日本明慧


大法を善処することは自分を善処することである

 ある大法弟子の夫は修煉していません。ある日悪い警察が彼の妻を連行するためにやってきた。警察は家財道具一式を差し押さえた後、大法書をかばんの中に入れ持ち帰ろうとしていた。その時、夫は警官のすきをねらいかばんの中から2冊の《転法輪》を取り出し布団の中へ隠し同時に煉功テープも隠した。再度警察は彼の妻を連行しようとやってきた。 彼はそれに気づき、すべての大法書籍と真相資料を他の場所に移し、運よく大法にはほとんど損傷がなかった。

 またある日、彼はオートバイで出かける途中、坂道を下ろうとした時、ちょっとした不注意で転倒してしまった。折りわるく、その日の道路は氷結していて、彼は20メートル余り滑ってしまいました。ちょうどその時、後方から1台の乗用車が彼の方めがけ走ってきてあわやぶつかりそうになった。その瞬間乗用車は急に向きを変え坂の方へと走って行き、一回目の交通事故を免れることができた。

 またある日、彼は仕事を終えオートバイに乗り家に帰る途中、1台の大きいトラックの後について走っていた。ちょうどスピードを上げた時、後から1台の大きい車が近づいてきて前のトラックと並んで走り、その隙間はほんのわずかしかなかった。走っていた彼はブレーキをかけてもすでに間に合わない状態で、すんでのところで車の後方にぶつかりそうになった。その瞬間二台の車は同時にわずかな隙間を作ってくれ、彼はその間を突き進んでいくことができた。とても危ないところだった。 その時、現場で見ていた人は皆彼はなんと運がよい人だろうと言っていた。

 このように彼は危険な目に六回もあったことがあるが、不思議と毎回危険を無事乗り越えることができた。 これもすべて彼が大法を善処して得られた福であると言えよう。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/12/74460.html#shb-05122004-3