日本明慧


先生はずっと私たちを見守っている

文/大陸の学習者 

 【明慧ネット2004年6月4日】98年に法輪功の修煉をはじめたが、その間に経験した様々な事は、本当に言い尽くすことが出来ない。師父が見守られており、保護され、綿密に私たちの一つ一つを按配されていると言うことを常に感じている。

 最近身近に起こった出来事について話したいと思う。

 2004年5月31日の午前、私は一台車の商品押していた。積荷を下ろしている時、一台の乗用車にぶつかり転倒してしまい、右足をおさえて座り込んでいた。運転手はおびえた様子であった。私は地べたに座りながら、「どうぞ行ってください。私は大丈夫ですから」と言った。私の言葉を聞いて、運転手は車を運転し、離れて行った。その場にいた人々は、運転手を行かせたくない様子であった。

 ズボンの裾をまくってみると、右足首のところが、長さ5cm、幅2cmくらい擦りむけていた。その場にいた人が、「なんで、あなたは病院に連れて行ってもらわないのか。今は大丈夫だとしても、少ししたら、きっとあなたの足は腫れてくる」と言った。ある人は、その車のナンバーを記録していた。私は引き続き積荷を下ろし、そして終わった後、5-60kmの距離を自転車に乗り業務相談に行った。既に、日付は変わったが、足は腫れておらず痛みもない。先生が保護をしてくれていると感じた。

 皆と一緒にこの事について議論をした。

 ある人は、「あの運転手は、あまりにも素っ気なかった。“申し訳ない。すいません”とも言わず、行っていいと言うと、直ぐに行ってしまった」と言った。私は、「彼はその時、事故を起こしたのを見て、気が動転し、考える余裕もなかったのでしょう」と言った。すると、その人は、「あなたは、あまりにも優しすぎる。なぜ治療費を要求しないのか。もし後で問題が起こったらどうするのか」と言った。私は、「私のような老人ではなくても、若者であったとしても、1トン近い車に押され、骨折しないなど普通考えられますか?腫れもせず、痺れることもなく、朦朧とすることなどなく、痛みもなく、仕事への影響もない、私の得たもの相当に多いものです。常人へ要求するものなど、何があるでしょうか」と答えた。皆頷きながら、「あなたは本当に善い人だ。1万人に1人も、あなたの様な人はいないだろう。法輪功の修煉者は、皆このように善いのか?」と言った。

 「彼らの全ての人は、皆私より善い」と答えた。皆は、法輪功に対する弾圧に憤慨し、不公平だと表した。自分の本音を言うならば、修煉を続けてはいるが、多くの執着心を取り除くことは出来ず、先生の修煉者への要求に対しても、十分に出来ず、恐れの心がずっとあり、これらを思うと、心の中はとても苦しい。しかし、この出来事により、先生は私たちよりも私たちを大切にされているということを感じ、先生の慈悲と弟子を愛惜されるお心は、とても言葉では表しがたい。

 この出来事により啓発され、多くの人をも感化し、真相を知ることとなった。そして、私の修煉に対する勇気と自信へと繋がった。


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/4/76244.html