日本明慧


正念及び善の心

 文/Carole

 【明慧ネット2004年5月22日】先日、他の学習者と交流を行った際、極めて重要なことに気づきました。一つは正念を発する時のこと、もう一つは善の心を以って衆生を済度すること。

 正念を発することに関して

 天目が開いた学習者には、旧勢力支配下の黒い手、悪人及び邪悪生命がそれぞれの学習者の周りをうろついているのが見えると言いました。私は個人的にこのことについて、このように理解しています———大法学習者が行っていることは宇宙の中で最も正しいことです。これら邪悪生命及び旧勢力があらゆる方法を使い大法学習者達の正念と正しい歩みを破壊しようと企んでいます;私達が何かに執着心を持ったり、或いは正念に緩みがあったり、常人の心が一旦表れるとすぐさま邪悪に乗ぜられてしまいます。或る学習者が、正念を発する前の5分間で行う自分の考えを浄化し、自分の周りの空間及び対応する空間場にある邪悪、旧勢力を根絶することが非常に大切であると話しました。

 又、私自身も他の学習者にも度々出る状態があります。私達が正念を発している時に主意識は非常に集中していてはっきりとしています。しかし、立てている片手や蓮華手印で開いた両手が知らず知らずのうちに閉じてしまうことがあります。時には引っ張られるような感じがして、立てている片手も真っ直ぐに出来ず、大蓮華手印の掌も閉じてしまいます。私はきっと自分自身の集中力が足りないか、又は他に原因があると思っていました。後に、他の学習者との交流で、これは旧勢力が邪魔している可能性が極めて高いことが判りました。私達が片手を立掌している時、又は大蓮華手印を作った時に巨大なエネルギーが私達の掌から放出されていきます。三界にいる邪悪生命及び旧勢力がどれだけ瞬時に消滅されてしまうのでしょうか!私個人では、正念を発する際に意念の集中は非常に重要であり、手の姿勢も注意すべきであると思いました。正念を発する際、大法学習者の「正信、正念、正行」を邪魔する他の空間にいる邪悪生命を根絶することも極めて大切です。李先生が、正念が強くない場合、旧勢力は自分の執着のすきに乗じ、必要以上に難を増大してしまうと言っておられました。

 善の心を以って衆生を済度する

 交流の中で、二人の西洋人学習者が今まで洪法に参加しなかった学習者や真相伝えをしない学習者にどう対応すれば良いのかについて話し合いました。正法時期の大法学習者が背負っている責務とは真相を伝え、衆生を済度することです;大法を実証する活動に参加したくない学習者はきっとそれなりの原因、理由、もしくは恐れる心があるからです。私達は同じ学習者として善の心と慈悲を以って彼らを助けるべきです。私達大法学習者は全員が一つです。機会を逃がしては再びの機会はありません。正法時期の大法学習者は二度と現れません。私達は自分の私心のため、或いは善の心を尽くせずに、他の学習者に影響し、他の学習者が最善の行いを遂行できなかったことがあるとすれば、私達は責任を逃れることはできません。何故今回は自分がこの状況に置かれているのですか?何故自分の知っている学習者の身にこの事が起きたのですか?これは正に自分が自分自身の内に向かって原因を探すべきで、又は自分がこのことを正しく処理していなかったことの反映ではありませんか?私達が衆生を済度する過程において、決して縁のある者や済度できる者を誰一人も放っておきたくはありません。ましてや同じ法門の学習者であれば尚更です。私は李先生の《洪吟》の中で「全ての事に於いて執着がなければ、事を運ぶ道は自然と開かれて行きます」を堅信しています。衆生を済度する過程に於いて、自我が一つもなければ、“慈悲は天地に溶け合い、全てに生気を与え繁栄させます”( 《洪吟(二)》——法正乾坤)。

 個人の体得ですので、認識不足のところがあれば、是非ご指摘ください。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/22/75193.html