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瀬水県小学校教師の劉玉敏は残虐な酷刑を受け、夫は迫害されて死に至った

 【明慧ネット2004年6月13日】小学校教師の劉玉敏は、仕事に対して責任を持って苦労をいとわず文句を言わず真剣に取り組んで来ました。典型的な良妻賢母でした。しかし、中年を迎えて体が思うようにならず、頭痛、不眠、脳給血不足、関節炎、心臓病などの色々な疾病を患うようになり、治療のためにあちこちで医者を求めましたが効果がありませんでした。深刻な時には行くところで気を失ったりして、病気の苦しみの中で彼女は仕事を続けることができませんでした。このような情況下で仕方なく彼女は愛する教師の仕事をやめて、在宅治療を始めました。

 劉玉敏は96年に法を得ました。彼女は学法と煉功を通じてまた大法の“真善忍”の基準で律して良い人、もっと良い人になりたいと厳しく自分を要求しているうちに、意外にも全身の病気は治療せず自然に治り、病魔の苦痛から抜け出すことができました。体は軽くなって元気に満ちて、人はまるっきり変わりました。また若くなって楽観的になりました。彼女は大法が彼女に与えた第2次の生命をもって、再び職場に復帰して、真面目にこつこつと勤勉かつ誠実に仕事に励みました。家族全員が大法を修煉してから、家庭はむつまじくて穏やかになり、生活は楽しくて幸福に満ちました。

 思いもよらないことにこれだけ素晴らしい師父、これだけ素晴らしい功法が誹謗、誣告されて罪に陥れられ、これだけ素晴らしい人達が迫害に遭うなんて誰も想像しなかったことでした。人の心が善に向かって、社会の安定、人民の身体健康、落ち着いて仕事に励むことができるということは、国家に対して社会に対して非常に素晴らしい事であって、国家に幸福をもたらすことです。しかし99年の7.20、独裁者の江沢民は、私利のために大法と大法弟子に残酷な迫害を始めました。劉玉敏の幸せに満ちた家庭は散り散りに分散して肉親を失うなどの迫害を受けました。

 2004年4月1日、劉玉敏はクラブで煉功または人々に法輪大法の素晴らしさを実証したことで不法に拘留されました。4月7日に彼女は不法に拘禁された同修と一緒に瀬水県党校に閉じ込められました。瀬水県の副書記孫貴傑、公安局政治法律委員会の書記劉耀華、政治保安係の李増林、戴春潔、裁判所、検察院(公、検、法、司)などの職員がここで大法修煉者に対して第二次の残酷な迫害をはじめました。彼らは北京に陳情に行ったことのある人、陳情に行く途中の人、家にいる人、当時留置所に拘束されている人、留置場に不法拘禁されている人、彼らに真相説明を行ったことのある人などすべてを逮捕しました。パトカーをうんうんと激しく鳴らし続けて、しばらくして一群が送られて来て、またしばらくすると何人かが逮捕されてきました。警官は手にプラスチックの電線でねじった鞭、棒、縄、ゴム棒電、多種の棒類刑具などを持って大法学習者をめった打ちしました。痛ましい叫び声、棒が人にあたるパチンという音が党学校の白いビルの中に響き渡りました。

 三日目、邪悪は転化の強制を始めました。彼らは大法学習者を3組に分けて、それぞれ公、検、法に割り当てていわゆる転化責任を負わせました。劉玉敏は裁判所組に分けられました。裁判所の副院長崔継坤は、腰に手を掛けて、彼女をにらみつけながら “ひざまずけ!”と叫びました。続けて“どうだ?続けて煉功するつもりか?”と聞きながら“縄をもっときつく縛れ!もっともっと縛れ!”と狂気に指示しました。彼女が煉功し続けると返事をするたびにパンパンとビンタを張りました。その後崔継坤は続けてこれでも煉功を続けるのかと聞いて、彼女が煉功すると答えたらまたパンとビンタを張りました。彼女の顔は打たれて真っ赤に腫れ上がりました。崔継坤は歯ぎしりをしながら、よし、人を呼んでしっかりと片付けてやると言って、悪人一群れを呼びつけて、劉玉敏と他の何人かの同修を下へと引きずって行きました。その時は夕方の7,8時ごろでしたがそれから深夜の1時になってやっと引きずられて戻って来ました。めったうちされてすでに気息奄奄となって全身が泥だらけでした。顔は血色がなくて、その上ひどく腫れ上がっていました。彼女は目を閉じたまま唇は青白くて、乾いて裂けて、髪の毛は散乱した状態で、下半身は腰部まで打たれてすべて黒い紫色になって、まるで石のように硬くなっていました。彼女はぴんと椅子に伏せてちょっとした動きすら見せませんでした。後になって分かりましたが彼女は7、8回もの「縄上り」をさせられて腕がまったく後に曲がらない状態でした。これは一種の非常に残虐な体刑で、縄を使って肩を何回も巻き縛って、それから後から腕を引っ張り上げて手が後脳部に当るまで巻き付けます。軽いものとしてその痛みは我慢できるものではないし、深刻な場合は身体障害者になります。手を上方に上げれば上げるほど体は益々丸くなり、酷い時は体が弓形になります。時間が少しでも長くなると腕はまるで体から引っ張り取られるような我慢できない痛みが生じ、甚だしき至っては気を失ってしまいます。

 劉玉敏はこのように3日間横たわっていました。同僚達がうわさを聞いて見舞いに来ましたが彼女の様子を見てそっと涙を流しました。はるばるやって来た彼女の妹は姉の様子を見て、我慢できず号泣しました。姪は彼女の前にしゃがんで涙を流しながら、おばちゃん、目を覚ましてちょうだいと言い、彼女の兄は涙を流しながら玉敏、玉敏と彼女の名前を呼び続けました。このような命の危篤の情況下で、家族は彼女を家に迎えて来て治療をさせるために2000元もの金をゆすり取られました。

 劉玉敏の夫の呉彦水も修煉者であって、修煉を放棄しなかったために、2000年9月28日村長の呉尚栄、副鎮長の王金竜、副書紀の孟暁春が騙して鎮政府に連れ込んで不法拘禁しました。そして2000元を騙し取ってからまた留置所、留置場に送って長期にわたって不法拘禁しました。精神と肉体は苦難と蹂躪、超負荷労働などによって、彼の心身はほとんど崩壊に近い状態になりました。家族は何度も悪警を尋ねて釈放するよう求めて、上記のような状況下でやっと家族を呼んで彼を迎えに来るようにさせました。家族が迎えに来た時悪警は強引に家族に5000元もの金をゆすり取ってから彼を放しました。家に戻った時彼はすでに歩くことすらできず、全身がむくみ上がって、足の感覚が麻痺していて、目も見えなくなり、食事も入らず心臓衰弱に陥りました。寝たきりの状態でトイレの世話も周りが見なければなりませんでした。(彼が拘禁されている間、劉玉敏はほとんど毎日夫を放すように求めましたが紀律検査書記の孫貴傑は、彼のこのような典型的なものは絶対に放さない、理由はないと言いました。政治法律委員会書記の劉耀華は20000元を要求して、政治保安所の戴春傑は彼に労教の判定を下すと言いふらしました。)

 家に戻ってからも迫害は止みませんでした。郷政府の悪警および村委員会は家に突入してかき乱して脅かし、この家庭と生命が危篤な夫にもっと大きな精神的迫害をもたらしました。1ヶ月後、娘は医者の手をとって泣きながらしきりに哀願しました!“私の父を助けて下さい!私の父を助けて下さい!私はまだ小さいので父を失いたくありません。私に父がいなくなるなんてできません。”涙は子供の顔を洗うように流れ落ちました。彼女は医者に一縷の希望を見つけようとしたのです。しかし、彼女のお父さんはもう二度と子供の呼びかけを聞くことができませんでした。冤罪が晴れないまま彼はこの世を去りました。幼い子供にもたらされた苦痛は深いものでした。この時またちょうど瀬水道路拡大があって、彼女の家はつぶし壊されて平地になりました。子供はまだ小さく、夫が殺害された彼女は目の前の現実に直面して悲しみを感じました。どこに身を寄せれば良いのだろう?

 このような情況にもかかわらず瀬水公安局、瀬水県教育局、瀬水鎮教育委員会の劉玉敏に対する迫害は収まるどころか、かえって激化して、レベルアップして、賃貸した部屋の中で強引に彼女を逮捕しました。如何なる理由も、いかなる証拠もなく、壁を乗り越えて入ったり、窓を跳び越して行ったりしました。それに服さえ着させず、劉玉敏は素足のまま下着を身につけて公安局に連れて行かれました。幼い子供二人が残されて、世話をしてくれる人もおらず、互いに助け合いながら生きて行かなければなりませんでした。彼女は気息奄々になるまで迫害されてやっと家に戻されました。骨や皮ばかりにやせこけていて、もとの様子を失っていました。知人が見ても見分けがつかないほどでした。このように不法逮捕、不法拘禁、迫害は彼女の夫が亡くなった後にも何度も発生しました。娘はお母さんが逮捕されそうになって泣き叫びながら外へと追いかけて来るのを見て、悪警はぐいっと彼女の娘を引き止めて一緒に連れて行くと脅迫しました。彼女は毎回気息奄々になるまで迫害されてやっと戻されました。

 2003年7月に彼女がやっと家に戻されて歩く時もまだ人の支えが必要なとき、娘がそっと彼女に、ある人が彼女の家の周りをぶらぶらしていて、陰で彼女を見張っていると教えました。このような情況下で彼女は家を離れて行くほか方法がありませんでした。彼女は路頭に迷った生活を送り、彼女が家出をした後子供はとても大きな迫害を受けました。悪警はいつも家の中をかき乱して、深夜壁を乗り越えて庭に入って、ドアと窓を打ち壊して入ってきて、家の中の隅々までひっくり返しました。衣服と身の回り品、生活用品は地に投げられて庭いっぱいになりました。なんと地下室を探すと言って、彼女の息子の腕を背後にねじりつけて、動くことも話すことも許しませんでした。

 子供は生活のために、小さな年で仕事を見つけてどうにか暮らしを立てなければなりませんでした。悪警はこれを知って仕事先の会社に行って人を出しなさいと迫りました。支配人はこれらを知って彼女の子供を解雇して、子供達は生活源を失いました。彼女が路頭に迷ってから、彼女の身内はみな脅迫を受けました。教育委員会、政治保安係の悪人は仕事をかけて身内と親友のところに行って、彼女を探し出すことに協力するように彼女の姪を脅迫しました。全ての身内の電話は盗聴されて、彼女と連絡があったすべての身内は彼らに尋ねられました。悪警はいつも真夜中に二人の妹の家に来て、彼らに精神上の圧力をもたらして、安定した生活が送れない状態でした。

 江沢民が一人で操縦した大法と大法弟子に対する弾圧の下で、どれだけの幸せな家庭が離散させられたのでしょうか? どれだけの家庭が迫害されて肉親を失ったものでしょうか? どれだけの人が迫害されて死に至ったのでしょうか? どれだけの人が身内を失った苦痛に耐えなければならないのでしょうか?

 法輪大法修煉者は“真善忍”の基準によって自分を求めていて、本当に良い人間になろうとしています。大法は人の心を善に向かわせて、人の道徳を向上させて、社会に安定をもたらします。これは実際最も素晴らしい事ではありませんか? なぜ、弾圧しなければならないのでようか? これは人間性と道徳を破壊する行為ではありませんか? 古人は、命を奪ったものは命を返し、借りを返済しなければならぬと言っています。大法を迫害して、良い人間を迫害することは道義上許されません。結局報われるべきものに報われ、報われないのではなく、まだ時期が来ていないだけです。

 すべての法輪大法と大法弟子を迫害した不法官員は自分のために、家族のために、子孫後裔のために直ちに大法及び大法弟子に対する迫害を停止して、無条件で不法拘禁したすべての大法弟子を釈放しなければなりません。あなた達は目の前の利益ばかりを見て、良心を顧みず、良い人を迫害して悪人を助けて悪事を働くことは絶対に許されないことです!


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/13/77002.html