日本明慧


法を学ぶことから思い付いたもの

 【明慧ネット2004年6月7日】最近、大法の書籍の字を直すため、私は以前の書籍をすべて探し出した。今日ちょうど《法輪大法義解》を直し終わって、2回それを学んだ。収穫が大きかった。先生が長春地区の同修が本を暗唱するブームについて、「私達は能力がある、若くて精力が旺盛な人、年を取って記憶力がよくない人を除いて、みなこの本を暗唱してみてください」「しかし多くの地区で、多くの学習者が非常によく暗唱できた。学習の時にみな本を使わず、すべて暗唱によって読む」、ここまで読んできた時、私の受けた震動はとても大きかった。私達は今回の魔難を通してやっと法を学ぶことの重要さを本当に理解して、初めて本を暗唱していきます。実は、先生はとっくに私達に本を暗唱するように要求していた!先生の話を聞いていなかったことを本当にひどく後悔した。もし私達中国大陸の同修がみな先生の話を聞いていたら、私達は先生の言われた通りにして、皆大法の書籍が暗唱できて、頑丈な基礎を築いていたら、迫害が起こった時にどうしてよいか分からないことはないだろう?捕まえられ、殴られ、残虐な体刑を被った時に先生と大法を思い出さず、ただ「お母さん、お母さん」を呼ぶだけで、ひどい目にあうことはないだろう?一部の学習者がいくらかの遠回りをすることはないだろう。しかし、私達は時間を逆流させ、もう1度やり直すことはできない。幸いにまだすべてが終わっておらず、慈悲の先生はまだ待っておられ、私達は本を暗唱する機会がまだある。それでは、国内外の同修達、もう待たないでください、時間を切り詰めるようにしよう。

 本を暗唱することに関して、明慧ネットに多くの同修の貴重な経験を掲載したが、私も簡単に1点を紹介する。私は印象を深めるため、1段落を暗唱し終わってからその段落を空で書いていく。《転法輪》を1遍書き終わった後に、2回目暗唱する時にとても速くできる。時間のある同修はすこしためしてみてください。ここでは主に老齢同修の本を暗唱する問題に関して少し述べる。私達老齢同修も常人の観念に障害されないでください。先生は“法を得ると神だ”とおっしゃったが、もちろん文化水準が低いため、老齢同修は法の理解力は恐らく若い人と相違がある、しかし私達も強みがあって、若い人に比べて時間があり、心を固めさえすれば、一生懸命努力して、私達老齢同修も本を暗唱することができるのだ。

 例を挙げて説明する。私の母は大法を学ぶ前は字を識別できなかったが、大法の非常に不思議な力で彼女は大法を通読することができた。ただ読むのが遅くて、特に心性がよくない時、明らかに以前読めた字が思い出せなくなる。このような情況で彼女に一段ずつ暗唱させるのはとても難しかったが、彼女は1句1句と暗唱した。一句を暗唱できた後更に次の一句と、第1講はまだ暗唱し終わっていないうちに自分の感じがとても異なっていた。大法が頭の中(実は本を暗唱したことのある同修が皆このような感じがある)を充実させているのだ。もちろん続けることが大切で、遅いことを気にしない。自分を厳しく要求して、すべての時間をしっかりつかんで、1遍を暗唱し終わって更に第2遍を暗唱する時にとても容易になり、その後で暗唱すればするほど速くなる。

 私達がこんなに長い時間の修煉を経て、特にこの迫害を経験して、私達は先生と大法の認識に対してとても深い理解があるはずだ。大法の弟子として大法さえ記憶できないなんて、本当にすべきではない。少なくとも私達は皆《転法輪》を暗唱するべきで、私達の個人修煉の高まりに対して、先生の法を正すプロセスを着いていくことにもとても大きな助けがあるのだ。

 以前、私は煉功をとても怠けていたが、本を暗唱した後はいつの間にか自分を厳しく要求して、朝起きて煉功するようになった。この迫害の中で、私の両親も何回も捕まられたが、さらに自身の不足が加わり、周囲の環境がとても緊迫し、隣近所の人さえ邪悪に利用された。特に私の父は不法な労働による再教育を受けた後、母の怖れる心がすごくおきて、何度も、私が夜中に起きて座禅を組んでいる時、私の家の入り口まで歩いてきて立ち止まった音を耳にした。翌日の朝、入り口に山のようにあるたばこの吸殻、あるいは靴底につく土壌が残っていた。2年間、堂々と表に出て真相を伝えに行ってなかった。たまに外出して用件を伝える時、またきょろきょろ見回さなければならない。先に周囲に怪しい人がいるかどうかを見てから、それから更に声を抑えるか又は相手の耳の上に伏せて言う。父が帰ってきて、同修達の助けのもとで、もちろん最も主要なのはやはり法を学ぶことを強化して、同時にも正念を発することも重視した。今母は真相の小冊子を配る時、向かい合ったままで渡してあげる。同修と一緒に自転車に乗ってとても遠い道を走って村を回って真相を伝えに行き、途中で横幕をかけ、シールを貼り、スローガンを書く。その他の同修と比べてそれほど多く、よく行っておらず、怖れる心がまだあるが、しかし過去のいつもびくびくして、堅苦しい状態と比較すると、すでにとても大きな違いがあった。 

 ここに私達の老齢同修に1つの提案をする。先生がありとあらゆる辛苦を経てやっと私達を探し当てて、私達もありとあらゆる辛苦を経てやっと大法の中に入ったが、旧勢力のとても悪い手配のために、私達の精進する足並みが影響されないようにしてください。先生はおっしゃったが、「昔から今まで ただ今回のためだけである」(《梅 元曲》)「もし心を固めることができるならば、どんな困難も遮れないで、私はそれなら問題がないと言う。」”(《転法輪》)

 その他に私はもう1つの提案がある。多くの同修がとっくにすでにこのようにしていることを知っているが、私達は家庭の中やあるいは社会上で単に肉体労働の時間を利用したほうがいい。歩いている時、或いは仕事をしている時、頭が暇で何も考えていない時はとても少なくて、だいたい常人の雑念に占有されていた。それならこの時に心の中で繰り返し、できるだけしっかり覚えた師父の説法を暗唱する方がよい。たとえ何句(もちろん暗唱できるのは多ければ多いほどよい)だけあるとしても、あるいは発正念の口訣を黙読する。特に中国大陸の農村では、人々はお日様とともに働いたので、農繁期の時、夜が明けると同時に野良に出て仕事をしなければならないし、太陽がしずんでからやっと家に帰って、今度は家事をして、家畜にえさをやる。確かにとても忙しい。このような情況では昼間の時間をよく利用して、当日に暗唱する予定の法を1枚の小さい紙切れの上に書き写して、ポケットの中にしまって、仕事の休憩時に出してちょっと見て、長い時間で暗唱することができる。もちろんたとえこのようにしたとしても、たくさんめちゃくちゃな思想、考え方或いは、白昼夢にふけることなどが自覚していないうちに、出てくるが、それは大丈夫でいったん意識した時に、すぐに正念を発してそれを解体する。もしこのように堅持していくならば、私達の思想がますます清浄になって、すべての念は大法に同化して行く。心を法の上に置いたら、先生はいつも弟子を見守っておられ、弟子に精進させるように注意されている。私達は一人一人の同修がすべてこのような感銘があるべきだと思っている:先生はいつも私達の身の回りにいる。

 私達すべての同修が皆精進し、着実に修煉し、三つの事をよく行えるように希望している。先生の慈悲深い、苦しい済度と衆生の切実な期待に背かないようにする。最後に、私達に先生の《洪吟二》中の詩で互いに励ましあおう:

                        精進正悟

            法を学ぶことに怠けない変わりはその中にある
               かたく信じ動かない果実が正し成功する

 個人の体験と悟りなので、よくない所は慈悲のご叱正をお願いする。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/7/76495.html