日本明慧


一九九九年四月、五月の陰謀(三)
--ある記者の独自調査から

 作者:楚天行

 【明慧ネット2004年5月14日】

 (前文に続く)

 江沢民はなぜ“法輪功を消滅”させようとするのか?

 “法輪功を消滅させる”ため、江沢民が述べた根本的な理由は信仰の問題—“法輪功は有神論を主張している”ことに対し、“マルクス主義は無神論を主張している”ためである。もちろん、政治の小人がたとえその妬みが極限まで達したとしても、自分の嫉妬が耐え難いものだと公言することはなく、そのかわりに自分が表面上より立派だと思われる政治的言い草を通して、自分にとっての“政敵”を撃ち下す。そのため、より厳粛に述べるとすれば、江沢民の公式のスピーチから、有神論は江沢民が鎮圧の理由として打ち出すのにもっとも適したものだと考えられる。

 ここ数年において、華人であろうと西洋人であろうと、たくさんの人々が迫害の真相を聞いたときに、誰でも理解できなくて“なぜ弾圧するのか”と聞いた。社会でもそれぞれの解釈や猜疑が流布している。実は“なぜ弾圧するのか?”という問いは他人が代わってより合理的な回答を探し出すのは難しいことである。というのは嘘はやはり嘘であり、悪はやはり悪のままであるからである。もしこの世に比べられる類があるとすれば、それはヒトラーがユダヤ人を絶滅するための迫害、およびネロ帝がキリスト教徒を虐殺する悪行であろう。

 ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37年-68年)、古代ローマ帝国の皇帝で、54年に皇帝の位につき、ローマ帝国でも最も神秘的な皇帝の一人である。彼にまつわる伝聞は非常に多く存在し、彼の早期における統治はとても慈悲深いものであり、当時のローマもちょうど最盛期に当っていた。もし“パンとサーカス”が人民を麻痺させるための恩恵だとするならば、ネロ帝も確かにこの両方を彼らに与えていた。しかし59年から彼は突然に暴君となり、君子豹変の如く平民をみだりに殺し、ある伝聞によるとローマの大火事は彼によって発生させられたとも言われている、火災の後に彼は、放火に参加したと疑われたたくさんのキリスト教徒たちを猛獣を使って噛み殺したが、68年のローマで叛乱が起こり、彼はそれで元老院に打ち倒されて自殺した。

 歴史家に驚きを感じさせるものは、ネロ帝の統治下にある最初の数年間はローマ史上でももっとも繁栄旺盛な時期の一部であったことである。しかし誰がネロ帝の邪悪な悪行を人々に“理解しうる”ように解釈することができるだろうか?


 1999年4月27日、中?の発電〔1999〕14号極秘文書の出荷

 1999年4月5日、およそ一万名の法輪功学習者たちが国務院信訪局に平和的に陳情した日に、“両?”の責任者および羅干らは江沢民に法輪功学習者たちの陳情の過程とその状況について報告した時、江沢民は待っていられないほど両手を振って、大声で「消しつぶせ! 消しつぶせ! 必ず消しつぶしてやる!」と怒鳴った。このような赤裸々な暴君の写実的な情景を見て、当時その場にいた人員、羅干までも大いに驚いた。

 当時の“中南海事件”について第一回政治局常委会で討論された時、当時の国務院総理を務めていた朱鎔基は「彼らに修煉させる権利をあげましょう」とただ言っただけで、江沢民はすぐに朱鎔基を指をさしながら憎悪の気を発散するかのように「甘い!甘い!甘い! 党を滅ぼし、国を滅ぼす気か!」と怒鳴った。かつて文化大革命で“右派”の冤をうけた朱鎔基は、それ以降このような何億もの民衆と国家の運命にかかわる大事な会議においてもう法輪功について助言しなくなった。会議が終わったときに、朱鎔基はその場にいる従事関係者たちとそれぞれ握手を交わし、別れを告げた。怒気高揚、怒り狂った江沢民に直面した政治局と他の常委もみな黙り込んだ。

 しかし、江沢民はただ政治局常委たちの沈黙をいいことに、この“消滅”運動を押し通すため、江沢民が昔に毛沢東が大字宣伝の“司令部を砲撃する”ような手段を模倣し、政治局委員のすべての人に手紙を書き、数回にわたって個人の名義をもって“指示書”を作らせ、法輪功の問題を“共産党と群衆を争奪する恐れがある”、“党および国を滅ぼす”までに高めた。そして“両?”(中国中央信訪?および国務院信訪?)の代表党および政府が“煉功の自由”、“気功を取り締まらない”などの公表を承諾したと同時に、全党内で江沢民の指示書、スピーチおよび『共産党員、共青団員が法輪功を修煉することを禁止するについて』などの通知を伝達させ、たくさんの国家幹部に同時に、あるいは近いうちに相互に矛盾する“文書”、“通知”を伝達させた。彼らに衆人の前で醜態を演じさせ、みっともないまねをさせた。そして彼らに自ら国民および社会に対し政治的運動の指令を打ち出すように強迫した。

 1999年4月27日になると、中共中央?公庁秘書局では“中共中央?公庁が『江沢民同志から政治局常委およびその他の関係者同志への手紙』に関する印刷”を印刷し発布した。これは同年4月から6月までの期間の大量の極秘文書の中でも特に重要な部分である。この文書の暗号は中?発電〔1999〕14号と命名し、そして“極秘文書”と指定された。文書帰属の主な単語は五つあって、それは、社会穏定、群体事件、江沢民、信、および通知。つまり問題の実質的な中心単語は実はひとつだけ、それは“江沢民の手紙”である。それ以外の文書形式というのは、ただ江沢民の個人的な手紙が“名分が正当であれば道理も通る”ように全国に伝送するための包装に過ぎなかった。

 この“中共中央?公庁”の落款の採用を指定した秘密文書は各省、自治区、直轄市党委書記、軍隊の各単位の党委書記に発送され、そして中央各部委の部長(主任)、国家機関の各部委党組(党委)の書記、および各人民団体党組書記に伝送された。文書上では総じて720枚印刷したと明示されていた。この『通知』の全文は以下の通りである(海外に向けてファックスされたものをタイプし記録したもの):

 “1999年4月25日の朝に、一部の法輪功学習者たちがだんだんと中南海の周囲に集合し、人数は一万にも達した。この事件の状況および処理の結果について、中共中央?公庁、国務院?公庁ではそれぞれ『法輪功学習者が中南海周囲での集合の状況についての通報』(中?発電〔1999〕11号)、および『法輪功学習者が中南海周囲での集合の状況の処理についての通報』(中?発電〔1999〕12号)を発布した。4月25日の夜、江沢民同志が政治局常委およびその他の指導者同志へ一通の手紙を出した。手紙の中ではこの事件の発生原因、深層にある問題および注意すべき教訓について深刻な分析および詳しい記述が述べられていて、今回の事件からさらに戒めとする注意点、ひとつのことから類推して多くのことを知るように処置をとり、よりよく仕事に従事し、このような類似事件の再発生を厳格に防止するようにと明確な要求を打ち出した。今ここで江沢民同志のこの一通の手紙をみなに送信し、みなが直ちに党委常委(党の組成員)を組織して学習検討を通して確実な措置を研究するように求めた。学習および徹底した研究の状況については、中央に報告するように”

 落款の後は“江沢民同志の政治局常委およびその他の指導者同志への手紙”を題し、登録日期は1999年4月25日とつけた江沢民の手紙の全文となる。

 中共政治運動史および独裁黒幕の操作を熟知している人なら安易に、1999年4月27日に中共中央?公庁がもうすでに拉致され、言われたままに行動することを受け入れて、江沢民の手にある明確なガードとなり、機械的行事の伝達の代わりとなったことは見す過ごさずにいられないでしょう。

 2001年7月上旬に、『新聞週刊』の最新期の国際バージョンではマリンダー・劉の評論文章を刊行した。文章の中では人権活動家のヨハネ・カン(John Kamm)氏の言葉を引用した:“江沢民は法輪功を粛清する運動の背後の扇動者。”“中国の一部の指導者たちはこのような全面的な鎮圧をする必要が必ずしもあるとは思っていない。”


 4月25日の江沢民の手紙、新たな民族の災難の始まり

 以下の重要な段落を通して、江沢民が4月25日の夜に政治局への手紙から取り出された部分で、ファックスが新たにタイプされた内容を根拠として、まさにこの750字でできた手紙のもっとも重要なメッセージであると言える:

 “この事件(4月25日の人民による陳情のことをさす)が発生してから、西洋のメディアですぐに報道され、そして煽動的な部分も見られた。海外、西洋社会と関係はあるのか、幕の後ろには“操縦者”による指揮がいるのか? これは新たな信号である。私たちは必ず高度の重視を払うべきである。敏感期がもうすでに来た以上、必ず速めに効果のある措置をとらねばならない。持って今後このような類似事件の再発生を防止すること。”

 —この部分はまさに盗人が盗人を捕まえるように唱えると同じく、敵視を煽動し、人心を攪乱するために書かれた。

 “今回の事件は、1989年の風波以来北京地区で発生した集団性事件の中でも最も人員動員数の多い事件である。私は何回も常になんでも未然に防ぐように、重大事件については必ず報告をするようにと強調した”が、—なぜ六四運動と無理やり関連させるのか? まさか毎日自分が六四事件で犯した罪が清算されるのを恐れているのではないか?

 “まさかわれわれ共産党所有の唯物論、無神論を基点とするマルクス主義理論が、法輪功のようなでたらめな宣揚にも勝てないとでも言うのか? もしそうであるなら、天下に笑われるのではないか!” —共産党が全中国の権力、軍隊、警察、監獄、宣伝器具を掌握し、組織系統が全社会および各階層、各領域、農村に入り、老若男女の思想および経済の命脈を網羅しているのに対して、法輪功はただ“永遠に政治に関与しない”、“善に向いてまことに修煉する”、“緩やかな自由管理”と規定した民間群衆煉功集団体にすぎないのに、江沢民はなぜ共産党にこのような善良な群衆団体に“勝つ”ように煽動したのか?


 (つづく…)


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/14/74485.html