日本明慧

自我を抜け出すことは邪悪を取り除く過程である

文/大陸学習者

【明慧ネット2004年5月23日】2003年の夏休みに、地方のある学習者のために師父の最新の説法の録音テープを持って行った。ところが、帰宅途中で、610法輪功取り締まりオフィスの特務に尾行され、おまけに強制連行された。二日後、現地の洗脳クラスに送り込まれたが、結局20日後、正念をもって洗脳クラスから脱出して法を正す勢いに合流することができた。今回の正念をもって洗脳クラスから脱出できた経験から、私は次のようなことが分かってきた:真に自らの執着しているものを見つけ出し、絶えず自らの束縛を突破することにより、他の空間の幾層もの自分を操る悪い腐ったものが、一つ一つ根こそぎにされてしまうことになる。ところが、この自我こそが旧勢力が迫害を加える最大の口実で、旧宇宙にあった要素でもあれば、我々が新宇宙に溶け込むことのできない最大の妨害でもある。だからこそ、長い歴史の過程で形成された、いわゆるこの自我を打ち破ることこそが、まさに旧勢力による按配を否定し、邪悪を打ち破ることでもあり、法を正す中で膨大な天体における衆生を救うことでもある。

 ところで、洗脳クラスでの最初の何日間かは、静かに先生の法を暗誦していながら、精神的に苦しんでいた。なぜ拉致されたのかということにも悩まされていた。しかし、この世に現れた表面的な原因は気にしなかった。というのは、本当の原因は、自らが修煉しても取り除いていない不足によるものだと分かっていたからである。(勿論、この表面的な原因も探すべきものであった)師父はこのようにおっしゃった “以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません。”(《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》)。しかし、私の執着は一体どこにあるのか。洗脳クラスでは、邪悪な洗脳攻撃に抵抗する一方、隙を見て法の勉強をしていた。これにより、自分を目覚めさせ、執着を突き破ろうと願っていた。

 私は心を鎮めてようやく内から原因を探し出した時、師父の按配により、一冊の常人の雑誌の中の一つの物語で目覚めることができた。あらすじはこのようになっている:プラトンの一人の弟子が哲学を学ぶために、遠路はるばるやって来た。彼は途中で一つの高山にぶつかった時、一頭のトラがいるのを見かけた。そこで、町に入って人に会う度に、「山の中にトラがいますよ」、と教えたが、人々は誰も見たことが無く誰もが信じてくれなかった。すると、彼は自尊心を傷つけられたと思い、一所懸命に人々に自分が正しいと主張した。結局、人々は瘋癲だとみなして、彼を遠ざけてしまった。それ以上我慢できなくなった彼は、自分が正しいことを証明するために、一つの方法を考え出した。それは山に入って銃でトラを殺し、人々に見せるということだった。しかし、それから人々は二度と彼の姿を見ることはなかったという。その後、ある人が山の中で彼の遺骸を見つけた。人々はようやく彼の話を信じるようになった。この物語の意味深長な結末は人々に教えている:彼が死んだ原因は、トラにあるのではなく、焦って自分の正しさを証明したことにあった。

 物語を読み終えて、やっと分かるようになった:一種の名利心、及び自我を証明する心で洗脳クラスに送り込まれ、迫害を受けた。何故かというと、今振り返ってみると、私は大法の仕事を実証している中で、いつも無意識に有頂天になり、自分がどれだけたいしたものなのかを見せびらかしたり、手元に大法の資料を如何に揃えられたかも、自己顕示をする自慢の種にしたりしたものだった。それにも増して、拉致される直前にも科学技術界に如何に詳しいかということを自慢していた。これらのことは、実際のところ自分でも気づかない内心の奥底に、自我が実際にあり、自我がはっきり現れていることを物語っている。それだけに留まらず、ある時のこと、常人の友達に真相を伝える際に、私の法輪功に関する見方や、事実などを受け入れないのをみて、甚だしいのは、内心の奥深い所で言っている声がする。:もし、いつか私が再び迫害を受けることがあるならば、その時は、邪悪の大法弟子に対する迫害の深刻さを証明できる時だと。この心は私の真実の本性であるこの内心の音声と、あの物語のプラトンの弟子と、どれほど似ていることであろうか。

 私は、本当にこの自分の正しくない強大な自我の本性を見つけ出した時は、執着していたものがあっという間に溶けたかのように、自分の空間場がきれいになったような気がした。“宇宙は朗朗として、法光に同化す”(《洪吟》圓満に同化す)、このような感じがすると同時に、洗脳クラスの邪悪による迫害と、圧力がめっきり小さくなった気もした。

 その後の何日間かは、更に自らの正しくない心を見つけ出し、そしてその心を取り除くことにより、旧勢力が按配した、いわゆる試練の各種の口実を打ち破ることができた。

 洗脳クラスの時のことだが、一人の警官は労働教養で私を威嚇しようとした:法輪功を止めないのなら、強制労働教養所に送り込んでやると。それはやはり、自我という心があってこそ、向かってきたものだと気づいた。労働教養は恐れるべきものではない。私は邪悪による迫害を受けるために、この世に来たのではなく、法の一粒子であり、最大の責任は衆生を救い済度することにあり、何時までもここで邪悪による迫害を受け続けるわけにはいかない。そこで、決意して警官に告げた:私を労働教養にするべきではない。しかも、三回にわたった理不尽な発言に対し、私はこの言葉で応じた。実は心の中で既に邪悪の迫害を根本的に否認していた。この時、私の中のその自我は既に克服されていた。

 また、私に対してやってきた迫害はほかにも一種の形式があった。それは身内の人を利用して作り出されたものであった。私に肉親の情に対する執着があることが彼らには分かっているらしく、身内まで洗脳クラスに監禁された。身内の情を利用して私を転向させようと企んでいた。また、邪悪は身内に他の空間にある虚像を作り出した。夢の中で身内が“一刻も早く法輪功を止めさせろ”と書いてある紙片を見た。これに対して落ち着いて理性を持って対処し、法理上では最大限に肉親に対する情を捨てるようにした。この情は邪悪が迫害を加えるもう一つの口実でありながら、身内からの反発を食らわないものである。私は最終的に邪悪が肉親の情を利用した妨害を打ち破った。同時にこれによって親友がより一層邪悪の手口を見破れるようになった。

 修煉において益々しっかりしてきて、益々力が身についてきた際に、ある晩、夢の中で監獄の中にいるような気がした。その中で一人の女性に色情的に誘惑されたが、決然としてそれを拒否した。すると、身体の内から一匹の蛇が出て行ききれいになったことが分かった。その後、私はこの女性に或るドアの前に導かれ、しかもそのドアの鍵を開けてくれ、夢の中でこの監獄から脱出できた。この時は他の空間からの、私への制約がすべて解除されていたことが分かった。

 これまでいつも鍵が掛っていた洗脳クラスの門が、警官がうっかりしていたのか掛かっていなかった。この機会をつかんで、ある日の夜、洗脳クラスから脱出し、そして塀を簡単に乗り越え、法を正す勢いに合流することができた(後になって外の同修もずっと私のために正念を発していてくれたことが分かった)。

 次元の高さが限られているため、不足のところは同修に慈悲を持ってご指摘いただければ、幸いです。

 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/23/75348.html