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被害生存者は身をもって労動教養所の中の悪夢のような経歴を訴えた(写真)

 【明慧ネット2004年5月27日】(明慧ネット記者の徐兢シカゴでの報道)こちらの目の中で涙をいっぱい含んでいるのは、強行して食を無理に入れられることに出演している法輪功学習者、王玉芝である。一人の成功した企業家だった彼女が法輪功を修煉してから大陸で意外にも3回不法に拘禁された。2001年7月に彼女は黒龍江省で法輪功の真相を伝えたとき、そして資料を印刷した時再度誘拐された。その後黒龍江省の万家労動教養所に拘禁された。この時に、苦難を受け尽くして、両眼は失明に近い状態だった。

王玉芝女史は涙を浮かべて食を無理に入れられた自らの経験を述べた

 * 一人の企業家の自らの経歴

 2004年5月24日〜26日、法輪功学習者がシカゴ市の中心で「迫害と信仰」という反酷刑展を行い、演技や迫害の実演、写真などの形式を通じて、江氏集団が法輪功学習者を迫害する残虐な体刑を再現した。

 彼女は2003年に、カナダ政府の救援の下カナダに来た王玉芝さんで、シカゴ連邦広場で、再度自分の身体で、涙を浮かべながら人々に労動教養所の中で乱暴に食物を流し込まれたあの悪夢のような経歴を訴えた。

 彼女は語った。「絶食して迫害に抗議する中で、私は労動教養所に乱暴に管で食物を流し込まれました。彼らが使った手段はきわめて残忍で、数人の警察と犯罪者が私の手足を縛り、私を一枚の木の板に押しつけて、白布で私の体をかぶせて、ただ口腔だけを見せ、それから東北で使うガス管で私の口腔の中へ挿し込み、そして鋼のペンチと馬の口を支える鉄器具で私の口腔を支え始めました。トウモロコシ糊を入れるため、彼らは2メートルくらいの高いところから入れました。食品が粗くて、管の口がまたとても細いため、トウモロコシ糊が入れなくてあちらこちらに噴き出ました。」

 王玉芝さんは語った。「残虐な体刑に直面して、私は繰り返し抗議しました。しかし、警察は‘江沢民が政権を握っているんだ、おまえ達はいかなる権利もない。’食物を流し込んだ後に、彼らのうち10数人が私を持ち上げて、私は地上で転び、私は何度もまったく意識がなくなってしまいました。ある時、人事不省になってから目が覚めた時、私は自分の身がすべて傷跡であることに気付きました。監獄の犯罪者もすべて涙が出ていました。このような苦難の下で、私の鼻孔と目はすべて血が流れて膿が流れ、目は失明に近くなり、体も極度に衰弱していました。」

 しかしこのすべての非人道的な苦難は、彼女がただ“真善忍”に対する信仰を放棄しないためである。

 人々がこのような残虐な体刑を見た時に尋ねた。「このすべてはみな本当のことですか?」王玉芝さんは言った。「今日私は人々に自分で自ら演じる残虐な体刑の経験は、ただ一部分だけで、米国ではどこにも私に食を流し込んだときに使った太い管は売っていません。本当に迫害の情景をすべて表す方法はなく、このような残虐な体刑は中国大陸で迫害されている法輪功学習者の体にいつも発生しているのです。」

 聞くところによると、王玉芝さんが被ったこのような残虐な体刑は“残虐に性食を入れる”ことで、正常な人道主義の医療・看護での救援と異なって、それは権力者が人道主義の看板を掲げ、絶食する抗議者に肉体上で残酷に苦しめ、刑罰を受ける者が邪悪な勢力に屈する目的に達するためだ。明慧ネットに各種のルートで暴き出された事実の統計によると、大陸に数十、甚だしきに至っては百名以上の法輪功学習者は非医療関係者(囚人を含む)が野蛮で食を流し込んだために死亡し、もっと野蛮に食を流し込まれた多くの者は各種の関連する後遺症になった。

 食を流し込む過程中で多くの人はまた濃い塩水、唐辛子の水、度数の高い白酒、洗剤などを入れられた。甚だしきに至っては糞便、小便で侮辱することで迫害した。さらに甚だしきに至っては、警察が犯罪者に指図し、法輪功学習者に食を流し込んで苦しめ、笑うように言った。例えば濃い塩水を入れた後に学習者の胃に空気入れで空気を十分に送り込み、それから足で学習者の腹を踏み、その結果濃い塩水が胃の中から反対に噴き出して、人の目や鼻、気管を噴きつけることを笑いにした。また、食を流し込んだ後に失禁して下痢をする学習者が便所へ行くことを許可しなかったり、そして人を逆に牢獄の鉄の門の上に掛けて楽しむ悪行などで笑いものにしたりした。

 * このすべてはまたが発生している

 明慧ネットのニュース、黒竜江省の双城市で、2004年2月28日に一度不法に法輪功学習者を捕まえている途中、周家鎮の農家の女性の肖亜麗さん、蘭稜鎮の顧秀嫻さん、韓甸鎮の劉広珍さんが皆地方官吏に家から捕まえられて、6日後に双都市第2留置場で死亡し、肖亜麗さん、顧秀嫻さんは別々に3月4日、3月6日に死亡した。留置場が事後に漏らしたのは、肖さん、顧さんは管で食を流し込んで死に至ったと言う。そして双城市人民医院第3診察室のある王という医者が直接管で食を流し込むことに参与した。肖亜麗さんの遺体は多くの外傷があった。公安は心臓病で死んだと言い、肖亜麗さんが死んだ後にまだ5歳の双子の息子と娘が残された。

肖亜麗さんは3月6日に双城市第2留置場で死亡した

 2004年4月1日に国連の人権大会で、国際教育発展組織(IED)が大会の主席と各構成国に法輪功学習者の陳愛忠さんの一家の境遇を訴えて、そして国連が中国問題特別案件チームを創立することを呼びかけた。国連からある特別な人権監査役員がもっぱら中国の訴訟の実例を取り扱うことを指定した。「法輪功迫害追跡調査国際組織」の調査によって、河北省は法輪功を最も深刻に迫害する省の一つだと分かった。

 2004年5月14日まで、迫害されて死に至った学習者が少なくとも97人がいることを確認した。その中の陳愛忠さん、陳洪萍さんは兄妹で、二人が生存していた時に残虐な体刑の苦難に遭った。警官はかつて30万ボルトの高圧電気棒で陳愛忠さんを電撃した。厳冬の非常に寒い所で、刑務所の警察はまた犯罪者に庭に積もった雪の中で陳愛忠さんを3、4時間埋めるように脅してそそのかした。

 2001 年9月20日、33歳の陳愛忠さんは唐山市蓮花コン労動教養所で野蛮に食物を流し込まれ死に至った。陳愛忠さんの妹の陳洪平さんは、2001年6月10日に懐来県東花園派出所の警官にめった打ちされ、その時口から血を吐き出して、両足は断ち切られて、高陽労動教養所で一年半の苦難を引き続き被り、2003年3月5日に亡くなった。最新情報によると、最近陳愛忠さんの母、姉、弟がまた捕まえられた。姉の陳淑蘭さんは北京市大興県天堂女子の刑務所に拘禁されて、お母さんの王連英さんは現地の洗脳クラスに拘禁された。

 * 私は彼らのために祈祷する

 広場で残虐な体刑を模擬して、引っ張る刑、手錠をはめる刑、押さえ込む刑、電気椅子での処刑、火刑、つるし上げて折檻する刑罰、死人ベッド、竹べらで指に差し込む、暴力的に食物を流し込む、電気かご、強制的に堕胎させる、神経を破壊する薬物を注射、重労働など……これはただ氷山の一角に過ぎない。

 痛ましく激しい場面で多くの見学者は涙を流し、多くの通行人は黙々として今回の残虐な体刑展の紹介と各種の残虐な体刑の簡単な紹介を見て、顔つきは厳かで重々しかった。クレオンスと言う若者が展覧を見終わった後で言った。「私は法輪功が中国で迫害されている情況を多少知っている。しかし私はこんなに近くからこれらの残虐な体刑を見たことなく、本当にこの世界でまだこのすべてが発生していることを信じる勇気がない。私の知っているところでは、法輪功は一つの平和で、善良な団体であって、私自身はキリスト教の信仰者で、私は彼らのために祈り、彼らを祝福し、彼らの努力でこの世界を変えることができることを望む。」

ひどく痛ましい場面は多くの見学者を感動させた

 江沢民、つまりこの迫害を始め、継続している人は、2002年に法輪功学習者らによって“酷刑罪、大量虐殺罪、反人類罪”で告訴された、当事件は2004年5月27日に法廷で論争された。江沢民は2002年以降、前後してベルギー、スペイン、ドイツ、韓国、台湾などで起訴された。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/27/75712.html