初めて自分にはたくさんの良くない観念および習慣が身についていたことに気がついたのです。このような認識が生じて以来、私はもう二度と他人を責めるようなことはしなくなったのです。というのはすべての矛盾の根源はやはり自分と関係があるからです。以前の生活上における苦しみというのは、外部との争いが途絶えることなく、そのような怒りによってもたされた不平の気持ちで、私の身体および婚姻に赤信号が見られたのです。初日に煉功してから私の心の結びが一気に解かれたように感じたのです。いつにもない平和を感じました。本を読み始めてから、はじめて夫婦とは恩の基点に立ってお互いの気持ちを考慮しなければ、必ず小さい揉め事でもすぐにぶつかってしまうことを知ったのです。私はそれ以来夫婦の縁をもっと珍重して大事にするようになりました。そのため夫といつも小さいことでぶつぶつともめる悪い習慣が治ったのです。私の変化について、子供たちが最初に感じました。彼らは「母さん、なんだが父さんと仲が良くなったようだね」と言ってくれました。ある日夫からも「お前が法輪功を修煉してからもう俺のことをうるさく言わなくなったね、顔も昔始めた会ったときのように若返ったね。」と言ってくれました。

 法輪大法は真、善、忍を修め、真善忍の特性に同化さえできれば、身体もそれなりに変わるのです。煉功をする前では毎年春、夏の季節になると、足の裏には必ず汗の疱疹ができてしまい、秋、冬の季節になると両足の皮はいつも亀裂してしまい、定時的に皮膚科に見てもらい、塗り薬を試していました。しかしここ一年で、まさか医薬品をまったく使うこともなく、自然に治ったのです。それに毎年必ず起こる一回や二回のインフルエンザも、今年は感染されなかったのです。これはみな想像もつかなかったことです。

 さらに人に驚きを感じさせるのは子供の変化です、子供は小さいときから気管に病気があり、抵抗力が弱く、ちょっと冷えるといつも咳をするようになっていました。毎年の保険カードではいつもEカードまで使ってしまうのです。私が修煉してから、子供もときに私の真似をしていました。それほど真剣にやったわけではありませんが、それでも身体に変化が見られたのです。この一年間一服の薬も飲みませんでした。ある朝早く私が第五の式の神通加持法をやり終えてから、子供が布団を蹴飛ばして全身が冷え切っていたのを見て、すぐに彼を抱き込んで暖かさを取りもどそうとしましたが、この子が起きてから、体に何も起こりませんでした。最近ではたくさんの友達が私の息子がより丈夫になったと言い、私がこの子に何の栄養補充を施したのかと聞いたところ、彼らが法輪功によって回復したのだと聞いてから、みな大変不思議がっていました。でもこのすべては事実ですよ!こんなに良い功法に、皆さんも私のように受益されることを願い、ここでこの一年間の体験を説明し、みなさんがこの得難い機縁を失わないことを心から願います。

 江先生:私は小さい時から家が貧困で、体のほうも良くありませんでした。みな生命の危険に及ぶような病気ではありませんでしたが、しかし長期にわたってこのような病気の苦痛に脅かされ、本当に生きるのはつらいことだと実感していたのです。子供の時から授業を聞いているときにいつもぼうっとして「なぜ“私”はいるんだろう? “私”はなぜこの世に生を受けたのだろう? 人間ってなんでこんなに苦しいのだろう? 自殺してすべてを終わらせようか? “私”は死んだらどこに行くんだろう?」などとばかり考えていました。結婚してから、私の夫が私に大変気を使ってくれました。家事はみな彼が代わってやってくれ、子供を産んでからも体は少しも改善もせず、また出産後に新たな病気が出てきたのです。一番受け入れ難いのは子供が私の虚弱体質、病気の多発の遺伝を受け継いだことです。子供はいつも夜中に泣きながら私に「僕はなぜ咳がとまらないの? 全然眠れないよ!」と訴えるのです。私はただ子供を抱いて一緒に泣くことしかできませんでした。この子のそばで座って眠りに入るまで、涙を流しながら自分を責めました。お天道様はなぜ私に対してこんなに不平等なのかと恨んでいました。

 体の不都合、講義の圧力などによって、私たちもだんだん悪くなり、学校ではすぐに怒り出していました。そして学校での不愉快を家まで持ち帰っていました。このように日が経ち、体はさらに悪化し、薬の量は増える一方で何の改善も見られませんでした。死を願う考えが常に脳裏に浮かんできました。このような絶望のさなかに、法輪大法の学習者が現れたのです。彼らの教えてくれたものと励ましによって、私は五式の功法ができるようになり、私に初めて『転法輪』を読むための障碍を克服することを助けてくれました。『転法輪』は分かりやすく書かれているが、内容はきわめて深遠であったので、ますます読むのが好きになったのです。

 法理を知るようになってから、私はもうお天道様が自分に不公平などと二度とうらむことはありませんでした。もう他人と小さいことでもめることもなくなったのです。気質が良くなったため、体も改善されました。法を得る前には保険カードはJカードの最後の欄まで使ってしまいましたが、(自費による看病は中に含まれない)法を得てからもう二度と薬を飲むことはなく、不眠症および頭痛をもう恐れなくなり、もはや咳で授業ができないなどと心配しなくなりました。子供と夫は私の同修となり、私たちは共に修煉し、娘は鼻も副鼻腔炎による臭いが出なくなりました。息子の息切れももう二度と発病することはありませんでした。夫も私に対して昔以上に気をかけてくれるようになりました。私たちはもう二度と年末に薬が切れるのを心配しなくなり、もう二度と子供の薬を服用する時間を気にかけることはなくなり、もう二度と長い列に並んで医者に診てもらうために順番を待つ必要がなくなり、もう二度と何を食べてはいけないなどと心配しなくなり、もう二度と・・・・・・、これはみな師父の慈悲で、私たちにこんなすばらしい功法を教えていただいたことに感謝します!

 以前の講義ではいつも自分の方式をもって学生に要求してきましたが、確かに生徒たちはみな勉強に励み、秩序を守っていましたが、しかしいつも私と距離を保っていました;今では私はいつもの教師の威厳を収め、「真、善、忍」を基準として自分を要求するようになり、法理を適度に講義に溶け込ませました、今では校舎の中を歩くといつも学生諸君に挨拶されるようになりました。こんなにすばらしい体験は自分が身を持って触れてから初めて実感することができるのです。

 陳先生:以前の私はいつも冗談ばかりの若い男性教師でしたが、私のいるところには必ず笑い声が漂っていました。私はずる賢くて、いつも他人を笑いの種にしていました。たしかに大変な結果が生じるほどのことではありませんでしたが、しかし長年にわたってどれほど口による業をつくり、徳を失ったことでしょう。運動が好きなため、長距離走、バスケットボールの練習などが私の余暇の健康のための楽しみとして、幼稚にも大量の激しい運動によって健康な体が作れると考えていました。自分も常に運動能力はすごいと自慢していましたたが、しかしここ数年に軽い病気が絶えなかったのです。平均すると毎年一、二月には必ず風をひくようになりました。これまでのいろいろな運動が累積して、傷害が私の体を侵食しはじめ、私の正常な生活に影響し始めたのです。私はいつも黒板の前で講義をしてから10分も経たないうちに腰が痛くなり始め、いすに座って授業するしかありませんでした。肩の傷、および背中の傷などのため、私は板書のときにいつも大変でした。いつも天気が変わり始める前になると、体の一部の関節はまるで天気予報でも知っているようにうずき始めるのです。西洋の医療および漢方などといろいろ試してみましたが、金をたくさん使い込んだにもかかわらず、何の効果もありませんでした。そのときの私にとって「人生は白黒でできている」ようでした。唯一私を慰めてくれるのは絵を描くときでした。絵を描くときに、私の心はいささか落ち着くようになり、人生の損得なども絵筆を持つときにだけ麻痺されて忘れるとこができたのです。しかし私は時々生命に対してたくさんの疑問を感じ、私はなんのためにこの世界に来たのか? 毎日多忙に追われ、いったい何のためにやっているのか? 私が持っているものは本当に自分が本当にほしいものであるのか? これらについて、わたしは始終その答えを探し出すことができませんでした。ただ日々が過ぎていくのを実感しながら、ただ暫時的で表面的な快楽のために努力していました。

 法を学んでから、私の疑問はすべて『転法輪』の中から探し出せました。やっと生命の意味は「返本帰真」にあると悟ったのです。そして「失わなければ得られず、得るには失わなければならない」の理を知るようになり、世間社会のすべてに対していかにして放下すべきなのかも分かるようになりました。焦燥の個性もだんだん「緩、慢、圓」のようになり始めたのです。昔は矛盾が生じると必ず他人のせいにし、学校から指示されたたくさんの余計な仕事についても心の中で罵りながらやっていました。講義のときには、いつも腕白な学生を持って、鶏を絞め殺してサルを脅かすような授業をしていました。法理を知るようになってから、私は内に向かって探すようになり、もう他人を責めたりしなくなったのです。クラスの学生に対しても忍耐を持って対応し、彼らの良いところを見るようになったのです。私の体に関しては、修煉を通してたくさん改善されて、昔の運動による傷害はみな消えうせて、私はだんだん「病気なくして一身軽い」を体感できるようになりました。

 郭先生:初めて『法輪功』を知るようになったのは学校でした。『法輪功』を修煉する同僚たちはみな職場で一生懸命に従事し、職務以外のときには他人と輪を持ってなし、そして他人を助けることを喜んでいました。そのため私は『法輪功』に対して好感を持ちました。多くの同僚の身には長年の病気がありましたが、煉功してからみな改善されました。当時舎妹さんの身体の状況があまり良くなくて、家にはまだ幼い子供がいて、彼女に適した、子供の看護もできるような運動を探すのはいささか困難だと感じ、心の中で、この功法を彼女に推薦しましょう。家の中できるし、それに特別なスペースも必要としないから、と思っていました。

 それで同僚たちと功法を学ぶようになりました。私は女性病を患って一年以上も漢方による治療を受けましたが、根治することはできませんでした。まさか舎妹さんに紹介する前に、まず自分から先に受益したのです。昔から私を困らせてきた病気なども、これで全部消えてなくなりました。最初に驚いて自分に、こんなことあるわけないのに、と思いつつ、それから同僚に『転法輪』の本を読むように推薦されて、初めてこのような変化を理解するようになったのです。

 それに私にもっとも大きい影響を与えたのは真理的な面でした、人に対して、事、物に対する見方もずいぶん変わって、視野がより広くなったのです。私はより冷静で理性的になったのです。外界の影響を受けることなく、これこそ私の追い求めていた心境です。本来50歳を過ぎたらこのようになれればと考えていましたが、今になって私は手に入れました。私はこの恵まれた幸運をとても大事にしています。と同時にみなさんとその喜びを分かち合うことを望んでいます。

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 私たちは海峡の対岸にある次世代のことを心配しています。台湾では、私たちは校舎の中で自由に法輪大法を修煉することができます。しかし中国大陸の修煉者たちは仕事を失ったばかりではなく、時には退学を強いられ、のけ者にされ、ひいては逮捕されるような命に関わる危険も生じています。しかし一般の百姓たちは、ただ真相を知ることができないだけでなく、学校の中では法輪大法を汚すような教育を強制的に受けねばなりません。

 中国大陸は常に改革解放政策を推進してきました。そして常に国際社会に中国の未来はいかにすばらしいものかを表示しています。しかしもし「真、善、忍」ですら禁止され、弾圧されるようでは、この国家の次世代および未来にはなんの希望があるのでしょうか? ここにおいて、心よりみなさんのこの問題についての重視を呼びかけます。みなさんの適時における支援の手がこの不合理な恐怖な迫害が早く終わらせるよう力を合わせましょう。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/17/74798.html