日本明慧


一九九九年四月、五月の陰謀(二)
——ある記者の独自調査から

 作者:楚天行

 【明慧ネット2004年5月16日】(続き)

 1995年5月11日の≪法輪功に関する2通の書類を印刷配布することの通達≫

 書類から分かることは、1999年4月25日から7月20日までの間、山東省は弾圧された主要な地方の一つである。1999年5月11日の「法輪功に関する2通の書類を印刷配布することの通達」とは、中国共産党山東省委員会による山東省の次のような関係者に送付された書類のことである。“各市及び地域の党委員会、各大企業の党委員会、各高等学院の党委員会の書記官、地域委員会の各部門委員会、地域官庁の各部門の党組及び党委員会、各人民団体の党委員会、地域軍区党委員会の主要幹部”など。

 この書類によると、上記の各機関団体は“三講”の教育において信仰問題の解決を要求されている。書類の内容には、「省委員によると、法輪功に関する2通の書類(1、共産党における人間の根本的な信仰の問題について 2、李洪志氏のことについて)を送付した。自らの意見を付して、全体の党員にこれを伝達し、思想の統一を図り…」などのことがある。

 1999年、山東省の省委員書記官である呉官正氏は、江沢民の腹心となった。1999年7月20以来、呉官正氏の指揮の下、山東省の法輪功学習者が修煉を放棄しないために、迫害を加え死亡させた人が104人を超えた。迫害の死亡者数を統計すると、全国では第三位になった。呉官正氏は弾圧の行使に非常に力を入れており、江沢民の意向に添ったことに尽力していたため、政治の世界に入り、中央紀律検査委員会の書記官へと昇進した。  

 99年6月に≪社会安定を維持することの知らせについて≫とする書類をもらった(使用後廃棄)

 二つ目の書類のタイトルは“社会安定を維持することの知らせについて”であり、1999年6月18日、中国政府がファックスで送信してきたという。書類の内容には、「4月25日、一部の法輪功学習者が中南海の周囲に集会するという事件が発生した後、江沢民主席の重要な指示と中央テレビ局の報道の信念に従って、各級党委員会、政府機関が大量工作を徹底的に貫き行動に移した」という。

 4月25日当時法輪功学習者は中南海への緊急陳情をする中、国務院総理と国務院陳情事務局長の許可により、スムーズに平和的な解決を遂げた。しかし、“425”の当日、問題に対し何らまともな対処をとらず、ずっと防弾車にこもった江沢民氏へ、“重要指示”と“大量工作”という罠に仕掛ける口実となってしまった。 

 今度その自説を説いた書類の主旨とは、当時10ヶ所あまりの地方の法輪功学習者の“5月22日李洪志先生の誕生日祝賀と法輪功創立7周年記念日の大型祝典活動を準備中”ということに対し、法輪功の構成員が“意図的に政治的影響を拡大し、社会安定に支障をきたす”といった事件を起こそうとしていることに該当するとした。また「現状において各階級の党政府責任者間に展開している“三講”教育の機能を直結させ、政治の気鋭性と政治鑑別力を高めること」とした。

 この数年間に大陸同胞の間にある世論が言い伝えられており、この世論によって法輪功は“政治を営む”と言う理由で取り締まられるようになった。これに対し、私は納得できず、監禁されたために自ら全力を尽くして説明し、関係機関に対しても法律に従う行動を取るように要求したが、それでも“政治を営む”と言えるのだろうか?

 私は明日も心身共に健康を目指すため法輪功を続けたいし、今日も相変わらず法輪功をやっていく所存である。それゆえ自分自身と法輪功のために公正なる理解を得てもらいたいのであるが、それは“政治を営む”ということと、どういう関わりあいを持っているのであろうか。それでも“×教”と見なし、精神病と罵られなければならないのであろうか。 

 99年4.25に遡って、万人の法輪功学習者の国家憲法と法律に従った国務院陳情所への陳情が“政治を営む”と見なすならば、国務院陳情所を府右街にある国務院の近くに設置した人が、最大の政治犯となるのではなかろうか。

 政治危惧

 これらの書類を繰り返して見ると“三講”を強調するなかに“政治を講ずる”、“政治”、“政治”、“政治”をめぐって突然自分の考えを呼び起こした。江沢民の“三講”では、なぜ第一条に政治を講ずるのか、つまりあらゆる物事を全て彼の政治または、権力で解釈しなければならないし、人々に“政治”といわれるものに対し、常に危惧を持たせながらも、政治への危惧を認めさせるのである。

 子供の時、「猿の道化師」という物語を読んだことがある。道化師は棒を真赤に焼いてから、一匹の猿に棒を持たせる。その光景をそばに見ている他の猿がいる。棒に手にした猿はあまりにも熱いので、泣き叫ぶ。こうして同じような事を繰り返すと、全ての猿が棒を見ると恐れるようになった。さらに子供が手に握っている棒を見ても、敵意と防御の姿勢を構えるようになった。つまり棒と懲罰とは分割のできない概念となってしまったのである。あらゆる棒は、自分自身に災禍をもたらす恐れがあると猿は思っている。

 古人の諺で“一日己の師になり、終身において親に如き”という言葉がある。その意味とは、師と弟子の関係が恒久あるいは大切なものであるというものである。特に修業の世界では、師と弟子の関係は、最も慎むべき貴重なものである。だからこそ、法輪功学習者は師の誕生日を祝うことが、天理においても人道においても筋が通っており、最も自然の理に叶っている。しかし、江沢民が感情の趣くまま自分の都合で、法輪功を消滅すると宣言したために、法輪功学習者らは師の誕生日を祝賀するということだけでも、結局“政治”という言葉へと紛れ、専制手段の下で迫害を加える言い掛かりの材料となった。

 法輪功は“政治を参与しないこと”を表明していることを取り上げず、世の中には、金銭と権力に関心のない人がいるということも取り上げず、権力と地位を固執する江沢民自身のことを持ち出し、法輪功に干渉するため毎年定期的に“政治活動”や“政治影響拡大”などの政策に、多額な資金を注ぎ込んでやっと任務を全うする様な状況で、“泰城”を10回歩き回ることにでも用いられるのではなかろうか。

 海外の法輪功学習者は、海外という環境に恵まれ、法輪功の創始者である師の誕生日祝賀や“世界法輪大法日”などの活動を行うことができるようになった。しかし、まだ無実の多くの人が牢獄と酷刑の受難を受けている。

 6月に届いたある書類には、文末のところにやや大きめに“使用後廃棄”と記されている。多くの法輪功学習者に及んでいる国家の政策に関わる書類だとすれば、なぜ正式なファイルとして保存していられないのであろうか?もしそうでなければ、政府の関係機関を通して、このような内容を周知させるということは、事件の端緒を開き、社会の安定に害を与えることと同じではなかろうか。

 明慧ネット2000年10月に掲載された文章によると、江氏によって煽動された“政治を営むという体系”の中で、多くの“でっち上げ”がある。その中で最も常用されるのは“反政府”と“反華勢力”という二つである。“反政府”という罪名を加えると、都合のよいままに打ちのめすようなことが出来る。しかし、一群の民衆が皆で一緒に体を鍛えることだけで“反政府”ということに該当するならば、このような政府はあまりにも弱体である。 

 また“反華勢力”については、かつてヒトラーがドイツ民族主義の感情を巧みに利用して、ユダヤ人を迫害していたことと区別がつかない。ヒトラーと江氏を比べたならば、江氏の迫害は、なおその上に甚だしいといえる。なぜかと言えば、この迫害の対象は本民族において最も善良なる人々であるからである。

 中国人は多くの政治運動を経験してきた。その度に、一部の人々は“意気揚々”と装い、政府と人民の名義を掲げ、無実の人々に迫害を加えていた。このような政治運動としての悲劇が、今日の中国でまた再演されている。中国人の悲哀と言わなくてはならない。政治迫害を起こした人は、本当の“反政府”と“反華勢力”に違いなかろう。正に中国の諺で言うところの“慶父死なねば、魯難は留まらぬ”である。

 社会安定

 太陽が傾き、陽が一段と弱まってきた。寒気が網戸を通り抜けて入ってくる。億万中国人の生活を撹乱した、人に知られぬ秘密文書が目の前にある。静寂なる夜空を眺めていると、ふと海外の法輪功学習者らのことが思い浮かぶ。

 99年のことを思い出した。当時大陸の多くの法輪功学習者が政府に対して、連行や殴打を恐れずに各階級の陳情所へ行って、事実を説明することが後を絶たなかった。あるお年寄りが、公正な道理を告げるために、北京に行く道程で、九足もの靴を履きつぶしたということがあった。かつて脳性麻痺患者であった法輪功学習者が陳情の際、自分の体験について次のように記した。

 「私はかつて車椅子に座り、杖をつく脳性麻痺患者である。下半身が麻痺しているため、生活はとても健康な人が想像もできない様な困難に満ちていた。年が若いとはいえ、すでに世の辛酸をなめ尽くした。ところが、1995年8月、幸運にも法輪功に出会った。まさに枯れ木に甘露を灌ぐかのように、新しく生まれ変わることが出来た。法の学習と煉功を通して、奇跡が起きた。20年もついていた杖と座っていた車椅子から離れ、自転車で煉功場に行くことが出来るようになった。生活は幸せに満ち心性も向上した。

 2000年11月、北京へと陳情しに行くと、至る所に武装の警察と私服の刑事がいて、法輪功の学習者であるならば直ちに連行されるといった状況であった。私は民衆に真実を打ち明け、マスコミに嘘偽りを着せられており、マスコミの報道を信じてはいけないと告げた。パトーカが走ってきて車から数人が飛び出してきた。私を地面へと押しつけ、車のドアにまで引きずられていった。もう一人の女性法輪功学習者も髪を掴まれて、そのままに私の身体を跨いで引きずられていった。制止を振り切ろうとしたが、かえって酷く殴りつけられた。顔はあざの色に変わって変形し、口も蹴られて脹らみ変色した。こぶしは雨垂れのように、自分の頭と身体へとそそがれた。暴力を振舞うのは殆どが、政府に雇われた地元のチンピラとヤクザであるという。私には信じられなかった…政治と極道の絡み合いである。

 こうしても、この何年間以来、未だに自分自身にかかっている人知らぬ苦難に耐えながらも、人々に対しては誠実と善意を持って、嘘偽りの宣伝に騙されないよう真相を語り続けている。間違いなく、人々は分かるときが来るであろう。世の多くの人は、かつて探し回っていた胸中にある一種の解明できない期待と願望を抱いているはずである。世の趨勢に流され嘘偽りの宣伝の影響により、良知と最も幸せになる希望にも気付かずにいる。

 中国人の良心を踏み潰してはならず、中華民族の道徳意識が下がり続けるものではなく、法輪功学習者らは、中国人の良心と支えであり、社会安定の希望であろう。今日、人の心の奥に撒いた善の種が、明日は必ず素晴らしい実りを結ぶものとなろう。白日の下に暴露されない陰謀家と迫害者も、いずれ必ず罪責を自分の身に引き受けるに違いないであろう。

 (続く)

 [1]蓁城監獄とは“重要政治犯”を監禁したり虐待したりするところである


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/13/74479.html