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5月の迫害死亡確認人数は26名 事件の内容は残酷

 【明慧ネット2004年6月5日】(明慧記者報道)明慧ネットの資料統計によると、5月の間に民間の網を通して確認された法輪功学習者の迫害死亡事件は26件あり、法輪功学習者の迫害死亡人数は973名にまで達した。

 *罪がない民衆が“真善忍”を信仰したため、迫害され死亡

 5月中に確認された26件の迫害死亡事件は全国15ヵ省、自治区と直轄市に及び、その中には河北(5例)、遼寧(4例)、吉林(3例)、甘粛、四川(各2例)、河南、貴州、山西、湖南、重慶、海南、広東、湖北、山東、新疆(各1例)が含まれる。

 公表された26件の死亡事件の中、10名は2004年中の迫害死で、その中で4名は過ぎたばかりの5月に死亡し、50歳以上の年長者が57.7%、女性が61.5%、最年小者は20歳の貴州省貴陽小河大寨村の周栄さん、最年長者は70歳の甘粛省武威市双城鎮張財厚さんである。またその中の二人の老女は警察により無残にも打ち殺された。彼女たちは新疆の退職教師趙小平さん(62歳)と四川省広漢市の曾令秀さん(60歳)である。

 彼らは法輪功を修煉してから、健康な体を獲得した。例えば、体が弱く多病の者は体が丈夫になり(四川省周沢碧さん、広東省劉付梅輝さん)、長年の高血圧が自然に治り(遼寧省李春栄さん、河南省王景栄さん)、癌患者は完全に回復し(河北省張玉珍さんはリンパの癌末期、河北省周玉芹さんは腸癌)、交通事故による大腿骨頭壊死症が煉功後完全に治り、車椅子とステッキなど全て住民委員会に寄贈した(海南省エン立さん)。彼らはみな主流社会の一員であり、その中には従業員(河北省張玉珍さん、山西省楊美瑩さん、四川省重慶市唐雲さん)、村民(吉林省鄭福祥さん、貴州省周栄さん、山東省趙明祥さん、四川省曾令秀さん)、教師(遼寧省于鳳華さん、新疆趙小平さん)と会社の社長(海南省エン立さん)らがいる。

 *警察は法律を執行しながら犯罪行為を行い、迫害手段は残酷である

  “名誉を汚し、経済を断ち切り、肉体を消滅させる”江沢民の密令の下で、610オフィス(法輪功対策本部)と警察は酷刑を使い尽くして法輪功学習者を迫害した。5月に報道された迫害死の中には、普遍的に肉体に対する酷い虐待と精神的な痛めつけによる現象があった。多くの人は違法に家宅捜査され、また連行され、彼らは様々形式でみなめった打ち、酷刑による虐待、強制洗脳による“転化”と経済的なゆすりにあった。労働教養所、刑務所、洗脳クラスと地区の公安、及び610は彼らに法輪功の信仰を破棄するよう強制し、迫害した。

 まためった打ちされる以外に、不法警察が用いる酷刑虐待の手段は多種多様であった。例えば、手錠を掛けたまま吊るし上げられ酷く殴る(山西省楊美瑩さん)、睡眠を与えられず、体罰、重労働を強制される(遼寧省王秀媛さん)、体罰を加え、毎日2つのトウモロコシ粉のウオウオトウのみを与える(四川省周沢碧さん)、冬に氷のように冷たいプールに入れて水の中に浸され、強制的に大小便を口の中に入れ、数本の電撃棒で同時に電撃する(海南省エン立さん)、強制的に食物を注入する(吉林省鄭福祥さん、河北省孫蘭成さん)など。

 *趙明祥さんは警察に打ち殺された後、遺体は野外に投げられた

 2003年12月21日、46歳の山東省青島平度市の趙明祥さんは即墨市段泊ラン鎮で法輪功の真相資料を配ったときに不法に警察に連行された。数日後、彼は即墨市段泊ラン警察派出所で残酷に虐待され死亡した。警察は殺人の責任を負うことを恐れて、彼を打ち殺した後、外に投げ捨てた。2003年12月30日、遺体はあるわらぐまで一人の村民により発見された。その村民は発見後、事件を届けだしたが、段泊ラン警察派出所は“無名死体”として処理した。2004年5月25日、趙明祥さんの家族は即墨市刑事警察組に行って、遺体を確かめて受け取ろうとした。警察は“凍死”、“飢死”と称した。家族が彼の骨灰を家に持ち帰ることを求めたが、警察は骨灰はないと答えた。家族は警察が保存した書類にある4枚の写真から当時の趙明祥さんはひげがとても長く、容貌はやつれて、保温用の上着が既になく、下着だけを着ていて、また整っていないことを発見した。これは明らかに趙明祥さんが即墨市段泊ラン警察派出所で残酷に虐待され死亡した。

 * 煉功により末期リンパ癌が治った張玉珍さんは“眞善忍”を信仰するため虐殺された

 48歳の河北省張家口市橋西区の法輪功学習者張玉珍さんは、1998年リンパ癌末期と検査された。食事をとることは困難で、体が弱々しく、命は危篤だった。その後、人の紹介により法輪功を修煉した。修煉を通して彼女の体は完全に回復し、心身とも元気になり、再び仕事ができるようになり、また真面目に、積極的に仕事をこなした。1999年7月20日以降、張玉珍さんは自分のカルテを持ち、陳情のため北京に行ったが、陳情受付事務室に違法に捉まれ、現地の警察派出所事務所によりつれ帰られた。帰ってきた後、彼女は違法に拘留され、また罰金を取られた。橋西北新村警察派出所と事務所は何回も彼女の自宅と勤務先にやって来て騒ぎをおこし、数回も事務所と洗脳クラスに連行した。残酷な迫害を数回受けた後、張玉珍さんはついに路頭に迷うようになった。

 2004年2月17日の夜、張玉珍さんは張家口市橋西支局、橋西大境門派出所の不法警察に連行され、市十三里留置所に拘禁されて迫害された。その後橋西政治法律委員会、橋西公安支局の不法メンバーらは彼女をハイジャックして洗脳クラスに送った。4月の中旬に家族が彼女に面会したとき、彼女はすでに迫害されてぼんやりしていた。2004年5月4日、張玉珍さんは橋西花コウ子の小さい診療所で死亡した。大境門派出所は彼女の死後にやっと家族に通知した。

 * 北京へ陳情に行った60歳の退職教師は北京の警察にめった打ちされて死亡

 62歳の趙小平さんは生前、新疆ウルムチのある陶瓷工場の退職教師であった。2000年12月28日、彼女は法輪功のために公正な話をするために北京に行ったが、違法に延慶留置所に監禁され、二日後釈放された。その後、また違法に北京公安八所に監禁された。そこに入るとすぐ洋服を全て脱がされて、冷たい水をかけられた。彼女は断食で違法監禁に抗議した。2001年正月4日、彼女は人体を痛めつける食物注入を実施され、また違法に拷問され、めった打ちされた。殴打により彼女の顔は変形し、頭には卵の大きさの包みが三つでき、全身は灰と泥だった。話ができなくなり、口をしっかり閉じていた。正月5日、命が危篤になった彼女は病院に運ばれた。病院の検査結果は、肝臓出血、脾臓出血、胃出血、心臓が腫れて大きく、腎臓もよくなかった。彼女は2001年正月7日にこの世を去った。

 * 若い法輪功学習者の鄭福祥さんは4年間の迫害を受けつくし、冤罪の晴れぬままこの世を去った

 吉林省ウ樹市青山郷の法輪功学習者鄭福祥さんは、1回目に陳情のために北京に行ったとき、ウ樹市公安局に違法に二ヶ月余り監禁され、二回目に北京に行き陳情したときは違法に一年の労働教養を言い渡され、長春葦子溝労働教養所、奮進労働教養所、朝陽溝労働教養所で精神と肉体とも蹂躙され、全身疥癬となり、体は極めて弱々しくなった。

 2002年3月に長春の法輪功学習者は有線テレビを利用して大法真相を放送した。江沢民は驚きのあまりひどく取り乱し、法輪功学習者に対して“容赦なく殺せ”と密かに命令を下し、吉林省で法輪功学習者を全面的に捕まえた。青山郷警察派出所所長の張徳志と彼の指揮下の不法な者たちは夜違法に鄭福祥さんの自宅に飛び込み、彼の家の窓を打ち砕き、鄭福祥さんと彼の妻をめった打ちにし、それから彼を派出所まで誘拐して、電撃棒で電撃し、彼の胸部と腹部などをめった打ちした。鄭福祥さんは“社会秩序を乱す罪”で拘留され、更に各種の酷刑の迫害を受けた。彼が断食で非合法な迫害に抗議すると、警察は強制的に食物注入を行い、彼を痛めつけた。その後、彼はまた非合法に労働教養3年の刑を言い渡され、長春市朝陽溝労働教養所に拘禁され、数名の刑事犯と警察の包囲攻撃、めった打ち、高圧電撃棒での電撃を受けた。間もなくして、鄭福祥さんは殴打により酷い内臓器官の障害を起し、咳が出、体は極めて虚弱になった。毎日また体力を超える仕事をし、体の障害はますます悪化し、高熱が退かなかった。2003年6月、体を検査すると肺結核と判断され、隔離・監視された。労働教養所は家族にお金を持ってきて鄭福祥さんを治療するよう要求した。家族は重病のための服役中の一時出所を求めたが、警察と労働教養所は彼の安否を顧みなく、この要求を無視した。長期の迫害により、彼は痛みつけられ、気息奄々とし、口からは血膿を吐いた。労働教養所は所内で死亡すると責任を負うのを恐れて、2004年4月6日、家族に彼を迎えにくるよう通知した。翌日の2004年4月7日の朝4時、鄭福祥さんは冤罪が晴れぬまま死亡した。年はまだ35歳であった。

 *夫は迫害されて死に至り、連れ合いは心臓病が発作

 吉林省梅河口市紅梅鎮一井居住の66歳の法輪功学習者張佰成さんは、法輪功の真相宣伝ビラを貼ったため一年の労働教養に課され、2001年12月に釈放され、家に戻る時には全身に疥癬がいっぱい生えていて、痛みで歩くとき腰を伸ばせず、大腿とふくらはぎの肉はすでに腐り、白い骨が露出していた。家に滞在する間、彼は病気のためずっとベッドに寝ついていたが、労動教養所と公安局はまたかき乱しにやって来て、強行して400元の“見舞い金”を取った。公安の迫害と騒乱のもとで、張佰成さんは2002年2月19日に冤罪の晴れぬままこの世を去った。彼が亡くなった後、彼の家族はお金の出ところを失い、娘の張立新さんが生活のためにアルバイトに出かけるしかなかった。張立新さんも法輪功学習者である。警官は人に見えないと、何度も張佰成さんの連れ合いに自白を迫った。一回は老人に保証書に署名させようとした。彼女がしたがなわないと、強行して彼女の手をぐっと引っ張って拇印を押した。そして警官は老人に対して「まだあなたの娘を探し出せなかったら、あなたを捉まえて、毎日あなたを尋問するぞ」と脅迫し、彼女を殴った。63歳の老人はこれらの迫害によって心臓病が発作した。
 *元凶江氏の犯罪行為は容赦できない

 5月27日午前、法輪功学習者が江沢民を“集団虐殺罪”などで起訴した上訴案件が、米国連邦第7巡回法廷上訴法廷で初めての法廷弁論が行われた。原告の弁護士は、被告江氏の個人の犯罪行為が彼の過去の官職のためだけで免除されてはいけないと指摘した。 

 2004年5月27日午前、法輪功学習者が委託した弁護士テリー・マッシュ博士は十分な理由で法廷に向い、江沢民は退位した後は非国家元首で、もう治外法権を有しない。1人の国家元首の犯した非政府の、決して政府を代表しない個人の犯罪行為は、元首のため起訴を免れてはいけない、などの理由で、先の地方裁判所が国家元首の治外法権でこの事件を断ったのは、数箇所の誤りがあると述べた。 

 法廷弁論で、米国司法部代表は当法廷で中国には法輪功の人権に対する深刻な侵害と大量な迫害事実が存在すると認め、米国政府はこのよう人権侵害現象に対して強烈な批判を提出したと表した。

 相手が提出した外交と政治上の考慮に対して、原告の弁護士はブッシュ大統領の父、老ブッシュ大統領の言葉を引用した。彼はかつてこう言ったことがある。彼が酷刑被害者保護法に署名する時、彼は自分もこの法律の中にいると意識した、と。テリー・マッシュ博士は全世界で厳格な訴訟手続を用いて人権を保護する目的に達することは極めて重要だと強調した。

 法廷弁論が終わった後、裁判官は法廷での双方弁護士の言葉について協議の上、決定を行うと表した。中国大陸内部からの情報ソースの報道によると、この法廷弁論に江氏は極めて緊張したという。

 法廷弁論前の5月24日から26日まで、法輪功学習者は米国シカゴ市中心で“迫害と信仰”という酷刑展を行い、実演でデモンストレーションを行い、模型と写真などの形式で、江氏集団の法輪功学習者に対する迫害中に使用された一部の酷刑を原状に復し、また再現した。この酷刑展は各界を震動させた。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/5/76364.html