日本明慧


師父が私たちを救い済度してくださることに感謝します

 文/葫芦島市南ビオ大法弟子

 【明慧ネット2004年5月30日】私は96年に縁あって大法を得ました。当時は、子供も幼く、また夫は精神分裂症を患い、私自身にも多くの病気があり、生活はまったくもって楽しくなく、神様とは不公平なものだと思っていたものです。私は完全に生活に対する望みを失い、睡眠薬を飲んだこともありました。この世から去りたくて、あの時は本当に丸木橋の上をさまよい、いつ命を断つかも分からぬ状態でした。

 95年の終わり頃、私は病気のため家で休暇を取っていました。私を家に連れて行ってくれた姉は私にこう言いました。「あなたの姉婿の友達が、北京から『転法輪』とか、何冊かの本を送ってきたわよ、読んでみて! 本当に素晴らしいわよ! どのようにして善い人になるかを教えてくれるの。本の中ではこう言ってるわ、これは病気を治すためものではないけど、体を浄化して、あなたを無病状態にするって」その時、私は「ちょっと信じられないなぁ」と思ったのですが、彼女はこう言ったのです。「やってみて! 間違いないって。煉功場もあるのよ」と。晩ご飯のあと、半信半疑で煉功場に行ってみると、ちょうど師父の説法ビデオ(済南講法)を放映していました。その時、私は顔が腫れ、黄色い汁が出ていたのですが、聞いているうち、とても気持ち良くなってきました。心を静め、まじめに師父の説法を聞いていますと、顔の痛みも忘れ、何事もなかったかのようでした。続いて、私にかつてない感覚が訪れました。身体が特に軽く感じられ、重い借金を降ろしたかのようだったのです。先生はいかなることをする時にも、まず他人のことを考えなければならない、とおっしゃいました。他人を傷つけず、いかに徳を重んじ、いかに徳を守るのか。このことが私の心の閉じられた鍵を開けたようでした。私はあの時から、この永遠に得難い、貴重な書物を手にして読み始めたわけです。

 私は毎日、煉功場に行き、師父の説法を拝聴し、5セットの功法を学びました。法を学び、煉功を通じ、私に元々あったあれらの病状は次第に消え、身体は日一日と好転していきましたが、これほどまでに(編集部注:法輪功とは)とても不思議なものなのです。師父は私の身体を調整し、私の心を浄化してくださったのです。私は言葉にならぬほど心から喜びを感じました。あの時からというもの、私は法を学ぶことと煉功に対する自信を深め、生活も楽しくなりました。師父が私を死の淵から救いだしてくださり、新たな人生がスタートしたのです。胃からの出血やら、胃下垂やら、半身不随やら、結石、ショック状態、夜盲症など、病気という病気はことごとくなくなりました。本当に師父に感謝しています。師父が私を救ってくださったのです。私にはもう何も恐れるものはありません。私は家の中に供えていたあれらの(編集部注:よくない)ものをすべて捨て、大法を学ぶことに専念したのです。

 私が法を学び、煉功をした前・後の身体の大きな変化を目の当たりにし、お姑さんと隣近所の人もみな法輪大法を習いはじめました。師父の法を学びますと手放したくなくなりますし、自ら得たメリットも数え切れません。法を深く学ぶに従い、私は「自分だけメリットを享受しているようではいけない。これほど良い功法は人に伝えなければならず、みながすべてメリットを享受できるようにしなければ」と思ったのです。97年には、私の家に法を学ぶグループができました。毎日、法を学び煉功をし、私は心が浄化され、身体が健康になり、考え方も変わりました。師父は私に、常人が知ることのない道理を教えてくださいました。人間の基準が“真、善、忍”にあることを知ったのです。今後は何をするにも必ず“真、善、忍”に従う、と心に決めました。その時、私は師と縁あって、常に大法を修煉できることを、私の生命の永遠の福だと思ったのです。

 法を学び、みなで交流した時のことですが、30歳くらいのある学習者がこう言いました。「以前は街へ行って野菜を買う時に、選んでは拾ったり、量ったのにもうちょっとと手にしたりしたものですが、今ではそのようにしたくはなくなりました。それは徳を失うことだと分かったのです」

 また70歳くらいのあるおばあさんはこう言いました。「大法は本当に素晴らしいです。幸い私は李先生の大法を学んでいますが、さもなくば今日、私は半身不随になっていたことでしょう。今日の午前中のことです。庭園内で野菜を抜いていたのですが、野菜畑の囲いをうまくまたげず、囲いの外から中へと転倒したのです。その時、旦那はとてもビックリしていました。しかし、私は立ち上がりました。大丈夫だったのです。何ともありませんでした。これは師父が私を守ってくださっているのです! とても素晴らしいことです。ある時、私は業消しの状態に入り、のどが腫れ、水すら飲めませんでしたが、3日から5日その状態が続くと、出勤できるようになりました。それから少し恐く感じたものの、再び先生の保護があると思い、大法を信じました。このようにして、今一度、師父は私の大きな業を消してくださったのです。私はひざまずき、師父に9回、叩頭の礼をしました。私は師父の済度の恩に感謝いたします。生活への尽きることのない望みはすでに満たされています」と。

 深く法を学んでいくにつれ、人は何かを享受しにここへきたわけではなく、業を返しにやってきたのだ、と本当に分かったのです。先生はおっしゃいました。「人は、以前に悪事を働いたために、生じた業力のせいで病気になったり、難儀にあったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことなので……」(『転法輪』)偉大にして慈悲深い師父が私のためにすべての業を引き受けてくださったからこそ、私は修煉の道を歩むことができました。大法があるだけで、私の今日の幸せがあると思うのです。

 大法を学んでから私は出勤できるようになり、ずっと無断欠勤もありません。街でお医者さまに出会うと、こう聞かれるのです。「病院では、あなたの顔を見ませんねぇ」と。私は彼にこう教えました。「私は法輪功を学んでからというもの、病院に別れを告げたのです」と。「そういうことで、こんなに元気なんですね!」と彼は言い、私は彼にこう告げました。「あなたも早く学ぶようにしましょうよ!」と。

 私は大法をただただ堅く信じることで、ようやく師父の慈悲深い済度に背くことがなくなり、大法をただただ堅く信じることでようやく返本帰真でき、大法をただただ堅く信じることでようやく偉大な師父と家に帰ることができると深く理解したのです!


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/30/75977.html