日本明慧


江沢民訴訟に参与する過程での法を正す時期の修煉体験

 【明慧ネット2004年4月13日】尊師今日は! 皆さん今日は!

 以下は私の個人的体験と認識である。

 法を正す時期の江沢民訴訟準備における修煉過程: 師父への堅信と大法への堅信

 江沢民訴訟は2002年10月にシカゴにて提出された。そのシカゴでの訴訟が中国人社会において法を正す為の重大な役割を持ち、条件が許す限り同様の訴訟を世界各地で起こすべきであるという、法理上の認識を持つようになったのは、去年の7月のワシントンDCにおける法会期間中であった。それまでは弁護士である大法弟子として私は、十年以上の法律教育と法律の仕事の経験だけに制限されていた。台湾で江に対して訴訟を起こすことを可能にする為の、法律を見つけることが出来なかった。台湾の大法弟子が中国訪問中に迫害に遭った話は聞いたことがあったが、系統的に材料を整理したことがなかった。台湾弟子が体験した迫害を台湾社会で暴露しようとした時は、私は主に香港やアイスランドへの入国拒否に会い、台湾へ強制送還されたことに焦点を当てた。去年の7月漸くこれに関する法理をはっきりと認識した時、私は台湾において江に対する訴訟を起こす決心をし、すぐさま他の空間からの重い圧力を感じた。人間の空間に現れた圧力は、適当な原告と法律を見つけることに感じたものであった。北米の二人の同修は私が感じた圧力を見てとり、各々私に言った、それは私の史前の誓であるかもしれないと、そして私の前方にはきっと光り輝く道があると。彼らは私に調査を開始するよう励ました。私は、平静を保ち、心を正しくもち、大法と師父が私に与えた智慧を堅く信じる必要があると、自分に言い聞かせた。しかし始めはそれが非常に困難な仕事であると感じた。法会終了後台湾への機上で、私は自分が感じた複雑な感情を表現する次のような詩を書いた。

 起起伏伏千層浪、波波折折朝朝苦、坐看江山情何在、揮利剣不求清静。

 放眼万水迷幾時、進退間不争千秋

 (心中の千層の波のうねり、その一層一層が更に多くの苦難を運んで来る、目前に果てしなく広がる国土を見、人の情とは何かと問い、鋭い剣を振り下ろすが、静まらない。目を開き万水を眺め、いつまで迷い続けるのかと問う、迷い続けるうちに時は過ぎて行く)

 台北の自宅に戻った後夫(彼も大法弟子で弁護士あるが)と共に江に対する訴訟についての考えを交流した。その晩私達は、シカゴの弟子達は国連の「集団虐殺罪を阻止する条約」を用いて江への訴訟を起こしたのだと気づき、思考法を開いた。台湾の司法制度はこれらの国際法を直接認めないが、台湾が国連条約に署名したかどうか調べることが出来ることを思いついた。台湾は国連条約に署名したのだが、中共が強制的に脱退させたのであることを発見した。台湾は1953年に集団虐殺罪防止と懲罰の国内法を制定した。それは国連条約とほぼ符合するものであった。その法の下に台湾において、江に対する訴訟は正当化されるのであった。一夜のうちに私達はこの法律を発見し、それは大法の為に利用されるべきものであると感じた。この法律は過去50年間台湾で用いられたことがなかった。それは一度も用いられたことがない為に、台湾の法律専門家達の99.9%は聞いたこともなかった。その為に一部の人達はその法を無効にするよう提案したことがあったが、採用されなかった。その夜この特別な法を発見し、私達は更に深く大法への堅信を固め、全ては大法に利用されるべきであると認識するに到った。師父に感謝!

 訴訟の準備と訴訟状を書く過程は厳粛な修煉過程であった。始めに私は幾人かの法律専門職をもつ大法弟子を見つけ、仕事を共同分業することにしたが、うまく行かなかった。私達四、五人は各々邪悪の干渉があった。一日一日と過ぎて行き、私はこれ以上待ったり人に頼ったりすることは出来ず、私が始めるべきであると悟った。北米の弁護士である大法弟子とその他の同修が資料を提供してくれた。更に必要な法律関係の資料を集めたり、大陸で迫害を受けた台湾弟子に話し、原告になってもらう過程は順調に行った。しかし訴訟状を書き始めた時、邪悪の干渉が大きくなった。始めの十数日間、私は訴訟状を書くのに一日半時間を取るのがやっとであった。私は動くことが出来ず、毎日四、五時間を床に伏せたまま過ごさざるを得なかった。私の肉体はひどく束縛されているように感じた。同時に私が関係していた他の大法の仕事が、緊急を要することで突然忙しくなった。法の私に対する要求が高くなったことは明白であり、その基準に達する為には更に精進しなければならなかった。大法弟子に要求される三つの事となると、更に厳粛に努力することが必要であった。これらの事を悟った後、私は次第に突破し始めた。訴訟状を書くのに一日半時間しか取れなかったのが、一時間になり、二時間又は三時間になった。申立書を書いている間に私は、訴状を書く過程も又司法界に真相を伝える過程であることを認識するに到った。人間世界において全ての法的訴訟は衝突性を持つ。しかし大法弟子の基点は異なる。その基点は善である。法律上の告訴を書いてはいるが、私の心の基点は真相を伝え衆生を救うことにあるべきであった。だから訴状は慈悲ある書き方にすることが出来る。それは私の弁護士としての仕事上一度も経験したことのないものであった。大法の慈悲は無限である。大法弟子によって提出された訴状は、又慈悲深く超常的であるべきだ。訴状に表現されたものは、私達の衆生を救おうとする真心であるべきだ。人権法や江の絶滅政策とその実施、原告である台湾同修の迫害について、台湾法廷がこの件について管轄を取らなければならない事、そして江が全世界において訴えられている情況等を書くにつれ、終始読む人の善意を奮い起たせるよう試みた。時々書いている途中で涙を押さえることが出来なかった。人神が共にこの訴状に名指せられた者を捌くことを希望する。

 訴状を殆んど書き終わったある朝、私は突然ひどい頭痛で目覚めた。頭が破裂しそうに感じ、呼吸が荒くなった。壁に手を当てながらしか動き回れなかった。かなりひどい邪悪の干渉に遭っていると分かっていた。正念を発しようとしても、無力に感じた。最後の力を振り絞って師父の説法を聞くと、私は新しい悟りを得た。一方、私の肉体的状況は急速に悪化した。倒れてはいけないという一念だけがあった。このような肉体的状況から私の意志がつぶれれば、訴訟は遅れる可能性がある。私は師父の写真の前に膝まづいた。体は制御出来ない程痙攣し始め、呼吸困難となった。夫は私の肩を掴んで押さえ、私の名を大声で呼び、どうしたのだと訊ねた。私は全く話せなかった。心の中で師父に言った、「何が起きようと私は動揺しません。どうなろうと最後まであなたと共に行きます」力を振り絞って私はコンピューターの前まで這って行き、訴状を書き続けた。私の意識はどんどんはっきりして行き、ゆっくりと訴状の最後を書き終えた。三日以内に私の状態は完全に回復した。師父に感謝する。この体験から私は、修煉し続けて試練に耐える間に問題をうまく扱えるかどうかは、非常に厳粛で重大なことであると理解するに到った。宇宙の衆生達は私達の正念と正行を注視している。訴状を完成させる間に、法律組が徐々に成立した。訴状は判事や弁護士の同修達と検察官の友人達との協力で仕上げた。

 訴訟準備中、両岸の関係の敏感さの為に、訴訟提出が終わるまで私達は邪悪の干渉を避けるよう努めた。だから訴訟準備中は低調を保った。去年の10月末訴状を仕上げた後、私達は次の段階に入った。それは台湾社会においてより広く公表する必要があり、そうすることで邪悪は侵入出来ず、より多くの人が真相を知ることが出来る。台湾政府が如何に大法を支持しているかと、邪悪の首魁が如何に中共政権を利用して大法を迫害したかは、最良の対比であった。1999年4月25日中南海に一万人以上の学習者が集まり、合法の請願をしたことは邪悪の首魁が後で大法を迫害する口実の一つとなった。台湾でその出来事に対比させることに思い到った。2003年11月15日一万人程の台湾学習者が、台湾総統府前に集まり世界的な江に対する訴訟と台湾での訴訟に対し、支持を仰ぐことに決めた。中共政権の独裁と、何百万もの中国学習者の生命、身体、財産、信仰の自由と権利の不法迫害と対称的に、台湾政府は法輪功学習者の信仰と集会の自由をオープンに公正に保護した。台湾の全党派が学習者の求める人権を支持した。これは最良の対比であった。その日は七千人近くの法輪功学習者が総統府の前に集まって、平静に煉功し正念を発し、江に対する世界的訴訟と、台湾における訴訟への支持を仰いだ。それは台湾における学習者のこれまでの野外集会活動中最大規模のものであった。2日後の11月17日、私達は正式に訴訟を高等裁判所に提出した。それは台湾人が前中国国家主席に対して起こした最初の刑事訴訟であり、又台湾の「集団虐殺罪条例」制定以来訴訟を受け入れた最初であった。中国と台湾は分治制を取っており、台湾の法廷は自分の法に基づく裁定をするべきである。法律界の大多数は、台湾法廷がこの件で管轄権を有するという見解である。今年の一月に、台湾の高等裁判所は「管轄まちがい」という判決を下した。この判決理由は弱いというのが、台湾の法律界一般の一致した見方である。私達は2004年2月に最高裁判所に上訴した。そうすれば最高裁の法官達が訴状や証拠物件を通じて、迫害の真相を知る機会を持つだろうから。台湾最高裁は現在この件を審理中である。私達は江の訴訟の成立や受理は第二の事であると分かっている。最も重要なことは、その過程でこの訴訟に関係するあらゆる人々に真相を伝えることである。

 法律界に真相を伝え、純粋な意図で衆生を救う

 去年の7月のワシントンDCでの法会の前、台湾学習者達がシカゴの訴訟についての理解を交流した時、台湾中の学習者達が自分達はこの方面で十分行っていなかったと感じた。去年7月に台湾で江に対する訴訟を起こすことに決めた後、法律界へ真相を伝える努力を始めた。当時私達は「司法組」チームを作り、訴訟を起こす前に法律界へ真相を伝える準備をした。交流している間に私達は、訴訟の話をするだけの為に法律界の人に接近するべきではないと理解するようになった。法律の事となると、専門的知識のない同修は自然に知識不足から障碍を感じる。しかしそれを法の基点から見ると、弁護士や法官達も又大法の為に来たのであり、真相を聞いて救われるべき人達であった。それは真相を伝えることなので、全ての学習者は行う能力がある。だから「司法組」が真相を伝える為に弁護士や法官と会う時、訴訟に関しては簡単に話すだけにする。彼らは大法の偉大さと迫害の真相の話に力を入れる。もしも訴訟の法的部分に興味を持つ弁護士が居れば、弁護士である学習者に後で連絡するよう頼む。この様にすると、訴訟の法的部分についての心配は必要なく、法律界の人に接近する時の心理的障碍がなくなる。彼らは真相を伝えることに努力を集中する。

 「司法組」のメンバーは若い学生から60代、70代の学習者までいる。責任者がボランティアの名を集め終えると、二、三人が一緒になって弁護士に電話し、会見を申し入れた。そうすれば弁護士に真相を伝えることが出来るからであった。これまでに数百人の弁護士に会見した。一人として学習者に料金を請求した弁護士は居なかった。多くの感動的な話がある。ある有名な弁護士は特別に忙しかった。年寄りの学習者が二人彼を訪問した。彼らが客として来たのではないことに気づくと、始め彼は会おうとしなかった。学習者達は本当に彼に真相を伝え、救ってあげたかった。それで彼らは法輪功の動作を弁護士の面前でやって見せた。弁護士はその動作の美しさに感じ入り、学習者達に10分を与えた。学習者達はその短い時間内に彼に真相を理解させることが出来た。

 家庭の主婦である学習者が一人の弁護士を訪問した。始め彼女は恐れていた。ドアのベルを押しながら彼女は密かに、弁護士が出て来ない事を望んだ。しかし弁護士は実に出て来て、彼女が真相を伝えようとするのを聞いた。一部の学習者達はあまりの緊張に顔が赤くなったが、弁護士達は彼らの顔色の良さを誉め、それは法輪功のおかげだと思った。ある学習者はあまりの緊張に震えを止めることが出来なかったが、弁護士は彼らが功を放出しているのだと思った。ある弁護士は学習者達に元々一時間だけを与えたが、結局は六時間も話を聞き、昼食まで御馳走してくれた。

 訴訟を支持してくれる弁護士には、あらかじめ用意した、江に対する世界的訴訟と私達の国際刑事法廷における訴訟を支持する、という声明書にサインしてくれるよう頼んだ。会見した法律界の人々の殆んどが、私達の人権を求める訴訟に理解を示し、支持してくれた。台湾の300人以上の弁護士が声明書にサインした。多くの弁護士は真相を聞いた後すぐにサインした。各々のグループの二、三人の学習者達は役割を分担した。一人が主に話手となり、他は静かに坐って正念を発した。彼らは概して、お互いの協調をうまくやれば真相を伝える効果はとても良いと感じている。私達の体験を他地区の学習者達と交流すると、韓国の学習者達120人がさっそく実行した。彼らは五日かけて韓国において弁護士やその秘書、非政府組織に働きかけ、声明書に一千のサインを得た。

 台湾の最高行政官—司法院院長と副院長に真相を伝えた時、もう一つ驚くべき経験をした。ある日同修と私が司法官に真相を伝えた後同修が、同じ建物に居るのだから司法院院長と副院長にも真相を伝えようではないかと、提案した。私達は共通の理解に達した後、予約無しに行政院副院長の処へ行った。始め副院長は私達の話に関心を持たず、彼が行っている硬性気功の事だけを話したがった。彼は緩慢で角の無いものに興味がなかった。私達は話しながら正念を送り、後で彼は興奮して私達をテストしたがった。彼は同修と力比べをしたいと言った。同修は、やるべきだろうかと、そっと私に聞いた。私は彼を救う為なのだからやりましょうと賛成した。それで副院長室で二人は角力を始めた。一度目は副院長は同修を動かすことが出来ず大変な驚きようで、彼が勝てなかった人はほんのわずかしかいないと言った。彼は二度三度と試したが勝てずかなり疲れたが、一方同修は疲れた様子がなかった。副院長は表情を変えて、あなた達は法輪功学習者なのですか、と訊ねた。もう一度試し、ついに四度目に同修を動かすことが出来た。その後すぐに彼はその場で私達から動作を習いたがった。私達は彼に第二功法を教え、彼は早々と良い経験をした。私達は彼に後程本を持って来ることを承諾した。後で同修はほっとして私に言った。彼は力比べする寸前に師父に、彼を救う為に勝たせて下さい、と心から助けを求めた。四度目には、彼は相手の顔を立てる為に相手に勝たせようと思った。副院長室を去ってから、私達は大部励まされて院長室へ行った。以外にも院長は話を聞いてくれた。始め彼は大変厳粛で、全ての司法官は、宗教や政治に関して立場を示してはいけないという公式の通知を受取ったと述べた。私達は、真相を伝えに来たのだということが心中分かっていたので、動揺しなかった。真相を伝えながら正念を送り続けると、院長の表情が和らぎ喜んでいる様子さえ示した。最後に彼は、江に対する世界的な訴訟のことを伝えてくれて有難うと言い、丁寧に暖かく私達をドアまで送ってくれた。

 法律界の人々の義務は、人権を保護することで、正義の味方をするべきである。しかしながら、国際社会で迫害を止めようと進み出た弁護士団体は無い。それは私達が法律界に十分真相を伝えていない証拠である。台湾の最大の法律団体が9月の弁護士の日に会員の集会を開くと聞き、数人の同修と私は理事長に真相を伝えに行き、江に対する訴訟を支持する決議を可決するよう要求した。真相を伝えた後、理事長はすぐに支持を表示し、弁護士で人権を支持しなかったり人権を重要視しないことがあり得ようか、あなた方の要求が拒絶されることは不可能である、と言った。彼は弁護士代表会員名簿をその場でくれた。私達はこれを始めたのが会議の一週間前で遅かったので、決議書の原稿と真相を伝える資料を百名程の会員に送り、出来る限りの電話をすることしか出来なかった。会議の日、彼らは監事会で更に再議すると決定しただけであった。私達は十分に真相を伝えることをしなかったと感じ、同修達と交流後、直接会って真相を伝えるべきであると結論した。それが最も効果的である。それで私達はこれらの弁護士に真相を伝える努力を始めた。

 台湾総統府人権部の職員と、弁護士団体の人権委員会委員長に真相を伝えた経験から、徹底的に真相を伝えることが重要であると私は理解するに到った。人権弁護士先導者に会いに行った時私は、重要な事は真相を伝えることであり、彼が支持するか否かは第二のことであると、心中に留めた。私の話を聞き終えて、彼は直ちに次回の会議にてこの件を話し、決議を支持すると同意した。彼の決定に私は嬉しく思い、喜びを感じながら去った。ドアを通り抜けてすぐ私は、何処へ行こうと大法を与えることを忘れてはいけない、と言う声を聞き、自分の行ったことが十分でなかったことに気づき、急いで戻って本とビデオテープを彼にあげた。その弁護士は私の善意の表現に感動して言った、決議を可決するだけでは十分ではない、台湾は国際刑事法廷に加入し、法輪功の訴訟案を支持するべきだと。しかしながら、真相を本当に知った者となると、未来の為に自分を正しく位置付ける過程で、彼は自然に自分の能力を発揮し、より良く大法を支持する方法を考える。カギとなるのは、私達が人々に真相を伝えて理解させる為に、やるべきことをやったかどうかである。後程この弁護士は自分から進んで、私達の世界的訴訟を支持する記事を台湾の新聞に書いた。彼が国際人権会議に参加した時、法輪功学習者の江に対する訴訟について皆に知らせる為に発言した。学習者達が心から真相を伝えたことにより、去年10月25日台湾の最大の弁護士団体が、江沢民に対する訴訟の支持を声明する最初の決議をした。

 江を国際法廷に送る: 更に大きな規模で真相を伝える

 国際刑事法廷規約の最初の条項が、江が犯した集団絶滅罪である。江に対する訴訟を扱っている弁護士の同修達は、国際刑事法廷の歴史的重要性と、それが邪悪の首魁を国際社会で裁くことにもたらす作用に気づいた。中国と米国は調印国ではないので、国際刑事法廷がその機能を働かせる為の管轄権において、法律上の障碍があるが、これらは克服出来ない障碍ではない。法を正す基点からみて、私達は断然これを国際法関係者に真相を伝える為に利用することが出来る。今年1月、スーェーデンで開かれた集団絶滅国際会議に参加した後、弁護士である同修数人が国際刑事法廷の存在するハーグへ真相を伝えに行った。四人の弁護士とその他三人を含む七人は、江の訴訟を支持し、国際刑事法廷にその訴訟を受理するよう声明する一千以上の書類を、世界中の弁護士や、検察官、法律系教授から持って来た。

 国際刑事法廷を訪問する日、邪悪の干渉が続いて起きた。朝、裁判所へ行くはずが、間違った処へ連れて行かれた。裁判所の前では、雹も降る大嵐に遭った。前日とった検察官長との会見予約は消えてしまった。待つ間私達は皆正念を発し、根気よく真相を伝えた。この巨大な建物を見つめて、私は自分の体が比較にならない程大きく感じた。師父の不断の加持に涙を押さえることが出来なかった。後になって裁判所の職員が、英国が非常に緊急な用件を持ち込み、全ての検察官やその助手達はその件に取られてしまった、と言った。会見予約を取れるかどうかは10時にならないと分からない、と言った。私達は正念を送り続け、ついに検察官長の助手に午後5時に会うことが出来ると言われた。それで私達は間の時間を利用して、アムステルダムに行って人権専門弁護士に真相を伝えることに決めた。午後、ハーグに戻る為に電車に乗った。出発後まもなく電車は機械の故障で動かなくなり、何時修理出来るかは分からなかった。干渉は一切承認出来なかった。私達はタクシーに乗り換え、静かに正念を送り続けた。ハーグまでの道では時々陽が照り、時には嵐になった。裁判所に着き案内所へ行くと、4時半に閉ったと言われ、私達の予約は5時であった。私達は動じず、続けて正念を送った。5時になると、助手が会いに出て来、私達はこの容易ではない機会を利用して、二人の助手に検察官長の為に真相を伝えた。彼らは、よく理解出来たと言い、この件を彼らに話してくれて有難うと言った。彼らは又私達が克服するべき法的問題について語り、検察官長との会見を取り計らってくれることを約束した。私達はまだ良く行い続けなければならない。
人間世界の大審判は各国で展開中であるが、目下江に対する訴訟は6件あり、更に4件が提出されようとしている。その過程で私達は自分達を正し続け、大法と同化し、一体として協調し、自分の不足を見い出すべきである。そうすれば私達はより良く行うことが出来る。邪悪がもたらす損失を最小限に押さえ、純心をもって世界の人々と法律界の人々に徹底的に真相を伝えなければならない。

 師父が言った、「人間の心が正されれば、法廷は正義の側に付くでしょう(非公式訳)」。(2003年米国中部法会にて) 邪悪の首魁が完全な壊滅に向かうことは必然である。法律の過程を利用して邪悪の首魁を裁くことは、邪悪を暴き、衝撃を与え、除去し、世の人々を救う一つの方法である。同時に正しい精神と路を未来と未来の衆生の為に残す。私達は人間世界にて師父と法を正すことと共にある時間を大切にし、より良く行うに違いない。邪悪の首魁とその手先が自分が犯した罪の為に報復を受けるのを人々が見るよう助けるのは、全ての衆生にとって慈悲である。それは又法が人間世界を正す記録の神聖な、慈悲ある偉大な頁であると、私達は堅く信じる。師父は2003年アトランタ法会にて言った、「大法弟子が今日行ったことの全て、社会の中で接触した全ては、皆さんに教えますが、他でもなく皆さんが衆生を救い済度しているのです。どのような人に会っても、どの階層やどの職位の人であっても、ただ単に邪悪が大法弟子を迫害しているから真象を伝えるのだというように思わないで下さい。皆さんに教えますが、衆生を救い済度することは第一位であり、真象を伝えることは人を救う方法です。人々に真象が分かり、今回の迫害がここまで邪悪であると知るようになったら、どのように行動すべきかはもちろん人間に分かっています。そして相手に支持を求める時、どのように行動すべきかはその人が未来を選択することになります。徳に迫害の中で騙された人に機会を与えなくて良いのでしょうか? このような人に真象を教えなければ、彼らは永遠に未来を失ってしまいます」。

 「更に偶然に出会った人、生活の中や仕事の中で出会った人に皆さんは真象を伝えなければなりません。この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、更に縁のある人を失わないでください。実は多くの大法弟子が真象を伝えるときに、「今真象を伝えに行く」と言って、まるで今は真象を伝えに行くようですが、普段は真象を伝えていないかのようです。衆生を救い済度することは皆さんの現在の生活の中の全ての出来事に含まれています。もし皆さんがみなその重要性を認識し、はっきりと認識することができれば、更に多くの衆生を救い済度することができるかもしれません。現在世の人々も徐々に目覚めつつあり、このとき真象を伝えればその作用はさらに大きくなります。邪悪にとって、それらの居場所がますます小さくなります。ですから、皆さんは必ずこの問題に対してはっきりと認識しなければなりません」。

 以上は私の個人的認識である。同修の訂正をお願いする。

 師父有難う、皆さん有難う。

 2004年5月27日

 (2004年ニューヨーク法会における台湾弟子の発言)


(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2004/4/13/72198.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/30/47558.html