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天津の中学(高校)の教師張漢萍さんは再び610から迫害を被っている

 【明慧ネット2004年6月19日】張漢萍さん、女性、50歳。天津市武清県のある中学(高校)の数学の教師である。大学卒。彼女は正直、温厚で、心根が優しくて、まじめで、厳格に「真、善、忍」の要求によって自分を律して、人の手本となる模範と言える。彼女の性格は穏やかで、温和で、個人の利益を重んじない。彼女は仕事の面で授業をもって人を育てる優秀な教師であり、また上司や同僚が信頼できる骨幹である。学生に対して厳しい父と慈母のように愛護している。家庭ではよい妻、よい母である。

 張漢萍さんはかつて、2001年の初めに、法輪功の修煉を堅持し、「真、善、忍」をかたく信じたため、武清県610の悪人によって講義の教室からパトロール・カーまで連行され、直接洗脳クラスに送られた。二ヶ月間ほど彼女を眠らせない、一晩一晩彼女を壁に向かわせて罰を与え、強行して屋敷の周囲の塀に沿って長時間走らせるなどの迫害手段をもって、強制的に張漢萍さんに修煉を放棄させようとした。彼女は断固として、いわゆる反省文を書かないで、大法をかたく信じて、動揺しなかった。最後に610の不法の徒は、学校の車と彼女を労働教養所に送るパトロール・カーを同時に洗脳クラスの入り口に止めて、彼女に選ばせた。彼女が法輪功を決裂すると表明するのであれば、学校の車に乗せて、帰って出勤し、家族とまた一緒になることができる。さもなければ、直接労動教養所に送られ、二年間の労働による再教育を判決される。彼女は法輪功の修煉を放棄することを拒絶し、先生と大法をかたく信じたため、強行してパトロール・カーに乗せられた。 

 彼女は、かつて2年間不法に労働による再教育を言い渡された。まず天津市板橋女子労動教養所第5大隊に拘禁されたが、その後、天津市板橋女子労動教養所第1大隊に拘禁された。そこで彼女は重労働と精神面の苦しみを受け尽くした。2003年の初めにようやく釈放されて、勤め先に帰って出勤した。彼女は勤め先へ出勤してから、たゆみなく励んで授業をして人を育て、業務は熟練で、言葉と自らの行動をもって教育して、教師と学生から一致した好評を受けた。

 2004年の4月中旬、彼女はまた武清県610に派遣された人に尾行され、そして連行された。現在、天津市宝テイ県留置場に拘禁されている。判決によって、刑罰を下すことが計画されている。

 労働による再教育期間中、凶悪な警官は張漢萍さんに豆の選別仕事をさせて、毎回車からの積みおろし作業に必ず彼女を行かせた。重さ50〜80キロの豆の麻袋を数十袋詰めなければならない。どんなに骨の折れる仕事を彼女にさせているか。他の人との話を許さず、家族の接見を許さず、家族に手紙を書くことさえも許さない。トイレットペーパー、生活用品が不足しても、他人があげることも許されない。仕事をしない時は、彼女に丸一日携帯用腰掛けに座らせるように強制し、強行して彼女に大法を誹謗する文章を読み聞かせ、彼女に感想を書かせるように強制した。彼女はこう書いた: 私達は不法に拘禁されている、私達は罪を犯していない、「真、善、忍」によってよい人間になることは間違っていない、私達は規律を尊び法を守って、まじめに仕事をし、国家、家庭に対して利益がたくさんあり害は一つもない。もし皆「真、善、忍」に従って行えば、社会全体の道徳を回復することができ、汚職、窃盗、詐欺の現象を根絶してしまうのではないか? 私は強く全国の刑務所、留置場、洗脳クラスの中に拘禁されている大法弟子を釈放し、徹底的に名誉を回復をして冤罪を晴らすことを求める。

 豆の選別の仕事をしない時、彼女は洗脳クラスに移されて、労動教養所は人を派遣して当番で、彼女に対して、強制して法輪功を放棄させるため謬論を注ぎ込んだ。「真、善、忍」に従って道徳の高尚な人になるのはどんな間違いがあるのか? 彼女が修煉を堅持したため、いつも罰せられて、一晩に立たせられた。時には凶悪な警官はわざと言いがかりをつけた。彼女にチームのなかに入らせて歩くように強制した。時には管理人は彼女と話をして、よく夜中まで、あるいは一晩中続けて話をした。言葉の中で侮りとののしり、皮肉をもって、何で頑迷で悟らないとか、私利私欲をむさぼるとか、夫と子供を捨て、義理も人情もないとかと言った。聞くが、彼女は自らの意志で家庭を離れて、労動教養所に入ったのか?

 彼女を理解する人、彼女を知っている労働教養所の職員と良知の喪失していない管理人を含めて、張漢萍さんはまじめ、勤勉で、意志の強い、素朴なよい人で、教養の質素はとても高くて、厳格に自分を律して、各方面の教養のよい知識人であることを知っている。このような人を労動教養所に拘禁することは理解できない。まさか私達の社会はこのような人を手本にする必要がないのか!「真、善、忍」の要求に従って、苦しみに耐えることを前にし、楽しむことを後にまわし、今の社会ではこのような人は少なすぎるではないか!それではこのような人は何度も迫害を受けて、道義はどこにあるか! すべての正義感がある人々が行動を始めて、すぐに中国大陸での法輪功に対する迫害を停止するよう共に呼びかけ、これらの善良な人々の潔白さを証明するべきである。

 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/19/77411.html