日本明慧


深い教訓

 【明慧ネット】『主意識をはっきりすべきである』この師父が評注された文章が発表された後すぐ、明慧ネットを読んだ。当時心を静めなかったため、あまり深い印象が残らなかった。翌日、試練がやってきた。一人の同修は新唐人テレビ局が師父をインタビューしたVCDを持ってきた。当時私は非常に見たくて、動揺した口ぶりで「見てはいけないじゃない」と同修に聞いた。「『2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説』を見てはいけないです。この新唐人のインタビューは真相資料にくっつけて配った学習者がいるよ」といわれた。ちょっと違う感じをするけど、でも見たい心が強かったので、何も考えずに機械に入れて見た。見ていた途中、なんとなく気分が悪く、誤りを犯しているような気がした。映像や音声もはっきりしていなかった。慌しく一回見終わったら、もうすぐ正念を発する時間になった。テレビのスイッチを切り、正念を発した。

 普段、私の正念を発する状態は相対的によく、掌を立て、法を正す口訣を黙読すると、全身が基本的にエネルギー場にいるようになり、両手は肉掌の実感を感じ取らず、そこに大きなエネルギー場が形成されるようになる。全身がなくなり、僅かの思惟が残り、出した法輪と大法神通は宇宙にある大法を破壊するあらゆる邪悪要素を滅する。しかし、この日に掌を立てると、手や身体は完全に人身のままで、昔のエネルギー場にいる状態を全く感じ取らず、全身冷や汗をかいた。今日は大きな誤りを犯したとすぐわかった。自分は法理がはっきりわかるのに法理に背いたことをやってしまい、師父の慈悲なる済度に申し訳なく思い、心からお許し下さいと師父にお願いした。

 私はVCDを見てから同修に戻すつもりだったが、先ほどの正念を発したとき出た状態から、このVCDを直ちに処分すべきだと意識し、すぐに処分した。次の固定時間に正念を発したとき、大体以前のエネルギー場に包まれる状態に戻り、その次の正念を発したときに、もう完全にもとの状態に回復した。

 その日の夜、私は1つの夢を見た。自分の修煉道に大きな壁があり、たくさんの人が上がろうとしたが、成功する人が一人もいなかった。私は全力を尽くしてようやく上がった。このとき、目が覚めたが、頭が机の脚にぶつかった。修煉の道に、師父の要求に従わないと、大きな誤りを犯すに違いないと、そのとき私は悟った。法を正す最後まで歩んでくれば来るほど、修煉の厳粛さを感じるようになった。一歩偏ると、師父の慈悲なる済度に答えられないだけでなく、自分の世界の衆生にも申し訳ない。

 翌日に、私は楽に試練を乗り越えられた。ほかの同修は同様なミスや誤りを犯さないようにこの教訓を書き出します。不足のところがあれば、ご指摘をお願いします。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/26/75615.html