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疥癬を打たれ全身が潰爛しても悪警のめった打ちと電気棒の迫害を受続けた——宋昌光の労働教養所での生前の境遇

 文/大陸大法弟子 凌云

 【明慧ネット2004年5月24日】宋昌光、男性、26歳、徳恵市辺こう郷双城村に住んでいて、長春郵電学院通信専門大学4年生で間もなくして卒業を迎えるところでした。2000年の年末、天安門広場で横物を打ち出したことで逮捕されて留置場に拘禁された。その時、ごろつきらは、歯ブラシを彼の指の間に差し挟んで、同時に彼の手を強くつまんで指がしっかりとくっ付くようにして、更に命がけで歯ブラシを回しました。歯ブラシで指の間の筋肉を無理やり押し取るなどの残虐な体刑を使って彼が住所を供述するように強いりました。

 2001年5月以降、労動教養所は人が込み合い、空間が狭くて、室内も暗く、年中陰気で日があたらないため、通気性が悪く空気は濁って湿っぽかった。医療衛生条件がきわめて悪いため、労動教養所の中では疥癬が狂気じみて蔓延しました。多くの学習者が感染して、きりきり苦しんで夜通し休むことができませんでした。全身が潰爛して、かさぶたができ、更に血膿が衣服にくっ付いて、全身は傷だらけできれいな皮膚がなくなるまでにやられました。このような状況下でも、労動教養所は隔離治療方針を取らず、ただ感染するに任せっきりで、見て見ぬふりをしました。その上ごろつきらと監獄の悪人は普通に拍疥(硬くて四角の木とプラスチックの棒で疥癬部位を打つこと)というやり方で迫害をやり続けました。学習者は打たれて血膿が飛び散って、血だるまになっていて、見るに忍びないほど凄惨でした。当時ある麻薬犯罪者は:“あなたを打つことを打つとは言わないよ、あなたの疥癬を治療してやっているから”と言いました;当時4大隊の教室(臨時寝室)の中に1本の10センチ余りの松の木が置いてありましたが、すでに広い面積の所に血が染み込んでいました。学習者達がめった打ちにされてしみ込んだものです。

 2001年7、8月ごろ、多くの学習者はすでに疥癬の苦しみから骨と皮のようにやせこけました。甚だしきに至っては気息奄々とした状態に陥りました。例えば、法輪功学習者宋昌光(長春郵電学院4学生)は、当時朝陽溝労動教養所で疥癬に感染して最も深刻な迫害を受けたうちの一人です。全身が感染して、その皮損面積は60%に達していました。最初は、全身に化膿膨れのようなものがいっぱい出始めましたが、数回に渡るごろつきらの狂暴なめった打ちによって、疥癬が拡大して、症状が酷くなりました。皮下は化膿性感染を引き起こして、特に臀部、表皮は潰爛だけではなく、いくつかの大きな腫れ物まで膨らんできました。ぼろぼろになっているのにも関わらず、ごろつきらはまた缶詰の瓶を使って血膿抜きを楽しみにしていました。長時間にわたり感染していた影響で皮膚の組織は変性して、汗腺は全て萎縮しました。上半身の皮膚はしわの紙のように乾燥している上にかゆくて堪え難いものでした。炎症の赤い腫れの熱い痛み、中毒の病状、長時間の高熱で彼は意識不明になってしまいました。邪悪は見も聞きもせず、ただ眠っているとしました。長い時間の栄養不良、深刻な貧血、免疫機能の低下、炎症のリンパ線浸食、全身リンパの増殖などあごのリンパは大きな卵のように膿腫しました。最後には、潰爛した部位から緑色の濃が流れました。労動教養所はガーゼを化膿口に押し込むだけで処置が終わったと言いました。まったく人の生死を顧みようともしませんでした。このような状況下でも邪悪は彼に対するいわゆる強大な攻撃をゆるめず、引き続き労働や板上座りなどをさせました。板に座らせられて肌と服がくっ付いてしまい、特に足と腿足の潰爛は深刻で、強制労働の時彼の歩行は苦難に満ちていて、びっこを引いていました。両手の潰爛もとても酷くて、掌のかさぶたは篩の穴よりも多くなりました。親指の爪はほとんど腐り落ちて、まったく水にぬらすことができませんでした。ごろつきらはまた彼に汚い布巾で板を拭くように強制しました。

 秋のトウモロコシの収穫時期に邪悪はわざと彼を引きずってトウモロコシを拾わせました。毎朝ごろつきらは、また彼に寝室のシーツを敷かせました。夜寝る時の込み合いは酷いものでまるで太刀魚のようにして寝ます(体を斜めにして、横に立たせる)。

 このように一年余りの苦難を受けたので、もともと180もあった丈夫な体はやせこけてしまって、ただの骨格しか残っていませんでした。関節は出っ張ってきて、やせて骨ばかりで、全体の下半身の皮膚は全て潰爛して、紫の赤い色の腐りかけた肉が見えて中からは血が流れていました。長時間の深刻な貧血で顔と口唇は青白くて、吹き出物の破れた口からはただ組織液が染みているだけで、もはや血も出なくなりました。2002年4月4日、いわゆる陣地攻撃戦が始まって、すでに極度に虚弱した彼は、また朝陽溝4大隊の悪警に引き連れられていわゆる強制転化をさせられました。悪警リーダーの付国華が主宰して、副リーダーの範盛禄が自ら着手して、小頭の王管教、変態悪魔の趙管教などの邪悪が共謀して、2本の電気棒、小さいほうで30万ボルト、大きいほうで35万ボルトのパルス、また警棒もあって、悪警は警棒で彼の足を打ち潰しました。また電気棒を彼の顔面と頚部に当てて、彼が戻って来た時足はすでに腫れ上がって歩くことすらできませんでした。心身ともに苦しめられて、更に今回の深刻な迫害によって彼の体と精神状況は極度に衰微しました。古い傷がまだ治っていないのにまた新しい傷が増えて、彼の下肢は極度に腐っていて、大きいもので6、7センチの長さで0.5センチの深さがあり、小さなものは少なくとも数百個ありました。まるで小さな分銅のような穴も数十個あって、押して見ると筋肉と皮膚はかちかちになっていて、全身が腫れあがっていました。しばらくしてまた心臓衰弱が起きて、両足の源性水腫と肺水腫になりました。最後に彼は気息奄々の状態に陥りました。2002年7月22日の午後、悪警の付国華は彼の命が危篤であることを見て、中で死んでしまったら困ると言って、慌てて司法局労教所張処長のところに行って、ほとんど手続きなしに労働教養所許可書に署名して、急いで解放しました。しかし、家に戻っても体はずっと回復できず、最後に冤罪が晴れないままこの世を去りました。江氏集団はまた人の命を借りたことになりました。


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/24/75435.html