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イ坊の大法弟子、唐修美さんは迫害で一家離散させられ、肉親を失った

 文/イ坊の大法弟子

 【明慧ネット2004年5月23日】唐修美さん(39歳女性)は、イ坊市坊子区郭家村の人で、法を得る前は気性が激しく、いつもささいなことでお姑さんや家族と喧嘩していた。時にどうすることもできないような時があり、 自分でも生きる気力を失っていた。法輪大法を学んでからは、多くのいかに生きるべきかという道理が分かり、先生の教えてくださった“真、善、忍”の基準に従って努力することで、一人の善い人となったのである。身体の疾病はいつの間にかなくなり、性格も良くなり 、優しい心で他の人に接した。隣近所の人たちは、「唐修美さんは、まったく人が変わったようだよ」と話していた。お姑さんは実の娘のように彼女に接し、家族全員が相前後して法を得、家庭は仲むつまじく、幸せで円満となった。

 1999年7月20日に、江沢民のやくざな政治集団が大法を迫害してからというもの、唐修美さん自身、自ら(編集部注:法輪大法を学んで)福を得た体験から、先生と大法は正しいということを言うため立ち上がったが、邪悪による狂気の迫害にあってしまった。

 1999年7月20日、溝西鎮政府の宋長春は一群の悪人を連れ、唐修美さんの家におもむき、家族全員に大法と大法の先生を中傷するテレビを強制的に見せた。唐修美さんはまったく邪悪に協力せず、そのテレビを決して見ることはなかった。宋長春は、彼女を鎮政府に七日間、不法に拘禁した。

 2000年3月、唐修美さんは北京に行き、大法は正しいということを言ったことで捕まえられ、坊子区溝西鎮政府で不法に約二ヵ月間、拘禁された。

 2000年、夫とお姑さんは北京へ陳情に行ったが、溝西鎮政府は唐修美さんのおじさんを捕まえに行き、不法に二ヶ月間拘禁した。この間、おじさんの王意新さんは、死にそうになるほど邪悪に苦しめられたのである。邪悪は責任を負うことを恐れて、おじさんを家に返したが、間もなくおじさんはこの世を去った。おじさんが亡くなられた七日目のこと、邪悪な者どもは依然として、彼らを見逃すことはなかった。再び唐修美さんと夫を、坊子洗脳クラスに連行したのである。唐修美さんと夫の二人は、洗脳クラスの三日目に脱出したものの、やむなく路頭に迷うこととなった。

 2001年、唐修美さんは同修の家に行ったが、同修の息子に告発され、車留鎮派出所に不法に逮捕・拘禁された。手錠をはめられたものの、その晩、一つの手錠が開いたため、手錠をつけたまま派出所から逃げることができた。

 2001年、一回目に一群の悪人らが壁を乗り越え、家まで逮捕しにきた時は、悪人どもの思いどおりにはならなかった。二回目には、坊子公安局が何台かのパトカーで家に逮捕しにやってきたが、幸いにも同修が早めに教えてくれたことで、悪人はまたもや思いどおりにはなかなかった。

 2004 年4月24日夜、唐修美さんはイ坊で再びイ坊国安のスパイにあい、不法に誘拐され、現在、イ坊市坊子区の留置場に不法に拘禁されている、拘禁されてからというもの、彼女は苦しめられ、全身からはすでに異臭を放つようになっていた。現在、自宅には70歳近くの孤独にうちひしがれているお姑さんと16歳の子供だけが残されているのだが、さらにお年寄りと子供で約3,300?4,000平方メートルの土地を耕さなければならないのである。夫が迫害され死に至り、唯一の息子は放浪し、家に帰れずじまいであり、嫁は(不法に)刑務所に監禁されている……お姑さんは自分の家族が被った迫害を思い出し、心重たく苦痛で、思わず声をはりあげ大泣きした。お姑さんは何度か村民委員会におもむき、嫁が帰れるよう助けを求めたが、今なお相変わらず返事はない。老婦人はどうしても納得がいかなかった。自身の家族が、結局、何の法律を犯したというのか? ただ一人の善い人になったからなのか? 立ち上がってただ本当の話をしたからなのか? どうして迫害され、一家離散の憂き目にあい、家族を失うことになるのか? すべての善良な人々に呼びかける。救援の手をさしのべ、迫害された善良な人々を救い、やくざな江集団の邪悪な本質をはっきりと見分け、この迫害を制止、終結させよう!

(編集部注:イ坊は中国の地名。日本語にない字のため一部カナ表記としている)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/23/75349.html