失業の妨害から抜け出す
【明慧ネット2004年5月10日】当地には長期間にわたって「病業」に苦しまれている年配の同修と、長期にわたって仕事が見つからない若い弟子が数人います。私の体験から言うと、年配の同修の「病業」と若い弟子の「仕事が見つからない」というこの二つのケースには似たようなところがあると思います。根本的に言えば、旧勢力と黒い手によって、われわれが隙に乗じられた結果だと思います。私自身がかつて求職難を経験したことがあるので、ここで私個人の体験を話してみたいと思います。
2年ほど前、私は時間に対する執着と修練においての過激な行動により、個人修練と正法修練の関係を正しく位置付けることができませんでした。仕事のときも法を証明することばかり考え、仕事をしたくないという考えが出てきました。この考えが立ち上がってまもなく私はとてもいい仕事を失ってしまいました。当時の私は仕事を失ったことで苦しんだのではなく、逆に、やっとこれですべての精力を正法に注ぎ込むことができると喜んでいました。それからの2年間、私は真面目に仕事を探すことなど考えもせず、あるいは専門的分野の訓練をすることなどは考えもしませんでした。それは自分がまともな仕事を探せなくても、アルバイトでもやれば何とか食べていけるだろうと思っていたからでした。しかし正法は自分が想像したように早くは終わりませんでした。もしこれ以上仕事を探さなければ生活ができなくなるという切羽詰った状況になって初めて焦り、仕事を探し始めました。しかし郵送した履歴書は海に石を投げたようで、アルバイトの仕事さえ探すことができませんでした。
その上、焦れば焦るほど中国国内の親類からの圧力、周りの環境などといった色々な困難が立ちはだかりました。このような苦難に直面して、私は大量に大法の本を読み、自分自身にもどこが間違ったのかと何度も問いかけてみました。師父は、大法弟子は福があるとおっしゃいました。私たちが「三つのこと」をちゃんとやれば、師父はきっとわれわれ弟子たちに一番良い段取りをしてくださると私は思いました。私自身は自分を精進する弟子だと思っていました。法を学ぶ、煉功、発正念、真相を伝える、などといったことを努めてやっているし、それらが私の生活の全てになっています。したがって私はこのような苦難に瀕するはずがない、なのになぜアルバイトの仕事さえ探せないのかと困惑ました。
その後、あまりにも納得できないときは師父に助けを求め、さらには寝る前に師父に夢でアドバイスを下さるようお願いしましたが、結局朝方まで寝てしまい、何の夢も見ませんでした。それからというもののプレッシャーはますます大きくなり、なんと心の中にうらみのような情緒が生じ、自分でもこのままではまずいと感じましたが、どうしてもその恨みのような情緒を抑えることができませんでした。そのとき頭の中にふと「転法輪」の中の語句が浮かんできました。「それを悟らない人は、佛を拝んでも効果がないと見て、「どうして助けてくださらないのですか?私は毎日これだけ線香を立てて拝んでいるのに」といって、佛をうらみ始めました。」私は驚きました。自分はこんなに長い間修練しているのに、苦難に瀕するとこのような不正な考えが生じ、師父を疑うなんて、本当に驚きを禁じえませんでした。
この驚きは私を恐怖に震わせました。仕方なく、その何日間は集中的に法を学ぶことにしました。するとある日突然一切の問題の根源の所在が分かったような気がしました。私は自分は精進している(よくがんばる)弟子だし、「三つのこと」も大変よくやっているんだから、常人の幸せを得るのは当たり前のことで、師父も私に一番よい段取りを用意してくださっているはずだと、ずっと思っていました。これはなんと汚くて利己的な心なんでしょう、師父と大法と取り引きをしているではありませんか。大法弟子として、大法の中の一つの粒子として、私がしたことはみな当たり前のことで、条件などつけられないもので、私自身が「真善忍」を実行しながら衆生のために志願してやったことです。しかも色々な人間の執着心によって、先史の誓約の中で承諾したことにはまだ及んでもないかもしれない。なのに私はどうして自分がやったことをもって師父と取り引きをし、常人の中で得たものの多少を持って修練の目標にすることができるのでしょうか。師父は私たちに一番良い段取りをしてくださるとおっしゃいました。それは師父の慈悲であり、常人の心では測ることもできないし、理解することもできません。私は弟子として、「煉功する心はあっても功を得る心はもたない」でなければいけないし、無条件に大法に同化し、無条件に正法弟子のやるべき「三つのこと」をやり遂げなければいけないし、慈悲な心で衆生を済度するべきです。なぜならこれらは私の使命であり、私の生命が存在する意義でもあるからです。
その日、法を学んだ後、自分自身が今までになくきれいで、純清になり、一切の不正な考えが心の中から消えました。その結果、今までの苦難が潮水のように退かれていき、私はまもなくしてグラフィックデザイナーの専門職につくことができました。仕事場も私が住んでいるところの近所にあり、前の職に比べ給料は少ないものの仕事内容はとても気楽で、時間帯も大法のことをするにはぜんぜん差し支えない時間帯でした。しかも私の周りに集まっていた難関や苦難も知らないうちに解けていきました。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/10/74263.html)
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